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その日は晴れていた。雲一つもない快晴である。秋の初め、まだ威力が強い太陽の光が地面や海面を照らし、上昇気流を作り上げていた。
それを待っていた者がある。
鳶である。
翼を広げると160センチにもなり、その翼に上昇気流を受けて高く飛ぶ。よい気流をつかまえればその高度も増すことができる。
次々と周囲の鳶が高く舞っていく中、その鳶はまだ松の木に留まっていた。その年に生まれ巣立ちから日も浅い若鳥である。
理屈はわかる。翼に風を受けることも何度もできてはいる。だが、あんな高度まで舞い上がったことはない。
若鳥は戸惑っていた。あんな高さでもしバランスを崩したら?気流を受け損なったら?自分がまだ知らない事態に対応できるのか?そう思うと踏み込めなかった。
そこへ、鴉がやってきた。鴉は鳶とは仲が悪い。鴉と鳶とは、求める餌が被ることも多い。知らずに鴉の餌を横取してしまい集団の鴉に追われることもある。鳥はどだい高度を取ったほうが心理的に優位になるものだが、そこは鳶の得意分野だ。
なので、鳶は少し身構えた。鴉は戯れに他の鳥や動物を突くこともあるからだ。
「あんたはなんでいかないのさ」
鳶は驚いた。鴉と鳶とは使う言葉が異なるため、互いに何を言っているのかはわからないものだ。だがこの鴉は自分にもわかる言葉で話しかけてきた。
「あの……なんでしょうか……」
恐る恐る鳶が尋ねる。伝わるのかな?
「いやね、鳶の皆さんは気流を掴むのが上手いなって。そりゃ儂らも気流を使って高くまで飛ぶよ?でもあんたらには敵わないなって、いつも惚れ惚れして眺めてんだよ」
変わった鴉だな、と若い鳶は思った。鴉は鳶を見ると集団でぎゃあぎゃあ騒ぎ立てるものなのに、そんな相手に惚れ惚れだなんて。
「心配なんです。あんな高くまで飛んで、もしバランスを崩したらどうなってしまうんだろうって」
まだ巣立って間もない頃、台風の名残の強風を受け損ない、木の枝に打ち付けられた事がある。幸い羽に怪我はなかったが、打ち付けた腹はしばらく痛かった。
「大丈夫だよ、あんた鳶だろ?風にさえ乗ってしまえば、あとはあんたの本能が教えてくれるさ」
本当だろうか。本能は確かに翼の使い方を教えてくれたが、あんな高度での身のこなしまで教えてくれるものだろうか。
「まあいいさ、儂も少しは風に乗れる。ちとあんたに教えてあげれるだろ」
なんでこの鴉はこんなに世話を焼くんだろ、と不思議がる若鳶に、鴉は翼を広げてみせた。
「ほら、気流はわかるだろ。そこに羽を被せれば」ふわりと浮かぶ。「まずはやってみな」
訝しながらも若鳶も羽根を広げる。言われなくとも昇る気流はよく感じる。そこに翼を被せるようにすると、ふわりと体が浮いた。
「そう、その調子」
鴉の声に合わせて、昇る気流の角度に合わせて右へ、左へと翼を傾けているうちに、ずいぶん高く上がってきた。
ふと見ると、鴉は自分より下にいる。
「どうしたんですか」
「儂らにゃあここまでだ。やはり鳶は上手いね」
慌てて鳶が鴉に尋ねた。
「あの、どうしてこんなに親切に」
「いやあね、」と鴉がきまり悪そうに答えた。
「あんたの前の年に生まれた、同じ親御さんの卵。昔割っちゃってね」
あの日もいつものように鴉と鳶とで揉めていた。きっかけは、鴉が狙っていた獲物を鳶の誰かが掠め取ったことだった。それを知った鴉達は、集団でその鳶を追いかけていた。たまたまその鳶が止まったのが、目の前の若鳶の両親が営巣していた巣であった。気が高ぶっていた鴉たちは鳶に次々と体当たりをしていたが、揺れた木が巣の中の卵を全て落としてしまった。あともう少しで孵るとこだったのに。
「あんたの兄弟は死なせちまったけど、あんたは元気そうだし、そうやって餌を取って卵を産めれば」
もう鴉の声は聞こえなかった。若鳶は高く高く飛んでいた。他の鳶たちと合流し、上昇気流を舞っていた。
鴉はその姿を眩しそうに眺め、やがて去っていった。
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