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*1 エンとバン
世界の東のはずれにある、アズマの国のそのまた海に面した小さな村で、バンは生まれ育った。
物心ついた頃から路頭で暮らし、親と呼べる存在もいない。傍らにいるのは、自分と同じ顔をした、双子の兄・エンだけだった。
「バン、またお前スリをはたらいたんだってな?」
一日の終わり、二人が雨風をしのぐためだけに建てた粗末なあばら家の寝床で、エンが呆れたように言う。
生まれながらに貧しい二人は、どうにかしてその日の食い扶持を稼がなくてはならない。しかし、幼かった彼らに働き口はなく、ましてや彼らに施しを恵むような者など皆無だった。寧ろ、薄汚れた彼らを見れば追い払われ疎まれるばかりで、とりわけバンは村の者たちを憎んでいた。
だから、バンは腹いせのように村の者への盗みを働き、それでどうにか自分の糊口をしのいでいたのだが、対するエンは決して悪事に手を染めることはなかったのだ。
粗暴で乱暴者なバンに対し、エンは穏やかで人当たりもいいため、細々した仕事を請け負っては、小悪党をして糊口をしのいでいるバンのしりぬぐいをしてくれた。それが、バンにとっては有難いと思いつつも、目の上のたん瘤のような煩わしさを伴い、つい、掛けられる言葉に背を向けてしまう。
「うるせえな。俺は俺のやり方で食い扶持稼いでんだ。どうやってだってしあわせになるっつってるのは同じだろ」
バンと違い、拾った書物で読み書きを習得するほどの賢さを持つエンは、悪事をはたらいては村の者から罰を受けて傷めつけられる彼に対して説く口癖があった。
「ああ、そうだよ。俺たちはしあわせになる権利があるんだ。だから、なんとしてでも、どこに居ても、生きてやるんだよ、バン」
「だからって、目の前に握り飯があるのに、貧乏人は我慢しろだなんて……頭がどうかしてる。目の前にあるから、盗んででも食う。それだってしあわせになる手段だろ」
背中合わせになっていたエンに、バンが睨みつけながら振り返ると、エンは困ったような顔で苦笑している顔が見え、「それはまあ、そうだけれどさ」と、返す。
ほら見ろ、と言わんばかりにバンが再びエンに背を向けようとした時、ちゃり、と微かな金属音――明らかに金銭の音がした。
それさえあれば、市の食べ物が買える。その魔法の代物の音にバンが勢いよく振り返ると、エンが懐から小さな麻袋を取り出している。拓いたそれには、数枚の金貨が見える。バンはこのあばら家に不釣り合いな高額なものに身を起こしてエンにつかみかかる。
「エン! お前、なに莫迦なことを!」
身体能力が高く逃げ足が速いバンが盗みをはたらくならまだしも、機転は利くが足が速いわけでも身体能力そのものが高いわけでもないエンが盗みだなんて。それでなくとも、バンは普段は小言を疎んじつつも、自分と違って悪事もはたらかず、賢いエンを誇りに思っていたのだ。それなのに――驚きと焦りでバンは嫌な汗をかいていた。
しかし、当のエンは呆れたように溜め息をつき、バンの腕をそっとほどいて思いがけない言葉を返してきた。
「落ち着きなよ、バン。これはね、俺がずーっと働いて貯めてきたお金だよ」
「貯めてきた……? エン、金はいつも食い物に使い切ってたんじゃ……」
「ほんの少しずつ残しておいたんだよ。それでね、ようやく金貨五枚になったんだ」
「金貨、五枚……」
見たこともない大金にバンが呆けるように呟くと、エンはバンの頭を撫でながらすまなそうに呟く。
「ごめん、俺あんまり力がないから、ここまで稼ぐのにすごく時間がかかった。でも、これなら、もうバンにスリなんてさせなくて済むだろ?」
その言葉に、ようやくバンはエンが彼に悪事をはたらかせていることに後ろめたさを覚えていることに気づかされたのだ。
バンとしては、エンのように細々働くことが性に合わないというだけに過ぎなかったのだが、エンはそれを兄としての不甲斐なさと思っていたようなのだ。
「ずっと、バンに嫌な事させてて、悪かった。でも、もうこれで俺たちはしあわせになれるから」
「エン……」
そんなことはない、何もエンは悪くない。そう伝えなくてはいけないのに、何をどう伝えればいいのか言葉が出てこない。
暗がりでバンがエンに何か言おうと言葉を捜している内に、エンは背を向けて麻袋を懐に仕舞う。そして、嬉しそうに言うのだ。
「明日、市の店で美味い物を買って来ようか。俺たちのこれからを祝おう」
バンは何が食べたい? そう、エンに問われ、バンは滲みそうになる目許を拭いながら、「……握り飯」とだけ答え、眠りについたふりをした。
「いいね。米屋で美味い米を買って来よう」
エンの嬉しそうな言葉に、バンは返事をしたのかどうか、定かではない。照れ臭さと小さな高揚感に包まれて、いつの間にか本当に眠りに落ちていたからだ。
――しかしそのやりとりを、バンは生涯悔やむこととなる。
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