未来の夢はサッカー

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未来の夢はサッカー

小学校の頃の夢、覚えてるか? 俺は作文にこう書いた。 「将来の夢はサッカーです」 なれるわけねえよな。 いやいや、諦めてるってわけじゃなくてさ。 まず、俺は小学校じゃない。小学生だった。最初の間違いな。 次に、人はサッカーにはなれません。よくある間違いだよ。 同じ間違いする奴は他にもたくさんいたわ。野球、バスケ、サッカーボールなんてのもいた。言いたいことは解るんだけど、後で見るとどうしても笑い話にしかならん。 つまり、俺も含めてほとんどの奴がそういう派手な職業に就くことができない。才能とか努力とか運だ。 それが悪いってことじゃないさ。今の生き方には満足してる。そうだな、満足度八十%ってところか。充分だよな。 というか、百%以上の満足度だと後は落ちるだけ。百%をキープなんてできねえんだよ。どこかしらに隙があって、欲が出てもっと満足できる形に持っていける。そう考えるのが人っていう生き物だ。俺はそう思って生きてきた。 とか言いながら、俺だって最初から何にもしなかったってわけじゃない。サッカークラブに入ってボールを追いかけたり、たまに地域対抗の試合に出してもらったり、体育の授業の時はそこそこ活躍したと思う。 普通のサッカー小僧だ。その範囲を出なかったし、最後まで出ることはなかった。 夢を見るのは悪いことじゃないぜ。ただ、見続けるのは無謀だ。どこかで「自分はできない」って知る必要がある。 夢からさめて列車を降りる。そしたら、駅にある路線図を見直して自分に合った別の列車に乗り込めばいい。 もちろん降りずに一本だけでいくのもいいだろう。そんなことができるのはほんの一握りだけどな。 俺には、できなかった。ただそれだけの話だよ。 それでもサッカーは好きでさ。好きでいることはいいだろ、ほら、恋とか愛とか泥々したもんより。試合に夢中になったりするのは気分転換にもなるんだ。プレイだけじゃなくて観戦と応援もサッカーの醍醐味だから、それは俺を助けてくれた。 やっぱサッカーになりたいってのも間違いじゃなかったのかもな。人をやめて、サッカーの一部になりたい。心の隅でそう思ってても不思議じゃない。そう思えるくらい、サッカーっていう競技が好きだった。 暇があれば公園とかに行った。そこにはサッカー選手を夢見たりしながらボールを追いかける子どもがいる。スタンドには夢を応援したり、諦めきれなかった大人がいる。 いつまでも変わらない光景だよ。 すごく、すごく、楽しくなる。まだ夢が近くにあると信じた子どもに戻れた気がした。 これが本物の自分だって思えた。 どんなに現実で嫌なことがあって、納得できないまま頭を下げさせられたとしても、子どもの自分だけは偽っちゃいけないんだ。 ボールを遠くにやって、なくしたら二度と戻ってこない。俺はそう信じてる。 ほら、まだ残ってるだろ。ゴールが出しっぱなしのサッカーグラウンド。 いつだって現実を諦めるなってボールが叱咤する。 芝がぼろぼろで手入れがされてない。それでもいいよ。 ボールをなくさなければ誰だってプレイヤーになれるんだから。 ほら、見ろ。あそこでボールを蹴ってる奴は楽しそうだろ。太陽がうるさいくらい照ってる中で、最後の一人になってもまだ蹴り続けている。 俺は横目で見ながら通り過ぎた。諦めなかったらよかった。そう思うこともあったさ。でももういいんだ。 時間は戻らない。 列車を逆に乗ることはできない。 だからもういいんだ。 ただ、さ。 これから選ぶ奴には後悔しないでもらいたい。そう思うんだ。 夢はなんでもいい。その夢を選んで選び続けることは本当に大変だ。でもそれが本当にホンモノなら。 ああーーー、手放さなきゃよかったなぁ。 ああ、まただ。 またこんな廃れた公園でボールを蹴ってる奴がいる。一人で。ずっと、一人で。 きっとホンモノの夢を追いかけているんだ。頑張ってる。頑張り続けている。 そうだ、頑張れ。諦めるな。 そいつは毎日、決まった公園のグラウンドで練習していた。毎日、決まった時間に。 昼前の午前中に俺はその様子が見える道を通る。そいつはいつもそこにいた。雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も、そいつは毎日一人でボールを蹴っていた。 ある時、そいつと目があった。そいつも俺のこと知ってたんだろうな。軽く会釈して、何も言わずに通り過ぎた。でもしっかりとそいつの顔は見たぜ。 金髪で編み込みをしてて、如何にも不良ですって感じの男子。毎日ってことはさ、学校サボってんだよ。それでもサッカーしたいってのは、ホンモノじゃねえの? 頑張れよ。絶対に手放すなよ。納得いくまでやれ。俺は見てるからな。
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