あなたと見る空は、いつも霧雨

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第二話  気がつくと、校門が見えてきた。  そこは、私たちの学校、霧見市立南高校だった。  校門より先に見えるのは、鉄筋コンクリート造の校舎。  白い塗装がされている。  どこにでもあるような校舎だ。  ただ、この朝からの霧雨の中で、周囲は薄暗い。  校舎から漏れる光。  その光が、どこか何か力強いものに見えた。  私たちの学校は、三つの校舎から構成されていた。  まず、中央には教室棟となる中央校舎がある。  中央校舎は三階建ての四角い建物で、私のクラスがある普通教室が並んでいる。  その北側には特別教室が集まる北校舎があって、そして南側には体育館があった。  中央校舎と北校舎は、二階の渡り廊下でつながっている。  そして、北校舎には、音楽室や美術室といった特別教室、それに文系の部室などが集まっている。  同じように中央校舎と体育館は、一階の渡り廊下を通っていくことが出来た。  きっと、全国のどこにでもある平凡な学校なんだろう。  だけど、どうしてだろう?  今日に限っていえば、学校から、奇妙な既視感を覚えた。  それは、昨日とか今日とか、そんなんじゃない。  まるで、永遠に続く夢の中。  何度も何度も…。  校舎に通っていたような、そんな言いようのない感じを受けた。 「お姉ちゃん、ボケっとしていると危ないよ。」  カナの声に我に返る。  …ああ、そうだ。  毎日、この校舎に私は通っているのだから。  この感覚は普通なんだ。  私は、強引にそう思い込んで、この奇妙な感覚を振り払った。  校門をくぐる。  周囲には、生徒たちが次々と通り過ぎていく。  制服姿で傘を差している生徒が、ほとんどだった。  私とカナのように、しっかりとレインコートを着ている生徒は少数派のようだった。  たしかに、この霧雨の中で白と黒を基調とした制服は、不思議なほど調和しているのように見えた。  その中で、カナのパステルピンクの傘だけが、異様に鮮やかに見えた。  まるでモノクロの世界でそこだけカラーの絵の具で描かれているかのような。  そんな艶やかな感じがあった。  中央校舎に向かって歩いていく。 「お姉ちゃん、私はこっちの昇降口から行くね。」  校舎内に入る直前だった。  カナはそう言った。  彼女らしい、いつもの明るさ。 「またね。カナ。」  私がそういって手を振る。  カナは、別の入り口へ向かっていった。  彼女は学年が下なので、そちらの入り口のほうが便利なのだ。  パステルピンクの傘が、どんどん小さくなった。  まるで華やかな中心が遠ざかっていくかのようにも見えた。  その鮮やかな中心が、ぼんやりと周囲の霧の中へと溶けていくような、そんな感じすら覚える。  その様子を最後まで見ることなく、私は移動を始める。  私は昇降口へと向かった。  入り口から校舎内へ入る。  白い光。眩しい。  中に入ると、蛍光灯の光が目に染みた。    そのまま靴箱へ向かう。  周囲には、私と同じような生徒たちがいる。  制服の擦れ合う音、おしゃべりの声、それらが彼らの存在を物語る。  その中を、私は進む。  そして、靴箱の前に立つ。  私はそこで、レインコートをゆっくりと脱いだ。  紺色の布地から、雨の雫が床へと落ちていく。  つぶつぶとした水滴が、蛍光灯の光を受けて輝いている。  私は周囲にそれが広がらないように注意深く気をつける。  そして、私はレインブーツから、上履きに履き替えた。  白を基調としたスニーカータイプの上履き。  少しかかとが擦り減っているけれど、まだ清潔感は保っている。  私は階段へと向かう。  廊下を進む。  ふと見る。  相変わらず、窓の外は薄暗い。  それに対して、廊下や教室にある蛍光灯は明るい。  その白い明りの下を私を含む生徒が通過している。  朝の校舎特有の賑やかな雰囲気と雨。  それらが合わさって、なんとも言えない雰囲気を作り出していた。  階段を上がる。  私の周囲には、元気よく一気に駆け上がる男子生徒達が見えた。    それに臆することもなく、自分のペースを保つ。  階段を登りきると、窓から外が目に入る。  相変わらずの霧雨。  教室の窓から向こうから見える街並み。  窓に付いた無数の水滴で、それがにじんで見えた。  二階の廊下を進んでいくと、私のクラスがある教室の前まで来た。  ドアの向こうから、同じクラスの子たちの話し声が漏れてくる。  高校生らしい明るい声、笑い声。  でも、今の私には、それらの音が不思議と遠く感じられた。  教室のドアに手をかける。  開けると、窓際の席で一人の少女が空を見上げていた。  腰まで伸びている長い黒髪が艶やかに見える。  南野スズカ。  周囲から、彼女は『お嬢様』と呼ばれている。  たしかに、彼女の前髪は眉で綺麗に切り揃えられていて、艶やかな黒髪は長い。  すらりとしたスレンダーな体型や、長い脚。  たしかに、彼女はお嬢様のような感じだ。  …いや、違う。  彼女はお嬢様のような、ではない。  正真正銘のお嬢様なのだ。  というのも、この地方都市の古い住宅地のほうにある、大きな屋敷。  そこに彼女の実家があるらしい。  らしい、というのはそういう噂を周囲の話から盗み聞いただけだからだ。  私は静かに教室の中へと足を踏み入れる。  蛍光灯の光が、私を眩しく照らす。  ふと、スズカさんが私のほうへ視線を向けた。  その瞬間、私は彼女の存在の特別さを改めて感じる。  他の生徒たちが霧のようにぼんやりと見えるのに対して、彼女の姿だけがくっきりと、まるで別の世界の存在のように見えた。  同じような制服で、みなと同じような白と黒の世界にいるはずなのに。どうしてだろう?  スズカさんが特別だ、と私が見ているだけなのか?  …分からない。  私は自分の席へと向かう。  ちなみに私の席は、スズカさんの後ろだ。  スズカさんは、私の席の前へ座っていた。  ニコニコとこちらを見ているスズカさん。  顔を合わせて、自席へと近づく。 「ごきげんよう、ハルナ。」  ご機嫌な様子のスズカさん。 「おはようございます、スズカさん。」  小さな声。  なんだか、気恥ずかしい。  私はスズカさんをじっと見れない。  そのまま、そそくさと鞄を自分の机の上に置いた。  スズカさんは、私の姿を追ってきた。  そして、自ら座る席を横に向ける。  後ろの席である私が見やすいようにしているのだろう。 「ハルナ?」 「は、ハイィっ?」  思わず、声がうわずる。  スズカさんは、完全にこちらを向いていた。  真剣な様子のスズカさん。  切れ長の目、長い睫毛、白い透き通るような肌。  通った鼻筋に整った顔立ち。  何をしても彼女がすれば、どこか優雅な立ち振る舞いに見える。 「私のことは呼び捨てのスズカで良い、と何度か言ったはずよ?」  スズカさんのちょっとした、私への抗議。 「ええと、はい。すいません。スズカさん。」  椅子に腰かけながら、反射的に私は、そう答えてしまった。  結局、「さん」がついてしまう。それは私の几帳面な性格のせいかもしれない。 「もう。ハルナったら。…まあ、ハルナが呼びにくいなら、それでいいわ。」  そういってどこか不満げに見てくる、スズカさん。  でも、長い睫毛と深い瞳が、彼女の心情を表現していた。  私は、あなたにだけへ興味がある、と。 「ハルナ、あなたは本当に几帳面なのよね。」  後ろを向いたままの姿勢で、スズカさんは私の席にもたれ掛かってきた。  私は思わず顔を上げる。 「え?」 「だって、制服だって完璧に着こなしているもの。スカートの丈も規定通り。」  スズカさんは、うっとりとした様子で私の様子を見ている。  その言葉に対して、私は無意識に自分の制服を見てしまう。  確かにスカートの丈は規定通りで、襟元もきちんと整えている。  余計な装飾品なども一切つけていない。 「そうですね…。派手なのは、私には似合わないと思って。」 「そんなことないわよ。ハルナ、あなたはとても綺麗なの。おしゃれをすれば、何を着ても似合うと思うのよ。」  スズカさんの言葉に、私は思わず顔を上げた。  蛍光灯の光が支配する教室。  そこにいる、スズカさんは、何か特別な色彩が支配しているかに見えた。  教室の中は次第に生徒たちで賑やかになっていく。  でも、その声も笑い声も、どこか遠くで響いているように感じられた。  この空間で確かなものは、スズカさんの存在だけのような気がする。 「あの、スズカさん…。」  私が何か言いかけた時、チャイムが鳴った。  朝のホームルームが始まる合図。 「じゃあ、また次ね。ハルナ。」  スズカさんは前を向いた。  その美しい後ろ姿を私は見ながら、私は今朝からずっと感じている違和感について考えていた。  でも、それが何なのかは分からない。  ただ、この教室の中で、スズカさんの存在だけが、どこか特別に輝いて見える。  まるで、彼女を中心にして、この世界が回っているかのようだった。  それはカナのパステルカラーのような色彩と似ているのだけど。  なぜか、全く違う質感のように思えた。  いつの間にか、教室には担任の教師が着ていた。  ホームルームが始まる。  教師の声が、どこか遠くから聞こえてくるように感じた。  窓の外では相変わらずの霧雨。  窓ガラスを細かく叩く雨粒の音。  それは静かで、でも確かな存在感を持っている。  まるで、この教室の空気が少しずつ湿っていくかのよう。  ふと、スズカさんの方を見る。  彼女は真面目に先生の話を聞いている。  長い黒髪が、蛍光灯の光を受けて、どこか神々しく輝いているように見えた。  ホームルームが終わり、一時間目が始まろうとしていた。  私は教科書を机の上に出す。  ふと、前を向いた時、スズカさんが振り返って私を見ていた。  彼女の黒髪が、その動きに合わせて優雅に揺れる。 「ハルナ。」  小さな声で、スズカさんが私の名を呼んだ。 「はい?」 「そういえば、具合は大丈夫?…少し顔色が悪いように見えたから。」  スズカさんの言葉には、どこか特別な響きがあった。  まるで生まれる前から、私のことを知っているかのような。  そして、その気遣いは、私の体調の変化を、誰よりも敏感に感じ取っているかのようだった。 「え?ああ、大丈夫です。」  私は慌てて答える。  確かに今朝は少し変な感じがしていた。でも、それはスズカさんに相談するようなものではない。 「そう?なら良いけど…。」  スズカさんは心配そうな表情を浮かべている。  そこには、私への強い関心。  それと表裏一体の不安そうな感じが見て取れる。  しかし、そこで教科担任が教室に入ってきた。  スズカさんは一瞬、残念そうな表情を見せてから、前を向き直る。  私は教科書のページをめくりながら、スズカさんの後ろ姿を見つめていた。  スズカさんの長い黒髪、白いセーラ服が、蛍光灯の光を受けて艶やかに輝いている。  白と黒。  周囲と同じ服装。  二色しかないような世界のはずなのに。  彼女の存在感は、特別のように感じられる。  スズカさんの周囲だけが確かな色を持っているかのように見えるほど。  それは、まるでこの教室という空間そのものが、彼女を中心に存在しているかのようにも思えるくらいだった。  そんな不思議な感覚が、私の中でますます強くなっていく。  窓の外では霧雨が続いている。  雨の音。  私はそちらのほうを向いた。  細かな雨粒が窓ガラスを伝っていくのを、私はぼんやりと眺める。  その透明な雫は、まるで私の中にある違和感のように、形を成さないまま流れ落ちていく。  何か、大切なことを忘れているような。でも、それが何なのかは思い出せない。  遠くから、教師の声がぼんやりと聞こえてきた。  …そうだ、今は授業中だった。    ぼんやりとしていた、私は授業へ集中しなおす。  私は徐々に先生の主導する授業の世界へと入っていった。
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