シャーデンフロイに『さよなら』

2/2
前へ
/2ページ
次へ
 ところが変化は翌日起きた。瀬奈が『会いたい』と言ってきたのだ。  僕は焦ってスマホをソファーに投げた。  僕だって瀬奈に会いたい。でも、こんな僕を見たら……。更にLINE通知が鳴る。手を伸ばし確認。 『会ったら、ボーリングしたい』  僕は今までの瀬奈との会話を振り返った。 『セーナはスポーツが大好き』 『僕は野球やってたよ』 『うわっ!凄い!セーナはテニスやってるよ。今も野球してるの?』 『うん』 『足、速い?』 『速いよ。僕は身長百六十七センチ、小柄な一番バッターだから。盗塁だってチームで一番多くする。瀬奈は野球知ってる?』 『パパが好きだから知ってるよ。全速で走るの気持ちいいよね』 『うん、最高!』  嘘じゃない。正確には、だった、って過去形になるだけ。僕は事故にあわず、野球少年のまま大人になった自分を演じた。 「会えるわけがない……」  でも、瀬奈と切れるのは絶対に嫌だ!  前髪をクシャッと掴み悩むこと数時間、僕は誠に連絡した。休日だった彼はマンションまでやってきてこう叫んだ。 「冗談だろ?」 「冗談じゃない」 僕は車椅子を回転させる。 「お願いだ。僕の代わりに瀬奈に会って欲しい」  瀬奈を引き止めるための手段はこれしかない。僕は誠に説明。彼は沈黙で聞いた後「分かった」と頷いた。  約束の日は秋晴れの暖かい日だった。ベランダから空を仰ぎ、瀬奈を想う。夜に帰宅した誠は「会ってきたぞ」と言った後、床にあぐらをかいて座った。 「瀬奈はどんな娘だった?」 「ほれ」と言って自分のスマホを翳す誠。 「ツーショット撮った」  そこには全開で笑う誠と、栗色のボブカット、大きな瞳で、はにかむように微笑む瀬奈がいた。 「可愛いかったぞ」 ボソッと誠が呟く。 「映画観て、ボーリングして、飯食った」 「飯は寿司?」 「違う。パスタが好きって言うからイタリアレストランにした」  パスタ?そうか、瀬奈はパスタも好きなんだ。映画はカンフーを観たそうだ。ボーリングもかなり上手らしい。 『今日は有り難う。楽しかった』と瀬奈からLINE。 『僕も楽しかった』と返信すると『来週はテニスね』と返ってきた。  隣で画面を覗く誠に目をやると、彼は小声でこう言った。 「悪い。来週も会う約束しちまった」  それから瀬奈と誠は頻繁に会うようになりLINEも親密になってゆく。 『来週は遊園地だね。楽しみ』  瀬奈のメッセージを見つめ、僕の心はどす黒い感情、シャーデンフロイに染めらてゆく。  今、僕が正体を明かせば二人は終わるだろうか?  ある日、僕は誠を呼びだし尋ねた。 「瀬奈が好きなのか?」  誠は頬を赤らめ俯く。 「悪い」 「ハッキリ言え!」 「好きだ」  やっぱり。僕はソファーのクッションを掴み、誠に投げつけた。 「瀬奈は君なんか好きじゃない!だって毎日彼女と会話してるのは僕なんだから!」 「分かってる」 「お前なんか僕のニセモノだ!」 「確かにそうだ。でも、そう望んだのはお前だろ?」 「僕……僕は……」  瞳の奥が痛くて言葉が途切れ途切れになる。 「僕だって歩けたら……走れたら……」  苦しいよ!胸が張り裂けそうだ。僕は頭を抱え、一心不乱に髪を振り絶叫した。 「君は何も失ってないだろ?何でも持ってるだろ?なのに、なぜ僕から瀬奈を奪うんだああーっ!!」  誠は腰を折り、僕と目線を合わせる。 「悔しいか?」 「ぐっ!」 「瀬奈を横取りされて悔しいか?って聞いてんだ!答えろ!」  僕は唇を噛んで誠を睨んだ。悔しい、殺したい!こんな奴、消えれば良いのに!と思った。そんな僕の心を読んだのか、彼はニヤリと口角を上げる。 「だったら、来週、瀬奈に会えよ」 「はっ?」 「本物とニセモノ、お前と俺を瀬奈に選んで貰おうぜ」 「なっ、なに言って……」 「どうした?自信ねーのか?それは車椅子だからか?歩けねーからか?」 「お前!」  思わず手が伸び、誠の胸ぐらを掴む。と、同時に彼は僕の顎を掴み上げた。 「っざけんじゃねーぞ!事故って傷ついてんのはお前だけじゃねぇーんだよっ!」 「なっ!」 「ずっと思ってた!どうにかして俺の足とお前の足を取り替えてーってな。そうすれば、お前は野球できんだろ?堂々と恋愛できんだろ?幸せになれんだろ?」 「だけど、どんなに願ったって足は動かねぇ……」  顎を掴んだ手が落下する。誠の瞳が揺れて頬に涙が落ちた。 「なあ、頼むからその穴ぐらから出てきてくれよ。俺はニセモノ、車椅子のお前が本物だろ!」 「誠……」  その時、僕は知ったんだ。自分が真っ暗な穴ぐらにいることを。何も見えなかったけど、誠……お前はこんな近くにいたのか?ずっと隣にいてくれたのか?  この場所は寒い。明るい場所に進むには勇気を持たなきゃいけない。 「誠、背中を押してくれ」  絶望、否定、逃避、弱虫をぶっ壊すために。  僕が瀬奈と初めて会ったのは翌週のこと。僕は彼女に全てを打ち明けた。 「途中からね、何となく気づいてた」と瀬奈は微笑む。 「だって好きな曲も違うし、嫌いなはずの玉葱やネギもバクバク食べるんだもん」 「瀬奈、ごめん」 頭を下げる僕に瀬奈はしゃがんで顔を上げた。 「ねぇ、蒼君、私は本物かニセモノどっちか分かる?」 「蒼君?私?」 僕は顔を上げた。 「ちっ、違う。瀬奈は君なんてつけないし、私なんて言わないし自分のことをセーナって呼ぶはず」 「うん、正解。私は美里(みさと)」 「えっ?」 後方に立つ誠の声が聞こえる。それは僕も同じだ。 「行こう、本物のいる場所へ」 美里さんはそう言うとヒールを鳴らし早速と歩き出す。 「ちっ、ちょっと待てって」 誠が車椅子を押した。  美里さんに連れて行かれたのは大学病院だった。エレベーターに乗ると5の数字を赤い爪が押す。  ここでも思い出した。瀬奈は自分の爪が嫌いと言っていたっけ。  廊下を歩いている時、誠がコソッと囁いた。 「おい、なんか妙なことになってきたぞ」  瀬奈は看護師なんだろうか?それとも……。 美里さんが立ち止まり、ナースステーション近くの白い扉をスライドした。 「瀬奈、お客さん連れてきたよ」  白い仕切りカーテン。どうやら個室。嫌な予感で心臓のバクバクが止まらない。 「行くぞ」 誠が車椅子を押す。僕は「自分で行く」と言い、車輪を回した。  カーテンを開く美里さん。ベッドの上にその人はいた。彼女は驚愕の表情を明らかに誠に向けていた。 「美里、なんで?」 「さあ、なぜでしょう」  美里さんは腕を組む。 「問題です。蒼君はどっちだ?」 「えっ、あっ」  彼女は混乱し瞳を泳がせている。誠が口を開いた。 「あの……俺」 「俺?」  瀬奈の視線が僕に下降する。 「蒼は俺なんて言わない。僕って言う」 「ふっ」 笑う美里さん。 「正解。とりあえずニセモノは退散します。本物同士で話して」  美里さんは誠の手を引き背中を押した。 「えっ、どういうことだ?」 「待合室で説明するから」  二人が去って扉が閉まる。僕と瀬奈は見つめ合った。 「「どういうこと?」」  二人同時に疑問符を投げ俯く。違う。今、彼女を前にして言うのはそんなことじゃない。  僕は全てを打ち明け「騙してごめん」と頭を下げた。 「セーナこそ、騙してごめんなさい」  彼女の細い声を、僕はツムジで受け止める。 「小さい頃から心臓が弱くて、ずっと入退院を繰り返してきたの」 「心臓?」  顔を上げた僕に映るのは、お下げの三つ編み、クマがプリントされたパジャマ、酷く細い両肩、青白く削げた頬。揺れる二重の瞳だった。 「本当はボーリングもテニスもしたことない。全力で走ったことすらない。でも、蒼の前では憧れてた自分でいたかった」 「言わなくていい!分かるから。僕も同じだから」 「蒼……」 「治療は?」 「えっ?」 「退院はいつなの?」 「分からない。今、バドって呼ばれる人工心臓で心臓移植を待ってる」 「心臓移植……」 「うん」 「本当は会うつもりなかった」と瀬奈は言った。 「こんなセーナみたら蒼が幻滅するって分かってたから。でも、どうしても会いたくて……。だから美里に」 「うん、僕も同じ。まさかお互いに友達を使ってるとは想像しなかったけど」 「でも、本物同士で会っちゃった」 「もっと近くにきて」と血管の浮き出た細い手を伸ばす瀬奈。この時、なぜ彼女が爪が嫌いと言うのか理由が分かった。  紫色。唇も同じ。知識は少しある。チアノーゼだ。僕は彼女に近づき手を握る。 「僕は、こんなだけど、君の許可を得たいんだ」 「何の許可?」 「休日をこの病室で過ごしたい。LINEだけじゃなくて君の顔を見て話したい。君をもっと知りたい」 「蒼……」 「僕じゃダメですか?」  彼女の瞳から涙が溢れる。 「でも、セーナは長く生きられ……」 「させない!」  僕は瀬奈を抱きしめた。ビックリするほど細くて儚い命。 「僕の心臓をあげる!」 「蒼……」 「足はダメだけど心臓は健康なんだ」 「なら、セーナは蒼に足をあげる。心臓はダメだけど足は健康だから」 「瀬奈……」  鼻の奥がズキンッと痛んだ。もう、前が見えないよ。彼女の嗚咽が聞こえ、病室が水没するぐらいの涙を流したと思う。 だけど、散々と泣いた後、僕と瀬奈は額を重ね合わせ「一緒にいよう」そう誓い合ったんだ。  後で聞いた話。待合室で美里さんは祈りながら泣いていたという。彼女は、学校に僅かしか登校できなかった瀬奈のたった一人の親友だった。僕の親友は……誠、お前だ。  それから僕は休日のたび、瀬奈の病室を訪れた。イヤホンを片耳に大好きな曲を聴き、色んな会話を弾ませる。喜怒哀楽、僕らは全てをさらけ出し、半分ずつ分け合った。瀬奈の両親とも顔馴染みになり自然と仲良くなった。母親は僕のことを「蒼ちゃん」と呼ぶ。  ある日、瀬奈がこう言った。 「セーナね、ずっと健康な人が羨ましかった。みんな幸せそうなのに、どうしてセーナだけ?って思った。正直、みんな不幸になればいいって憎んだこともあったの」 「うん、僕も同じだよ。ずっとね、他人には僕にはない自由に飛べる羽根がある。そう思ってた。だから堕ちてしまえばいいって」 「でも、そう願うセーナは苦しかったよ。悲しかった」 「僕もだよ。そんな自分が大嫌いだった」  カーテンの隙間から見えるのは柔らかく輝く三日月。  僕らはこの夜、本当の意味で『受け入れて進む』道を選んだんだ。 ーーー  三年後。  ハラハラと黄金色の葉が舞い踊る。銀杏並木で待ち合わせ。 「おせーな、美里のヤツ」  誠がイラついた顔で腕時計に目線を落とす。すると、向こうの方から「おーい」と走ってくる美里さんが見えた。 「お前、おせーんだわ!」 「ごめんごめん」 「ったく、毎回だろうが!」  来春、結婚予定の二人はプチ痴話喧嘩勃発中。僕はじっと黄金色に染まる道の向こう側を見つめた。  小さな黒い点が徐々に鮮明になりこちらに駆けてくる。僕は車輪に手をかけた。 「瀬奈、全速力はまだダメだよ!」  彼女は僕まで走ってくると肩で呼吸しながらニッコリ微笑んだ。 「大丈夫だよ。この心臓、強いから」  心臓移植から一年、でもまだ安心はできない。心配する僕をよそに瀬奈は車椅子を押して走り出す。彼女はすぐに走りたがる。まあ、僕も楽しいんだけどね。  今日は誠の一軍昇格のお祝い予定。 「お寿司、食べたいなぁ〜」と瀬奈が言うから僕は首を振った。 「心臓移植後は生物は禁止、分かってるだろ?」 「はーい」  四人で、どこに行こうか?と談笑しながら銀杏並木を歩く。結果、僕のマンションで鍋を囲み、どんちゃん騒ぎになった。  カチャカチャと食器がぶつかる音。瀬奈はキッチンで食器を洗っている。僕は床に転がり眠ってしまった誠と里見さんに毛布をかけた。 「ねぇ、蒼」  振り返ると、エプロンで手を拭いながら近づいてくる瀬奈が見える。 「心臓移植前にセーナが言った言葉、覚えてる?」  手術室に運ばれる前、彼女は僕の手を握りこう言った。 ーーー 『もし、まだ生きていいのなら、セーナには夢がある』 『夢?なに?』 『蒼の後ろをセーナの指定席にしたい。そして車椅子を押して全力で走るの』 『瀬奈……』 『そのために頑張る』 ーーー  でもね、瀬奈。 「覚えてない」と僕は嘘をつく。 「あはっ」瀬奈は笑った。 「嘘、下手だね。顔に覚えてるって書いてあるよ」 「瀬奈……僕は……」 「蒼の言いたいことは分かる。セーナは健康だから自分と違うって言いたいんでしょ?」 「僕にとって、一番大切なのは君の幸せだ」 「蒼は優しいね。でもセーナは違う。自分が大切だし自分が幸せになることばかり考えてるよ」 「瀬奈……」 「セーナはずっと蒼と一緒にいたい。それが自分にとって一番幸せだから」 「瀬奈……でも僕は」 「赤ちゃんなんか欲しくない!」  両目を見開く僕。そう、僕に行為は無理だ。 「二人で生きられればそれでいい!」と瀬奈は膝を落として僕を見上げる。 「だから、セーナに車椅子の後ろ、期限は一生の指定席を下さい」 「くっ!」 ダメだ。涙腺が崩壊してしまう。 「せっかく健康になれたのに……君はバカだ。大バカだ」  どうか今から言う僕の身勝手を許して欲しい。僕は彼女の肩を引き寄せ抱きしめた。 「結婚して下さい」  自分が幸せになる最高のワガママ。この言葉を伝えるために……。 ◆  二年後  結婚して気づいたことがあるんだが、シャーデンフロイとは人と比べた自身の卑屈や優劣から生まれる感情だ。  つまり、問題は人ではなく自分に負けてる自身の中にある。  今、僕には卑屈や優劣はない。なぜかと言えば、この足をひっくるめ、全てが彼女に愛されているからだ。  そして僕も全てを愛してる。  人とは比較できない幸せは明るくて温かい。  だから君とは友達になれそうもないよ。  ごめんね。 『さよなら』  僕は暗闇に佇むシャーデンフロイに振り返らず手を振った。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加