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「奥村さん、これあげる」
背後から名前を呼ばれ振り向くと、満面の笑みでパート主婦の真木さんが立っていた。
ロッカーを閉めて向き直る。と、手にビニール袋を提げているのを見つけた。あげる、と今しがた言われたものは、これなのだろうか。
礼を言い手に取ると、重い。落としそうになったところを、真木さんが支えてくれた。
「あー、ごめん。気をつけてそれ、苗だから」
なえ。
ナエ。
萎え?
なかなか適した言葉を当てはめられなくて、返事が吐く息だけになった。真木さんは気にした様子もなく、むしろちょっと笑う。
「そうなの。昨日、町内のお祭りでもらったのね。でもうち、もう既にたくさん花あるし場所がなくて。それで、奥村さんなら花とか好きそうだし、どうかなーっと思って持ってきたのよ」
花、という単語でようやく「苗」にたどり着く。
同時に「なんてありがた迷惑なの」と思う。
アルバイトのわたしとパートである真木さんのシフトは被りやすい。
普段から、溢れんばかりのおばちゃんパワーに押されて、色々な話をしてはいるが、花の話なんてした記憶はなかった。
一体全体どういう思考回路なのだろう、と思わなくもないが、家から持ってきたなんてもう断り様がないじゃないか。
吐きかけた息をぐっと飲み込み、目尻を最大限まで下げる。
「ありがとうございます。花好きなんで、ちょうど育ててみたいなぁなんて、思っていたんですよぉ」
なんて、嘘もうそ、大嘘だ。
ダメ押しで中を勢いよく覗き込み、
「……わぁ。綺麗な紫色ですね」
こぼれた言葉は、本音だった。
黒くてぺこぺこの薄いプラスチック容器には、やわらかそうな土がたっぷり詰まっている。その上には、ピンキングはさみで切ったかのような形の葉っぱが生い茂り、中央からやや左側にずれた場所には一つだけ、濃い紫の花が咲いていた。
「かわいいでしょ。パンジーよ」
ガサガサと中から取り出して、真木さんは見せてくれる。
紫の花は中心部分が鮮やかな黄色をしていて、周りが僅かに白い。そこから一旦更に濃い紫がうっすらと放射状に伸び、途中から薄くなってまるで静脈みたいに、ひとつひとつの花弁に巡らされていた。
花をこんなにまじまじと見たことはない。黙って苗を見ているわたしを真木さんがにこにこと眺めている。そんな気がした。
「この子は濃い紫だから、ちょっとコーデュロイっぽい質感があるんだよね。まさに、冬に咲く花って感じよ」
自然と目の前の苗のことを「子」と言っているのを聞いて、素直に「あ、いいな」と思った。
袋を提げ直して、倒れないように優しく持ち上げたわたしは、真木さんの目を見る。
「あの、本当にもらってもいいんですか?」
真木さんは目を大きく見開くと、
「もちろん!」
もうひとつ袋を出してきて、歯を見せて笑った。
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