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あの日から二年が経った。
わたしと直人はまだ付き合っていた。あの日のことは、直人に水に流してもらった。嫌なことがあって、乱心してたとかなんとか言って。
もちろん、あの時に漏れ出た思いは本物だ。多分、直人にもそれは伝わっている。
だけど、直人はわたしが欲しい言葉をまだくれていない。
わたしは鏡の前に立ち、メイクポーチを開き、メイク道具を使い、自分を整えていく。
直人とデートするだけなのだから、正直、メイクする必要はあんまりない。直人にはメイクをしていない姿を見せている期間の方がはるかに長いから。
メイクは直人のためじゃない。自分をよく見せたいからするわけじゃない。世の中のマナーみたいなものだからだ。
そろそろ、直人が車で迎えに来てくれるはずだ。最近、免許を取ったばかりで運転が楽しいそうだ。まあ、肝心の車は直人のお父さんのものだけど。
――ピンポーン
インターホンが鳴った。
「花音、直人くん来たよ!」
「はーい!」
お母さんの声に返事をしてから、カバンを持ち、部屋を出る。
「それじゃ、行って来ます!」
玄関を開け放つと、直人が立っていた。ちょっと緊張した面持ちだ。珍しい。車をぶつけたのだろうか。直人のお父さんは怒らせると怖いからな、と昔のことを思い出す。わたしもよく怒られたっけか。
「おはよ、花音」
「うん、おはよ! 車でもぶつけた?」
「何で?」
「いや、なんか緊張してるみたいだから」
「いや、ぶつけてないよ」
「それなら、良かった」
「それじゃあ、行こうか」
……右手と右足が同時に出ている。動きがブリキのおもちゃみたいだ。やっぱりなんかあったな。
「……なんかあった?」
「ん? 何もないけど?」
「右手と右足が同時に出てるからさ。運転、大丈夫?」
「心配ないって。というか、心配したところで、花音は免許持ってないんだから、俺が運転するしかないだろ」
「まあ、そうなんだけど。なんか変だから」
「……本当に?」
「うん」
「ま、まあ、早く行こう。渋滞に巻き込まれたくないし」
「それもそうだね」
今日のデート先は、二年前にわたしが乱心した際に行った、遊園地だ。珍しく直人が遊園地に行きたいと言い出したのだ。ちょっと抵抗感はあったけれど、直人が行きたいと言っているのを、否定するのも気が引けた。
直人が運転する車が動き出す。内容なんてないけれど、二人だけが楽しい会話を楽しみながら、一時間程で遊園地に着いた。幸いにも渋滞に巻き込まれることはなかった。
遊園地にいる間、ずっと楽しかった。
遊園地のアトラクションの待ち時間は長かったけれど、直人と一緒なら、その時間さえも苦にならなかった。
大した話はしていない。大したことはしていない。だけど、それで良かった。それが良かった。
十二年も経つのに、何も変わらない。わたしの想いはずっと一緒だ。
直人がいる。それだけでわたしは十分だった。
気が付けば、日が落ち、辺りは暗くなっていた。イルミネーションがそこかしこで、待ってましたと言わんばかりに輝き始める。
「綺麗だね」
わたしはイルミネーションを見上げながら、直人の腕に絡みついて歩く。
「な、なあ、クリスマスツリー見に行かないか?」
「うん、いいよ!」
直人の喉がゴクリと鳴った。
「それじゃ、行こうか」
わたしは先に行こうとする直人の手を取り、遅れないように、少し駆ける。
やっぱり、どこか直人の様子が変だ。
クリスマスツリーまでの道のりは、少々難儀した。二年前よりも五メートル高さが増したらしいクリスマスツリーは、相変わらず、この遊園地の名物だった。日が落ちたことで、その輝きに磨きがかかっているので、その姿を見たい人がますます増えているようだった。
やっとのことで、わたしたちはクリスマスツリーに到着する。
クリスマスツリーは美しかった。飾りの一つ一つが洗練され、調和している。その飾りがイルミネーションの光を反射し、更に美しさを加速させている。
二年前もきっと、こんな風に美しかったんだろうな。あの時、素直に楽しめなかったことが悔やまれる。
誰もがクリスマスツリーに見惚れていた。
だけど、直人だけは違った。ふと、直人を見ると、熱っぽい瞳でわたしのことをじっと見つめていた。
わたしと視線がぶつかる。それを待っていたのか、それと同時に口を開いた。
「花音、ごめん」
わたしは目をぱちくりさせた。まさか、謝られると思っていなかったから。
「え、ごめんって、何に対しての謝罪?」
思い当たることがまるでなかった。胸の中に波がさざめき出す。まさか、このタイミングでフラれるとか?
あり得ない、と脳内で浮かんだ言葉を消そうとするが、まるで消えてくれなかった。それがひどく怖かった。
「二年前、花音、俺に言ったこと、覚えてるか?」
覚えてない、とはさすがに言えなかった。だけど、それを口にするのもはばかられた。だから、口をぎゅっと閉ざした。
「覚えてる……よな。それを謝りたい。あんなことを言わせてしまったことに。寂しい想いをさせてしまったことに」
わたしは首を横に振る。直人のせいじゃない。わたしが子供だっただけの話だ。直人は何も悪くない。
直人は突然、歩を進めると、クリスマスツリーの真下に立ち、踵を返し、わたしの方に体を向けた。
ポケットからネイビーの四角い箱を取り出した。
そして、片膝を着き、四角い箱をわたしに見せるように開いた。
「俺と、結婚してくれませんか?」
箱から出てきたのは指輪だった。宝石がついた、指輪だった。あらゆる光が、その宝石に集まっていくような錯覚に陥った。
頭が真っ白になる。
わたし、何を言われた?
直人はわたし何を言った?
どうして指輪を差し出してるの?
思考が追い付かない。頭が働いてくれない。
だけど、周囲の反応はわかった。周囲は一瞬で静まり返った。誰もが息を呑んでいる。言葉を発することが大罪であるかのような雰囲気だった。誰もがわたしと直人を見ている。圧倒的な存在感のクリスマスツリーの存在すら忘れている。
聞こえてくるのは、遊園地に流れているクリスマスソングだけだった。
わたしは、小さく息を吸った。直人の言葉を脳に届けるために。
そして、理解した。
わたしは直人からプロポーズされた。
わたしは、直人から、プロポーズ、されたッ!
涙が一気にあふれ出てくる。涙で世界が歪む。イルミネーションが涙の中で乱反射する。
だけど、直人の姿だけははっきり捉えることができた。
気が付けば、わたしは駆け出していた。そして直人に思い切り抱き着いた。直人は態勢を崩しながらも、わたしをしっかりと抱きしめてくれた。
「わたし、直人と結婚する!」
周囲から一斉に歓声が上がる。万雷の拍手が響き渡る。中には泣いている人もいた。クリスマスソングはもう聞こえない。
直人がわたしの涙を拭ってくれた。
「花音、俺はずっとこの日を待っていたんだ」
「どういうこと?」
「花音が十八歳になる日を、ずっと待ってた」
わたしははっとした。
二年前、わたしは直人がプロポーズしてくれないことを気にしていた。結婚の手続きはできなくても、プロポーズならできるから。
だけど、直人はずっとこの日を待っていてくれたんだ。直人はもう十八歳だから、車の運転も結婚もできる。だけど、わたしはまだ十七歳だったから。
「俺さ、ずっと決めてたんだ。花音が十八歳になったらプロポーズしようって。だから、ずっと夢見てた。小学六年生ぐらいの頃からずっとこの日を」
直人は待ってたんだ。わたしが十八歳になるこの日を。ずっと前から。
「だから、焦ったよ。二年前にあんなこと言われて」
「……それは、ごめん」
「謝る必要はないよ。むしろごめん。不安にさせてしまって。だけど、あのタイミングで言っても、本気だって伝わらないと思ったから。十六歳じゃ、まだ結婚できない。本気が伝わり切らない」
「だから、今日、プロポーズしてくれたんだね。本気を伝えるために」
直人は首肯した。
「花音、手、出して」
直人は指輪を取り出した。
わたしは直人に手を差し出す。
そして、直人はわたしに指輪を付けてくれた。ぴったりだ。
「ありがとう、直人。わたし、最高に幸せだよッ!」
わたしはまた、直人に思い切り抱き着いた。
周囲からのあたたかな拍手が、わたしと直人を包み込む。
だけど、一番あたたかかったのは、直人だった。
~FIN~
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