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第三話
教室。
授業中だった。
どこかぼんやりと授業を聞いていると、チャイムが鳴った。
それは授業を終わらせる音だった。
「はい、今日はここまでです。」
先生はそう言った。
そして、そそくさと教室から出る準備を始めている。
教室内が騒がしくなった。
午前中の授業は全て終わりだ。
これから昼休みが始まる。
「ハルナ、食堂へ行きましょう?」
スズカさんは、立ち上がってそういった。
早く、一緒に行きたい。
そんな様子だ。
「はい、そうですね…。」
返事をする私の声は、消え入るような感じだったのかもしれない。
でも、スズカさんは満足そうに微笑んだ。
そして、席から上がろうとした私の手を取った。
スズカさんの長い黒髪が、その動きに合わせて優雅に揺れた。
スズカさんと私は、教室から出て食堂へと向かう。
昼休みらしい雰囲気の教室から抜けだす。
廊下は、窓からの灰色の光で満たされていた。
外の天気はまったく変わっていない。
廊下に満ちるのは、人工の光だけ。
その光のなかでスズカさんと隣り合って進んでいく。
隣にいるスズカさんは、私にいろいろと話しかけてくる。
私はそれに面白い返しが出来ない。
けれども、おかまいなしにスズカさんは話を続けてきた。
いいのだろうか?
そんなことを思いながら進んでいると、やがて階段に差し掛かった。
1階へと降りるのだ。
「ねえ、そういえば。ハルナ?」
一緒に階段を下りていた。
スズカさんは、私の隣で楽しそうに話を始める。
「はい。何でしょうか?」
「この階段の噂を知ってる?」
「え?いいえ。」
「あのね、これは噂なんだけど。」
スズカさんは、これから何か面白い話をしよう、としている様子。
「…放課後の5時13分に、今、この歩いている階段で躓く、と。…するとそのまま、あちらの世界に引きずり込まれる、って話なんだけど。聞いたことはある?」
「ないです。」
学校の怪談。
オカルトな話だと思った私は、簡潔にそれだけ答えた。
そして、思った。
これだと、なんだか私が彼女との会話を拒否しているみたいだな、と。
私は隣にいるスズカさんを見る。
相変わらず、こちらの様子を微笑みながら見ていた。
スズカさんが気にしていないようで良かった、と思った。
「怖がらせちゃったかしら?でも、この話、面白いと思うのよ。」
「そうでしょうか?私は、ただただ怖いと思います。」
「ハルナは怖がりさんね。だけど…。」
さらにスズカさんによる怪談話は続いていた。
彼女は、いつもこんな感じでオカルトな話をしてくる。
今、話している学校の怪談から、ネット上にある都市伝説のような噂話まで、幅広い。
オカルトが大好きなお嬢様。
それは、私の知っているスズカさんの意外な一面だった。
私は少し考え込んでしまう。
どうして、そんな話が好きなんだろう、って。
好奇心なのかな?
私とスズカさんが、そんな話を続けていると。
やがて、階段は終わった。
一階に着いたのだ。
そのまま、食堂へ向かう廊下を進む。
「ねぇ、ハルナ?」
私に話しかけるスズカさんはクスリと笑う。
その笑顔には、ちょっぴり意地悪な色が混ざっているような気がした。
「こういう怪談や都市伝説って、面白いでしょう?」
髪を掻き上げながら、スズカさんは続けた。
その姿は、まさに令嬢のようなもの。
でも、その話す内容は意外にもオカルトチックな話ばかり。
その不思議なギャップに、私は少し笑ってしまう。
「ああっ。ハルナ。今の顔、とっても綺麗。」
突然のスズカさんの言葉に、私は慌てて首を振る。
そんなことはない、と。
スズカさんのほうが、私なんかよりもずっと綺麗だと、思う。
「…あっ。スズカさん。食堂です。」
私は話題を変えるため、遠くに見えてきた食堂を指さす。
学生でごった返しているのが見える。
「混んでいるわね。」
「いつも通りです。」
そんな感想を口にしていると、食堂の入り口へと到着した。
外の天気の悪さとはうって変わって、天井の蛍光灯が明るく食堂という空間を照らしていた。
心なしか、さきほどまでいた教室よりも明るい感じがする。
それはどうしてだろう?
食堂の内装のせいだろうか?
…いや、内装は白い壁や天井で教室と同じだ。
だとすれば、教室よりも食堂が広いからかな?
そうかもしれない。
だけど、それだけじゃない。
それはたぶん、ここに満ちている雰囲気かもしれない、と思った。
まず、賑やかな食事スペース。
そこでは、いち早く教室から出ていった生徒たちが、一足早い食事を始めている。
みんなおしゃべりをして食事をしている。
次に、トレイを持った生徒の列があって。
それを目で追うと。
料理を受け取る、カウンターへと続く。
カウンター越しには調理場だ。
清潔感溢れる調理場には、白で統一されたように見える調理員の姿がある。
活気に満ちているんだ、ここには。
「ハルナ、これを。」
スズカさんは、配膳用のプラスチックトレイを私へ渡してきた。
…ああ、そうだ。
これを取って、列に並ばないと。
「ありがとうございます。」
私とスズカさんは、トレイをもって行列の最後に並ぶ。
スズカさんは、私に話しかけている。
その話に相槌を打ちながらも、私の意識は、どこかぼんやりしていた。
私の目線は、ふらふらと動く。
話しかけているスズカさん。この列。
列の先にあるカウンター。
そして、カウンターの向こう側にいる調理場へと目線が動く。
調理場では、白い衣類を着た調理員が手際よく作業している姿が見えた。
本当にてきぱきと動いている。
…ただ、その技量をもってしても、この列は完全に捌き切れていない。
その光景を見ながら、私は考えた。
職員たちは毎日、大勢の生徒たちの昼食を作っているのだ、と。
しかし、一方で違和感も感じた。
既視感。
それは今日、昨日といったものではない。
入学前、いや、この光景を生まれる前からずっと見てきたような。
なにか奇妙なもの。
違和感だった。
「ハルナ?」
スズカさんの声で我に返った。
「あ…。すみません。ぼんやりしてました。」
「また考え事?ハルナって、よく物思いにふけるわよね。」
スズカさんは、そう言って微笑んだ。
長い列を待つ。
その間にも、スズカさんのオカルトな話、そして、私の容姿を誉めるような話をしている。
だけど私は…。
そんな彼女から振られる話題をうまく発展させることができない。
スズカさんは、こんなつまらない私と一緒にいて何が面白いのだろう?
ふと、そう思った。
「ハルナ。困ったような顔をしているわよ。」
「…そうでしょうか?」
「そうよ。ハルナはもっと自信を持たないと。」
そんなことを話していると。
ようやく、という感じで私たちの番になった。
「日替わり定食でお願いするわ。」
スズカさんはそう職員に話しかける。
ただの学生食堂なのに、彼女が話しかけると。
まるでここがおしゃれなカフェテリアのようにも見えた。
そんな様子に圧倒されていると、私の番になった。
メニューをよく確認していなかった。
どうしようかな。
「…私も日替わり定食で、お願いします。」
結局、私はスズカさんと同じ定食にした。
そのまま、トレイをカウンターに置いて移動する。
すると流れ作業のようにトレイへ料理が置かれていく。
白いご飯、こんがりと焼けた豚肉の生姜焼き、みずみずしい千切りキャベツ。
そして透き通るような味噌汁と色とりどりのミニサラダ。
お茶碗やお皿、小鉢に盛り付けれた定食が、トレイに整然と並んでいく。
白い調理服を着た調理員の手さばきは素早く、まるで振り付けされた踊りのようだった。
ご飯をよそい、生姜焼きを盛り付け、千切りキャベツを添え、最後に味噌汁とサラダを配置する。
それをトレイの上で受けとったら、次に席を選ばなければならない。
周囲には、たくさんの生徒たちがいた。
話し声や笑い声に満ちた空間。
そこには、すでに昼食の時間らしい喧騒が広がっている。
ただ、今の私には、それらの音がどこか遠くに感じられた。
まるで水中で聞いているような、そんな感覚。
「ハルナ、向こうの窓際の席が空いているわ。」
スズカさんが指差したのは、窓際の席だった。
彼女の持っているトレイにも、もちろん私と同じ定食が並んでいた。
「分かりました。」
そのまま、私とスズカさんは、自然とカウンター横に置かれた箸置き場へ向かう。
清潔そうなプラスチック容器に、箸やスプーン、フォークなどが整然と並んでいる。
私はお箸を一膳を取り出した。
隣にいるスズカさんは、箸だけでなくナイフとフォークも取り出している。
この定食の内容で、ナイフとフォークを使うのかな?
ちょっとだけ、疑問に思った。
けれど、こうしたところがお嬢様らしいところなのかもしれない、とも思った。
「ハルナ、お水も入れましょう?」
「そうですね。」
給水機のある場所へ移動する。
透明なプラスチックのコップが、逆さまに重ねて置かれている。
そのおなじみの光景。
コップの一つ取り上げると、蛍光灯に透かされて微かに光った。
スズカさんが先に給水機のレバーを押す。
透明な水が、規則正しい音を立ててコップに注がれていく。
なんでもない動作。だけどそれすらもスズカさんがすると、まるでどこかの高級レストランで行うような儀式に見える。
続いて、私もレバーに手をかける。
冷えた水が、私のコップにも満ちていく。
トレイに載せられた定食と、今準備した箸と水。それらを手に持って、私たちは窓際の席へと向かう。
その場所へと向かって歩いていく。
やけに強く、周囲の光景が目に入る気がした。
蛍光灯の白い光が照らしている、教室よりも広い間取り。
広い窓。
しかし、同じような白い内装。
学校らしい、どこか無機質なつくり。
そこにある長い机で、生徒たちが昼食をしている姿がある。
しかし、それらの光景は、どこかピントの合っていないかのようにぼんやりとしているかのような。
どうやら、私の焦点は、隣を歩くスズカさんにだけあっているみたいで。
スズカさんを中心として領域だけが、はっきりとしていた。
「ここね。」
そういって、スズカさんは私の前にトレイを置いた。
私たちは向かい合って座った。
窓の外では相変わらずの霧雨が降り続いていて、曇ったガラスの向こうには灰色の世界が広がっていた。
しかし、なぜだろう。
ここで私はスズカさん以外の誰か、と。
その誰かと。
いつも一緒に昼食を食べていた気がした。
学校では、常にスズカさんと一緒の私。
だから、スズカさん以外の誰かと、私が一緒にいるはずもない。
あり得ないこと。
そう。
…なのだけれど。
私の感覚は違うと叫んでいた。
スズカさんはトレイに置かれた、定食を見ていた。
長い黒髪が揺れて、その動きに合わせて光を反射している。
「おいしそうね。」
スズカさんはそう言った。
しかし、私は思った。
日頃、お嬢様のスズカさんはもっといいものを食べているのではないのだろうか、と。
…たぶん、そうに違いないと私は思った。
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