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沙也子は暗く燃え滾るような心と、冷たく凍えた心を併せ持っているような、一種独特の雰囲気を持っていた。
緩くウエーブのかかったセミロングの髪、華奢な体に白いレース使いのブラウス。
自分に何が似合うかを知り尽くした、努力によって作り出された美しさでもあった。
”自分が知っているもう一人の女とは違う”
平岡は思った。
平岡は沙也子を一目見た瞬間に、別の女を思い出していたのだ。
別の女―それは平岡が医大生時代に付き合っていた久美子という女だった。
沙也子は久美子に少し似ていた。
だが、決定的に違ってもいた。
久美子は完璧に整った顔立ちをしていた。
くっきりとした二重の目に細く高い鼻、少し淫らに男を誘うような唇。適度に肉の付いた、均整の取れた体。
それは沙也子とは全く正反対の、エロティシズムの香りを放っていた。
沙也子を白に複数の色をマーブル状に混ぜ込んだ微妙な色彩に例えるとしたなら、久美子はくっきりと色分けされた赤と黒で構成されたような女だった。
”そう、あの女は利己的で狡猾で、悪魔のように残酷な女だった”
平岡は自身の苦い過去を思い出し、軽い吐き気を覚えた。
沙也子と久美子は赤の他人なのだろうか? それとも……。
久美子には確か、妹がいると聞いた事がある。
だが姉妹仲が悪かったらしく、平岡は妹に会った事も、写真を見せられた事も無かった。
時々久美子の口から妹の話が出ても悪口ばかりで、妹の名前を聞いた記憶も無い。
久美子はいつも、「うちの妹」とか、「あの子」とか言って、妹を馬鹿にしてばかりいた。
「トロい」だとか、「暗い」だとか、「ブス」とさえ言っていた。
平岡は、そんなふうに姉に評されている会った事も無い妹に、僅かに憐憫の情を抱いていたものだ。
もっとも、そんな久美子の汚言を聞かされていたのも、平岡が久美子と付き合っていた半年ばかりの短い期間だったが。
苦い記憶を反芻し乍ら、平岡は目の前の沙也子を凝視していた。
もしかしたら…
”あなたの旧姓は、もしかしたら軽部ではありませんか?”
そう問い掛けそうになって、すんでの処で平岡は言葉をすり替えた。
「眠れなくなった原因は? 何か思い当たる事はありますか?」
初診で付き添いも無く一人で来た自分を、ずっと無言で見つめている平岡を訝し気に見つめ返していた沙也子が、目を伏せ一瞬躊躇した後に、重い口を開いた。
「夫が………」
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