あなたと見る空は、いつも霧雨

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第一話  いつもの朝。  私はベッドの上で、目が覚めた。  白い天井が見える。  私の部屋。いつものベッドで横になっている。  私は、お気に入りのパジャマを着ている。  窓の外からは、霧雨が静かに降っている音が聞こえてきた。  目が覚めるまで、何か夢を見ていたような気がする。  その内容はまるで思い出せない。  思い出せるのは、感覚と感情だけ。  まるで胎児が母体の中で過ごしているような、安らぎに満ちた夢の感覚。  それは、私と周囲とを隔てる境が無いように感じられる。  生暖かく粘性の高い液体に包まれたかのような、ぼんやりとした感覚。  その感覚は、母胎回帰願望のもとになるような、人間が根源的に求めている感覚なのかな、と思えるくらいの。  心地よさ。  たぶん、その夢の中で、私は誰かの胎内にいたのだ。  その誰かは、私のことを優しく包み込んでいて。  きっと、私はその特別な存在に見守られていたのだ。  その感覚以外のコトを思い出そうとすると、その内容は雲を掴むかのように消えていく。  いやもしかしたら、初めからこの感覚以外には何もなかったのかも。  そう、思えるくらいの夢。  夢らしい夢の記憶。  それでも何度か、私はベッドの上で横たわったまま、夢の内容を思い出そうと頑張ってみる。  やっぱり何も思い出せない。  さらに頑張っても、まどろっこしい感覚だけが積み重なっていく。  だから私は、夢を思い出すことを諦めた。  そして、夢の内容を思い出すことを諦める代わりに。  私は、ベッドから上半身を起こした。  まず目に入ったのは、クローゼットだ。  クローゼットのドアハンガーに制服が掛かっている。  夏の期間に着ることになる白いセーラー服。  私が通う霧見市立南高校の制服だ。  通称、南高校なんて言われている、そんな高校だ。  その制服が、掛けられているのが見えた。  それらは昨日の夜から、何一つ変わっていないはず。  だけど、今朝に限っては、それにどこか違和感のようなものがあった。  まあ、そんな私の感想は置いておくとして…  次はとりあえず、自室のカーテンを開けて、外を見ることにした。  完全に目が覚めていない、気だるい身体。  それを引きずるように、ベッドから起こした。  地面に立つ。  まるで初めて歩いたかのような錯覚を感じる。  それは、赤ちゃんかと思わんばかりの。  …でも、これから私は、あのカーテンのある窓へと向かわなきゃいけない。  歩く。  そして、カーテンを手にする。  シャー。  カーテンレールに沿ってカーテンが動く音が周囲に広がる。  窓から見えるのは、低く垂れ込めた曇り空、霧のように細く細かい雨だった。  霧雨。  まるで世界全体が薄い膜に包まれているかのようだ。  日光なんてものはどこにもなかった。  ああ、ジメジメしてる。  気温は高くないにしろ、じっとりと肌に着くような湿度。  その高い湿度によって、不快指数はマックスなのだけれど。  その灰色がかった空の下。  私の家がある新興住宅地の道を歩く女子生徒たちの姿が見えた。  みな同じように南高校の制服を着ている。  この街の中心部に位置する南高校は、霧見市内では中の上くらいの進学校だ。  特に際立った特色はないけれど、悪い噂もないわけだった。  女子生徒らの中には、傘を差している者もいれば、学校指定の紺のレインコートを着用している者もいる。  みな同じように前を向いて、同じ方向へ歩いていく。  その様子は、みな学校へと導かれているかのように見えた。  …そうか、彼女たちは部活の練習で早めに学校へ行くのか。  私は他人ごとのようにそこまで思考をした。  まるで遠い場所にいるような感覚が広がっていく。  それに寂しさを覚えた私は『ああ、私も学校に行かなきゃ』と無理やり自分に言い聞かせた。  ただ、その考えすら、どこか他人事に思えていた。  私の棲む家は、木造二階建ての一軒家だ。  それは、霧見市の新興住宅地の一画にある。  この街は地方によくある中規模の都市で、新しい住宅地と古くからの住宅街が混在していた。  特筆すべき特徴のない、日本のどこにでもあるような地方都市だ。  そんな地方都市で、両親が建てた家に私は住んでいる。    その両親は共働きで、仕事に忙しい。  それは私が高校に進学してから、それがより顕著となった。  今では、二人とも朝が早くから自宅を出る。  そして、帰ってくるのはいつも夜遅く。  休日でさえ仕事に出かけていて、顔を合わせる機会は非常に少なくなっていた。  この家で、両親の存在感とは、とても薄い。  そして今、私のいる、六畳ほどの部屋。  白い壁紙とフローリングのどこにでもある部屋だ。  窓辺で透けるようなレースのカーテンが静かに揺れている。その奥には、深い紺色のカーテンが垂れ下がっていた。  ベッドの上には、さっきまで使っていた、白とグレーのストライプ柄の布団が見える。  枕元には、クマさんの人形が一つ、いつもの場所に座っている。  それは私が小さいころに買ってもらったものだ。  そのかわいらしいクマさんの黒い瞳が、じっと私を見つめているような気がした。  学習机の上には、教科書や参考書が積まれている。  私が勉強するために書いたノートも一緒にあって、勉強机という感じがあった。  だけども、隣にある本棚には、私が読んできた少女漫画や恋愛小説が詰め込まれている。  これまでに読んできた物語。  それは私が選んでいるもののはずだ。  私の好み。  私の趣味。  そのはず。  だけど、本当にそうなのだろうか、と今、ふと思うほどにしっくりと来なかった。  そんなはずはないのだけれど。  そのまま私は、枕もとにあるスマートフォンを見る。  充電中だ。  スマホを手に取った。  そのまま、無意識に目覚ましアラームの設定を解除する。  その時に見ると、私のスマートフォンには通知履歴がほとんどないことに気がつく。  画面に映る時刻の数字だけが、はっきりと見える。  友人は少ない。  だけど、それでいい。  私は、内面の自由が最大限欲しいと思うタイプなのだ。  だから、スマホに入っている連絡先は少なく、必要最低限のものばかり。  それは私らしい、と思った。  クローゼットの中には、シンプルな私服が整然と並んでいるはずだ。  服は必要最低限のものばかりで、すべてが落ち着いた色合いを選んでいる。  服を派手にして人の気を引くのは、あまり好きではないのだ。  そのクローゼットのドアハンガーには、夏のセーラー服とプリーツスカートが揺れていた。  着替えられるのを待っているかのように。  私は小学生の頃から、身の回りのことは自分でやってきた。  そのせいか、部屋の中はきちんと整理整頓されている。  でも、その几帳面さは本当に私が意識して身に着けてきたものなのだろうか?  たとえば、両親不在が多かったから、自然に身に着いたのかもしれないし。  もしかしたら、細々とした作業が好きなのかもしれない。    そして、この部屋は静かで落ち着いた、ごく一般的な女子高校生の部屋と他人事のように感じた。  いつもと同じはずなのに。  それらがどこか遠くにある展示品のように見えた。  まるで、ショーウィンドウの向こう側にある、私でない誰かの理想が具現化した部屋みたい。  ああ、そんな変な感じを持っている、今の私は何か…。  ちょっとおかしいかも。  朝から疲れているのかな。  私は首を振った。  茶髪の髪が揺れる。  私は地毛が茶色の髪の毛だ。  だからこれは決して、染めたものではない。  茶髪がちょっとした誤解を招くこともある。  だけど、少なくとも今の学校では何も言われることはない。  そういえば、私の天然茶髪について、私によく話しかけてくる同級生からは、とても綺麗だと言われていた。  そして、その短めの髪が似合ってる、とも。  何度か同じことを言われた。  だけど、私はそうは思っていなかった。  たしかに私は、髪をショートボブの長さに切り揃えている。  しかし、その理由は手入れを手短にするためだ。  私は、制服を手にして、着替える。  ボタンを留める。  いつもよりセーラー服の襟元が首に触れる手の感触が、やけに生々しい気がする。  まあ、でも気のせいだろう。  今日の私はどこか感傷的なのかもしれない。  思考を切り替える。  そして、制服へと着替えた。  私は部屋から出た。  2階の廊下。  そこは、木目の美しい床と真っ白な壁に囲まれた通路だ。  霧雨に濡れた窓からは、曇った光が薄く差し込んでいた。  その光が廊下全体をぼんやりと照らしている。  その廊下へと一歩を踏み出す。  足元のフローリングが微かにきしんだ。  2階には私の部屋と、妹の部屋がある。  妹の名前はカナ。  北野カナ。  私たちはずっと一緒に暮らしてきた姉妹だ。  当たり前のことなのに、なぜだかそう確認したくなった。  カナは、背格好も似ている。  双子ほどではないけれど、じっくりと比較すると、それなりに似た容姿だと思う。  私が茶髪で、カナは黒髪なのを除けば。  もっとも、私とカナの一番の違い。  明るく誰にでも話しかけるようなカナ。  それは、内向的な私とは対照的だった。  その性格の違いによって、私たちの雰囲気は結構違う気がする。  カナの部屋の扉には『カナの部屋』と書かれたパステルカラーのプレートが下がっている。  ピンクがかった可愛らしいデザインだ。  見ているだけで、妹らしい雰囲気が伝わってくる。  そう、こういったところ。  私なら、このプレートは選ばないかな。  高校生になっているのだ、もうちょっと落ち着いた色合いがいいかもしれない、と私なら思う。  だけど、カナはこういうのがいいらしい。    私は、階段へと視線を移す。  1階に降りるには、この階段を使うしかない。  ちょっと、薄暗い。  だけど照明をつけるかといえば、それは面倒だ。  私は、階段をゆっくりと一段ずつ降りていく。  階段を下りる足音が大きく周囲に響くように聞こえた。  それに合わせて、制服のスカートの裾が揺れる。    足を踏み外さないように慎重に。  そして、階段を降り切った。   そのまま、1階の廊下に降り立つ。  と、すぐに人の気配を感じた。  もうこの時間、両親は家を出ている。  だから、カナがリビングにいるんだろう。  そして、朝食の支度をしているに違いない。  1階の廊下も2階と同じように、ちょっと薄暗かった。  照明をつけるべきかちょっと迷ったけれど、階段でも使わなかったのだ。  今更、つける必要もない。  いい加減に、私の目もこの薄暗さに慣れつつあった。  リビングから漏れている明るい光に導かれるように、私は廊下を進んだ。  リビングのドアが見えてきた。  近づくと、中から可愛らしい鼻歌が聞こえる。  思わず微笑みながら、私はドアに手をかけた。  開けると、キッチンでカナが立っている姿が目に入った。  制服の上から白いエプロンを着けている妹の後ろ姿。  その姿は、いつも見ているはずなのに、今朝は特別に印象的に見える。  リビングにあるテーブルの上には、すでに朝食が並んでいた。  こんがりと焼けたトースト、ふんわりとした卵焼き、みずみずしい野菜のサラダ。  この家のリビングは、ダイニングキッチンだ。  だから、リビングに入るとキッチンで料理をしているカナの姿がよく見えた。 「お姉ちゃん!おはよう!」  振り向いたカナの笑顔が、輝いているように見えた。 「おはよう、カナ。」  返事をしながら、私は少し申し訳なく思う。  朝食の支度を全部任せっきりにしてしまって。  本当は私が作るべきなんだけど。 「お姉ちゃん、今日の朝ごはん食べてみて。卵焼き、甘めにしてみたの。」 「ありがとう、カナ。」  カナの言葉に、私は柔らかく答えた。  私は、リビングのテーブル席に着いた。  じっと見る。  いつも、私とカナが向かい合って座るテーブル。  それは、シンプルでありながら、優しい木目が美しい。  テーブルの上には、お皿が置いてあって。  そこには、カナの作った朝食がすでに配膳されている。  特に変わったことはないはずなのだけど。 「お姉ちゃん、考え事?」  カナの声で我に返った。テーブルとセットになっている木製の椅子に腰掛けながら、私は首を振った。 「ううん、なんでもない。」  やっぱり、今日の私はどこかおかしい。  夢を見ている、その睡眠は浅いらしい。  ということは、今日の私はぐっすりと眠れていないのかな?  カナも私の向かいの椅子に座った。  エプロンを外した制服姿の妹。  私と同じ学校の同じ制服。  いつも通りのカナ。  その見慣れているはずの光景。  でもそれが、どこか新鮮に見えた。 「いただきます。」  カナが元気よく言った。 「…いただきます。」  私もそれに合わせた。 「お姉ちゃん、今日、雨だね。」  窓の外を見ながら、カナがそう言う。灰色の空から霧雨が降り始めていた。 「うん。雨、降っているね。」  私も窓の外を見ながら返事をした。  そして、視線を落として卵焼きを口に運ぶ。甘みが程よく、ふんわりとした食感。上手く作れているな、と思った。  カナはトーストを手にして、おいしそうに頬張っていた。  その姿は可愛い、と思った。 「ああ、そういえば…。」  突然、カナが夢の話を始めた。 「なに?」 「昨日ね、お姉ちゃん、面白い夢を見たの。」 「どんな夢?」 「お姉ちゃんとずっと一緒にいる夢だったの。」  その言葉に、私は一瞬、食べる手を止めた。 「それって、今みたいな感じ?」 「うん、でもね……。」  カナの言葉が、ふわりと宙に溶けていく。窓の外では、霧雨が少し強くなったような気がする。 「でも?」 「なんだろう。よく覚えてないの。でも、とっても大切な夢だった気がするの。」  カナの声。  朝の静けさの中で、そのカナの言葉が妙に響いたような気がした。  それは、どこか切実な雰囲気があるようにも聞こえる。 「そっか…。」  私はそれ以上、何も聞けなかった。  なぜだろう。聞いてはいけない気がした。  もし、聞いてしまうと…。  いや、そのことすら考えたくない。  そんな不思議な感覚に包まれた。  だから、私はそのまま、私とカナは何気ない会話をした。  そして、朝食を終えると、カナは手早く食器を片付け始めた。 「お姉ちゃん、あとは、私が片付けておくから。早く支度してきてね。」 「ごめんね、任せっきりで。」 「いいの、いいの。早くしないと遅刻しちゃうから。」  カナの言葉には、いつもの優しさがあった。  でも、今朝に限って、その優しさが重たく感じられた。  重いに押しつぶされるような。  それはまるで、首が絞められるような錯覚を感じる。  そんなこと、ありはしないのに。  逃げるように、私は立ち上がった。  そのまま、リビングを出る。  その時、ふと聞こえてくるカナの鼻歌。  その音が、どこか遠くへ消えていくような気がした。  私は、駆け込むように洗面所へと着いた。  そのまま行けば、バスルームだ。  だから、ここは脱衣室も兼ねていた。  そこには洗面台、洗濯機、その他のゴマゴマとしたものが置いてあるのだ。    私は、洗面台の鏡の前に着く。  私はそこで、さっさと用を済ませることにした。  すでに朝食の後片付けをカナにさせている。  これ以上、待たせるのは申し訳ない。  蛇口からは水が出る。  当たり前といえば当たり前だ。  ふと、冷たい水が肌に触れる感覚が気になる。  普段なら何とも思わない感触が、いつもより強く感じた。  それで目が覚めたかのように、私は反射的に鏡に映る自分を見る。  茶色い髪のショートボブ。  大きな黒い瞳。  制服姿の女子高生。  いつもの私のはずなのに、どこか他人のような気がして、思わず目を逸らしてしまった。  その違和感を気にしないように、私は作業へと集中することにした。  しかし、その違和感は完全に消えることはなかった。  そして、すべての支度を終えた私は、リビングに駆け込むように戻った。 「おまたせ、カナ。」  リビングに着いたので、カナに声をかけた。  すでにカナは、朝食の片付けを終えていた。  キッチンがピカピカに片付いている様子に、ちょっとだけ申し訳なさが込み上げる。 「お姉ちゃん、もう支度できたの?」  カナが振り返って、明るく笑いかけてきた。  私と似たような容姿。  だけど、黒髪の彼女は、私の雰囲気とは正反対。  カナの見せる笑顔に、少し眩しさを感じた。 「うん、大丈夫。」  そう答えながら、私は今感じたことを振り払おうとした。  変な考えは、全部忘れよう、と。  それでも、目の前にいるカナの存在は、どこか特別に感じられた。 「じゃあ、一緒に学校へ行こう!」  カナの声が弾んでいる。彼女は、すでに通学用バッグを用意していた。  私の分もある。  どうやら、準備してくれているみたいだった。  窓の外では、相変わらず霧雨が降り続いていた。  玄関に向かうと、傘立てに私たちの傘が並んでいた。  私の紺色の傘とカナのパステルピンクの傘。    そして、玄関にあるハンガーにはレインコートが吊るされている。  私たちは、それを手にした。  学校が指定するレインコート。  それはあまり人気があるものじゃなかった。  デザインとか色とか。  私はその紺の色合いが落ち着いていていい、とは思うのだけど。  ただ、デザインについて、とても可愛いものではないことは分かる。  それに機能的じゃないし。  実際、カナはこの雨具を着るのが嫌だという。  でも、今日みたいな日には、着用するみたいだ。  玄関にある傘立て。  その中で、私の紺色の傘とカナのパステルピンクの傘が並んでいた。  いち早く紺一色の姿になった私は、通学用のレインブーツへ履き替える。 「お姉ちゃん、着るの早い!」  レインコートを着るのに苦戦しているカナ。  まだ、ちょっとかかりそうだ。  私は玄関の扉を見つめる  きっと、このドアの向こうには霧雨に煙る世界が広がっている、と思った。 「カナ、そんなに急がなくてもいいの。それより、忘れ物ない?」 「うん!全部確認済み!」  元気のいい返事。カナらしい明るい声。  その時、カナはようやく、すべてを身に着け終わった。 「それじゃ、行こう!」  傘を手にしたカナは、威勢よく玄関の扉を開けた。  そのまま玄関を出ると、湿った空気が私たちを包み込んだ。  霧雨は相変わらず降り続いていて、通学路の街並みをぼんやりと霞ませている。  傘を開くと、細かな雨粒が紺色の傘に静かなリズムを刻み始めた。  私たちは並んで歩き始める。いつもの通学路。  見慣れた風景のはずなのに、今朝はすべてが違って見える。  道端の街路樹も、住宅のブロック塀も、霧雨のためなのか霞んで見える。 「お姉ちゃん、急がなきゃね。」  カナがパステルピンクの傘を開きながら言う。  その傘とカナの存在だけが、灰色の風景の中で、やけに鮮やかに浮かび上がって見えた。  それはまるで、この世界に属していないもののように。  雨に濡れた道は、私たちの足音を吸い込んでいくみたいだった。  前を歩く制服姿の生徒たちが、まるで霧の中に溶けていくように見えた。 「ねえ、お姉ちゃん。」  最初の交差点で信号待ちをしているとき、カナが突然呟いた。 「なに?」 「私ね、さっきの夢のこと、もうちょっと思い出せた気がする。」  カナの横顔。レインコートから出ている顔に彼女らしさが見えた。  その遠くでは、信号機の赤い光が、霧雨の中でぼんやりと揺らめいている。 「どんな…夢だったの?」  その言葉は自然と口をついて出ていた。  でも、話した後に気がついた。  なぜだろう?  分からないが、これ以上、カナからその話を聞いてはいけない気がする。 「うんとね…。」  カナが言葉を探すように空を見上げる。  傘の先から、雨粒が一筋、こぼれ落ちた。  パステルピンクの傘の縁を伝って、しずくが静かに落ちていく。 「私たち、ずっとずっと一緒にいたの。でもね…。」  信号が青に変わる。  カナの言葉は、その変化と共に途切れた。  まるで、霧雨の中で青信号の光が周囲に溶けていくように。 「急がなきゃ。また後で話そうよ。」  そう言って、カナは足早に横断歩道を渡り始めた。  レインコートの裾が揺れていた。  私も慌てて後を追う。彼女の背中が、霧雨の中で少しずつ遠ざかっていくように見えた。  前を歩く他の生徒たちの姿が、灰色の世界でぼんやりと浮かび上がっている。  女子生徒たちが着ている白いセーラー服と黒いスカート。  それらは、まるでこのモノトーンの世界にあるべきモノのように、とても馴染んでいた。  その中でも、カナの姿だけが異様にはっきりとしていた。  私たちの足音は、湿った地面に吸い込まれていく。  まるで、この世界が私たちの存在を飲み込もうとしているみたいに。  でも、カナのパステルピンクの傘だけは、この曇天の世界に飲み込まれないように、唯一抵抗しているかのようで。    だけど、その鮮やかさからは華やかさというよりも、どこか切なさを感じさせた。  それはまるで、すぐにでも消えてしまいそうな、儚い色みたいだったから。
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