盗む女

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「先生、実は私……」 いつものように処方箋を出そうとする平岡の手を制すように、沙也子が言った。 「どうしました? まだ何か?」 穏やかな声で問い掛ける平岡に、沙也子は一時(いっとき)ばかり言いにくそうに口を噤んでいたが、診察室から体よく追い出されるのを恐れてか、意を決したように言葉を発した。 「私…万引きがやめられないんです……」 沙也子が初めてこの病院を訪れたのは、半年程前の、茹だるように暑い日だった。 ギラギラとした太陽が照りつけ、地面からは陽炎が立ち昇り、病院の入り口の庭に咲くカンナの花は真っ赤に燃えていた。 まるで沙也子の心に燻っている赤黒い熾火を燃え上がらせたように、メラメラと。溶けるように。 随分と長い時間待たされて、沙也子がやっと看護師に名を呼ばれ診察室に入ると、 「初診の方ですね。今日はどうしましたか?」と、沙也子の顔も見ず事務的な口調で平岡は尋ねた。 「眠れないようですね」 問診票を見乍ら、尚も穏やかに無機質な声で問い掛ける平岡に、少し苛立ったように、 「ええ、この処ずっと…」と沙也子は答えた。 その答えに僅かに含まれた自分への苛立ちを感じ取ったのか、平岡は慌てて顔を上げ、声の主を見た。 平岡は一瞬ハッとし、次の瞬間には動揺しているような、何かを探り当てようとしているような、そんな目で目の前の女を見つめていた。 沙也子は美しかった。 よく見ると顔の造作が完璧に整っている訳ではなく、奥二重の目にやや低めの鼻と、若干の難はあった。 だが楚々として清潔そうな上品な雰囲気が、人妻とは思えない清らかな美しさを醸し出していた。 それは彼女の内面の潔癖さを映し出しているかのようだった。 『万引き』という言葉とは、まるで相入れないような。
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