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 前世は、一つではない。  この世に輪廻転生があるというのならば、前世はいく重にも存在しているはずである。  過去生すべてを覚えていたら、いくら俺の脳や魂の、記憶媒体が優秀であっても破裂してしまうだろう。俺のいう前世の記憶とは、ひとつの人生を終えるとき、膨大な思い出の大海から絶対に忘れたくないものだけを手のひらで掬いあげた程度の、わずかな刹那のきらめきだ。  脈絡のないそれらが果たして本当に起こったことなのか、それが子供のころに作り上げた妄想でも法螺でもなく、本当に前世の記憶であるのならば、いつの時代の、地球上のどの地域の、どの街のことなのか、探索の旅が仕事の合間のライフワークになった。  俺は、日本だけでなく世界各地に訪れた。  クアラルンプールやウランバートルやウラジオストクの、博物館や裏寂れたアンティークショップの棚の奥の用途のわからない奇怪なオブジェや重厚な青銅器の鐘のひんやりした手触りを感じながら、記憶との類似点を求めたのである。  ロンドンの骨董市で手に入れた金鎖のアンティーク時計もそんな前世の記憶のかけらを体現する一つだった。  
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