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どれがきれいなのでしょう
みんな、邊牟木くんのことを「にせもの」っていう。
人間の、にせものって意味だ。
でも、ぼくはそんなふうには思わない。そりゃあ、まぢかで見るのはちょっとぶきみだし、いやだなって思うけど、でもわるぐちはいわない。いっちゃいけないんだ。
興梠先生も、お母さんも「人のことをわるくいってはいけません」っていってたから、ぼくは邊牟木くんのことをわるくいわない。ぼくだって、自分のことをわるくいわれるのは、かなしいし。
邊牟木くんは九月に、ぼくのクラスである六年一組に転校してきたばかりだ。
クラスのみんなは、はじめて教室に入ってきた真っ青な邊牟木くんを見て、悲鳴をあげた。興梠先生が「静かにしなさい」っていうまで、おおさわぎだった。ひいろちゃんは「きもい」っていってたし、いっさくんは「あれって、絵の具でぬってるのかな」っていってた。たしかに邊牟木くんは、図工のときのパレットに出した絵の具みたいな青さだ。
転校してきてからの最初の二三日、邊牟木くんは給食をほとんど食べなかった。いや、食べれなかった。みんなが、邊牟木くんの食器に食べ物をつぐのをいやがったからだ。ちょこっとだけ注がれた給食を持って、黙って自分の席に着く邊牟木くん。それを見ても、誰も何も、いわなかった。
二三日後、先生がようやくそれに気づいた。先生がみんなを叱って、なんとかなったから、ぼくは少しだけホッとした。邊牟木くんは、何もいわなかった。みんなは、邊牟木くんをぶきみがっていた。
邊牟木くんが転校して来て、一週間がたったころ。とつぜん先生が、六時間目に学級会を開くといった。
「みんなに、邊牟木くんのことについて、しっかりと考えてもらいたいんです」
先生は、真剣な顔でそういった。ぼくたちは、だまった。何をいいあえばいいのか、わからなかった。先生は、ぼくたちに話しあいをさせて、邊牟木くんとなかよくしてほしいんだと思う。でも、邊牟木くんとどうやってなかよくなればいいのかわからない。
なぜなら、邊牟木くんがこのクラスに来てから、邊牟木くんは一度もしゃべっていないからだ。自己紹介のときも、小さく頭を下げただけだった。笑ったところも、泣いているところも、怒っているところも見たことがない。
窓際のいちばん前にいる、ひいろちゃんが手をあげた。
「なんで顔が青いのか、教えてほしいです」
教室の全員が、邊牟木くんのほうを見た。先生も、邊牟木くんのほうを見た。邊牟木くんは、身動きひとつとることなく、ただうつむいていた。
ぼくの前の席のいっさくんが、立ちあがった。
「どうしてしゃべらないの?」
「いっさくん。むりをさせちゃ、だめですよ。邊牟木くんは転校したてで、緊張してるんですよ」
「おれだって、二年生のときに転校してきたけど、すぐにみんなとなかよくなったよ。でも、こいつはぜんぜんしゃべらないし、ぜんぶ青いし。すっごく気持ち悪い」
「そんなことをいわないの」
「こいつ、人間のにせものみたい」
「こら! そんなことをいってはいけません!」
興梠先生がおおきな声を出したので、教室の空気は一気に落ちこんでしまう。興梠先生が「はあ」とため息をついたので、ぼくはびくりと肩をゆらした。
「みなさんは、多様性という言葉を知っていますか? 世の中には、いろんな人たちがいます。肌の色が違うひと、目の色が違うひと。みなさんのまわりも見てみてください。背がすごく高いひと、低いひと。からだが大きいひと、小さいひと。見た目っていうのは、ひとそれぞれ違うんです。それに、考えかたも違いますよね。そういう、自分とはまるで違う相手のことを理解して、受け入れる。みんな違って、みんないい。それが、多様性です。先生は、それが当たり前のクラスになってほしいんです。みんなには、やさしい人になってほしいんです」
興梠先生は必死に、多様性という言葉について教えてくれた。でも、このクラスの全員が多様性をわかったのかといわれれば、大半はまるでわかっていないみたいだった。こうきくんは首をかしげていたし、りょうくんはぽかんとしていた。ぼくも、先生がいっていることの半分くらいしかわからなかった。
だって、相手の本当の気持ちなんてわからないのに理解するなんてむりって思ったから。相手の心を読めれば話は別だけど、ぼくは邊牟木くんの心なんて読めない。今だって、何を考えているのかさっぱりわからない。
邊牟木くんは、とても変わってる。変なやつだな、と思う。このクラスのしょうたくんだって変わってるし、変なやつだ。
だけど、肌が真っ青なやつとは、さすがに友達になれない。友達になるような子じゃない。ふつうの現実じゃないみたいで、なんか違うって思ってしまう。
そういえば、邊牟木くんの下の名前ってなんだったっけ。自己紹介のときに黒板に書かれてた名前が思い出せない。肌の青さばかりが印象にあって、他はぜんぜん記憶に残ってない。
ぼくは、いっさくんの背中をちょんちょん、とつついた。
「ねえ、邊牟木くんの下の名前ってなんだっけ」
「はあ? どうでもいいよ。あんなやつの名前なんて」
先生に怒られて、いっさくんは、かなりいらいらしてるみたいだ。
たぶん、いっさくんは邊牟木くんの名前も覚えていない。下の名前については、いったん置いておこう。気になるけれど。
興梠先生が、教卓の前で泣きはじめてしまった。「多様性が」だとか「どうしてわかってくれないんですか」だとか「邊牟木くんも何かいってください」って、ぼたぼた涙をこぼしている。おとなも泣くんだ。なんだか、ちょっとおもしろくなって、ぼくは下を向いて、こっそりと笑った。
それから、さらに一ヶ月が過ぎたけれど、あいかわらず邊牟木くんがしゃべることはなかった。みんなも邊牟木くんに話しかけなかったし、だんだんと興梠先生も邊牟木くんのことを見なくなっていった。授業中も邊牟木くんのことを当てなくなった。教室のほとんどが、邊牟木くんのことを空気のようにあつかった。邊牟木くんも、何もいわなかった。休み時間はイスに座って、ジッと机の木目を見つめている。
「ねえねえ」
前の席のいっさくんがニヤニヤしながら、こちらを振り向いた。
「あいつにコレ、持ってってくんない」
いっさくんが渡してきたのは、自由帳のはしっこを破ったらしい紙きれだった。いびつに小さく折られている。なかに、何か書かれているみたいだ。気になって開いてみる。いっさくんは、何もいわなかった。
『ばけもの きもちわるい』
「はやくー、渡して来て」
いっさくんが、ぼくの背中をつよく押す。よろめいたぼくは、大きく踏み出してしまい、気がつくと目の前に邊牟木くんの机があった。邊牟木くんは、いきなり近づいたぼくに見向きもしない。少しムッとしたぼくは、机の上に置かれた真っ青な両手の甲に、いびつな紙を放った。そのまま、なにもいわず、自分の席に戻った。
いっさくんが、いやらしく笑いながら、ぼくを見あげてきた。
「うける」
何がうけるのかわからず、ぼくはいっさくんを無視した。チャイムが鳴った。邊牟木くんのほうを見ると、いっさくんが書いたメモを開いて、ジッと見つめていた。どきっとして、ぼくは目をそらした。ぼくは悪くない。悪いのは、いっさくんだ。
その夜、ぼくは何度も目を覚ました。
真っ青な空、真っ青な海、真っ青な砂浜、真っ青な木、真っ青な草。世界が、真っ青になっている。なんなんだ、これ。おかしくなりそう。
砂浜の真ん中に、邊牟木くんがいた。きみのせいでこうなったのか。そう、ぼくは叫んだ。
邊牟木くんが、ぼくを指さした。
指さされた、ぼくの手のひらを見る。どうして。邊牟木くんみたいに、真っ青になってる。ぼくは悲鳴をあげた。
邊牟木くんをいじめたから、罰が当たったんだ。なんでだよ。悪いのは、いっさくんなのに。
でも、紙を渡したのは、ぼくだ。ぼくが書いたと思われたのかもしれない。
謝らないといけない。紙を渡して、ごめんなさい、って。
次の日。ぼくは、教室に急いだ。いっさくんが来る前に、さっさと邊牟木くんに謝ってしまいたかった。
みんなに見られるのが面倒だから、早めに登校した。あとは、邊牟木くんも早めに登校してくることを祈るだけだ。
教室に入ると、すでに何人かのクラスメイトがいた。ぼくは、がっかりした。しかも、いっさくんがいる。邊牟木くんに謝るのが、予定よりも遅れちゃうじゃん。
「おはよ。みんな、早いね」
自分の席にランドセルをおろしていると、いっさくんたちがクスクス笑っている。何だろう、と思って見ると、いっさくんたちは邊牟木くんの机に、掃除用の汚いバケツを置いていた。
「どうしたの、このバケツ」
「こいつさあ、転校して来てから一回もトイレに行ってないんだって」
「うそー」
「だって、みんなそういってるんだもん。知らんけど」
いっさくんが、いじわるそうにくちびるを歪ませた。
たしかに、邊牟木くんは休み時間、いつもイスに座ったまま、ぼーっとしてるけど。
「だから、ここにトイレを作ってやろうと思ってさ。ほい、これ」
いっさくんが、ぼくに油性マジックを差し出した。
「バケツに『へむき用』って書いてやんなよー」
「えっ。ぼくが?」
「こんなに早く来たってことはさ、お前も参加したかったんでしょ。昨日のおれらの会議、聞いてたんだろー」
誤解されてるみたいだ。ぼくは、こんなことやりたくない。ぼくは、邊牟木くんに謝りに来たんだ。これじゃあ、ますますいじめを手伝ってるみたいじゃん。
「いや、ぼくは……」
「あっ。まさかお前さ、おれたちが邊牟木のこと、いじめてると思ってる?」
「ち、違うよ。そんなこと思ってない」
「どう考えても、おれたちのほうが、ほんものだろ?」
「ほんもの……」
「じゃあトイレ設置、手伝えよ」
いっさくんは、マジックをぼくに握らせてきた。やるしかないか。ぼくまで、いっさくんの機嫌をそこねるのはよくない。邊牟木くんの二の舞にならないように、今はいうことをきいておこう。
「えっと、『へむき用』でいいんだっけか」
「そうそう。きれいな字でよろしく」
マジックのキャップを外し、書きやすくかたむけたバケツに、ぼくはキュと音を立てた。
とたん、窓の外が、真っ白に染まった。
地球は、青かった。そういった人間がいたらしい。わたしたちはその言葉を信じ、長い年月をかけ、地球をおとずれた。
だが、期待外れだった。地球は青くなかった。緑に赤、黄色に白。そして、われわれがもっとも嫌う、黒までもが存在した。
わたしたちは、幻滅した。こんな汚い星は存在してはならない。滅ぼしたほうが、よい。わたしたちの神は、そういった。
しかし、わたしは思った。
この星の、青い海だけは美しい。
地球の海をながめていたら、海岸を汚していたゴミを集めている人間がいた。小学校という施設にいる、人間の幼体たちが清掃活動をしていたらしい。わたしは感動した。この幼体たちのことが、気になった。
このまま地球を滅ぼしたら、彼らも消えてしまうだろう。
わたしたちの神に許しをもらい、地球への猶予をもらった。
小学校という施設を調査し、人間の生態をより深く知ることができれば、まだ見ぬ地球本来のすばらしさを知ることができるかもしれない。幼体たちのためにも、地球は残してやるべきなのかもしれない、と。
わたしは『邊牟木』と名のり、施設への潜入をはかった。施設の人間たちの脳をコントロールし、情報操作をはかった。しかし、『邊牟木』の下の名前だけは、地球語に翻訳することができず、人間たちにうまく伝わらなかったようだった。
潜入の結果だが、とんだ期待外れだった。人間の幼体は陰湿で、ずる賢くて、汚らしかった。
地球語をしゃべらないわたしへの、差別。
人間らしい生理現象のないわたしへの、偏見。
真っ青な美しい肌をもつわたしへの、異端視。
彼らはわたしに対して、「にせもの」という単語を使った。
果たして、どちらが「にせもの」だったのだろうか。
「ほんもの」とは、どれのことを指したのだろうか。
わたしたちは、地球をきれいに滅ぼした。
地球に汚らしい陸地はすっかりなくなり、美しい青い海だけが残った。
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