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帰宅したわたしは、洗面所に苗が入った袋ともうひとつ渡された袋とを置いた。
「さて」と漏らし、肩で息を吐く。
右には苗が、左には小さめの鉢植えとマジックで『これだけで大丈夫!』と書かれた土が入ったジップロックとがある。
曰く、「すぐに始められるように」との配慮らしく、気遣いなのかお節介なのかが、すごい。
正直、最初「何を言ってるんだ、この人」と思ったけれど、実際に見て気持ちが変わっていた。それに、自分で何かを育てたことなどないわたしにも、花と暮らせば「この子」なんて単語を使う日が来るかもしれないと思うと、わくわくさえもしていた。
だけど、とも思う。
「どうしよう。結構時間がかかりそうだよなぁ。植え替えって」
心の中で唸っていたら、いつの間にか口に出ていた。
帰りに電車の中で調べたが、今のこの十一月上旬という季節は、パンジーを育てるには適しているらしい。
しかしながら、植え替えには軍手は必要だし、場所が必要だし、何より時間が必要だというのが、所感だった。
壁の時計に目をやる。時刻は夜七時になろうとしているところだった。
「あ、もうこんな時間か」
呟いて、キッチンに立つ。
流しの下からカップ麺をひとつ取り出し、電子ポットに水を入れた。そのまま、リビングに戻ってきてノートパソコンの電源を入れ、書きかけのファイルを開く。ファイル名は『海風文学賞投稿作』だ。
小説家になりたい、と思うようになって何年経っただろう。
高校生の時に出来心で出したライトノベルの賞で最終選考までいったのが、始まりだった。十七歳だったわたしは、完全に勘違いして「このまま小説家になろう」なんて決めてしまった。
だけど現実は甘くはなく、そこから五年、最終選考はそれっきりで、最近では一次選考で落ちることもままある始末だ。
文字を打つ手を止める。言葉が出てこないというより、思考が勝ったと思った。
立ち上がり、再びキッチンに向かう。とは言っても、廊下も何もない1LDKの部屋だ。考えをまとめることも出来ずに、もやもやした気持ちのまま、カップ麺の蓋を剥がしてお湯を注いだ。
なんでなんだろう。あの頃よりは上手くなっていると思うのに。どうしてわたしは、まだ賞に応募する日々を続けているのだろう。
書く時間を捻出するため、社員にはならずにフリーターを続けてきた。
ただ、給与は安く安定もしていないため、時折言い知れない不安が襲う時があった。それが今だ。
本当に自分の書いたものでご飯が食べられる日が来るのかな。
唇をぐっと噛む。ふと、開けっ放したドアから洗面所が見えた。
傍らに置かれたふたつのビニール袋に近づく。
そこには鮮やかな紫の花が変わらずに咲いていた。だけど、心做しか昼間よりも元気がないように見える。
なるべく早く植え替えて日当たりの良い所に置いてあげよう、と思った。
「明日、植え替えてあげるからね」
紫の花弁のひとつにそっと触れると、ほとんど無意識でそう口にしていた。
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