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記憶の中の君はいつも、人に囲まれて笑っていた。男前というわけではなく、どちらかというと女性的な顔立ちをしていた。多くの学友たちの中にいても一瞬で君と分かるような輝きと、男性には珍しい柔らかさがあった。だが、君はそうした若者の活気の中にいても、春の光の中にいてもどこか漠とした影を落としていた。他の皆は気づいていなかったのだろうか。いや、気づいていたはずだ。君の表情を不意によぎる僅かな影と煌めきを捉えようと、誰もが試みたが、君は曖昧な微笑を返すだけだった。記憶の中のその微笑みが、今でも僕を疼かせる。
君と初めて対話した日を、今でも鮮明に思い出せる。あるジトジトとした霧雨が降っていた梅雨の日に、君を偶然図書館で見かけた。手にしていたのは、ドイツの作家で、それは僕がちょうど借りようと思ったものだった。僕は思わず話しかけてしまった。それまでに君と話したことがあったかどうかは分からない。おそらく、挨拶ぐらい交わしたことはあったのだろうが、それが僕の中の最初の君との記憶なんだ。君は驚いてはいたが、その表情の中に不快さは感じられなかったから、僕はなんだか嬉しくなって、君にそのまま話しかけてしまった。
「僕も、ちょうどその本を借りたいと思ってたんだ。」
「そうか。じゃあ君から先に借りるといいよ。僕はもう覚えてるからね。」
「いや。そんなに何回も読んでまた借りたいんなら、君がまず借りた方が良い。だって君はその本が好きで借りるんだから。僕はまだその本が好きかどうか分からないから、待つよ。」
すると君はクスリと微笑を洩らした。
「そうだね。好きだから、待てない。好きかどうか分からないから待てるんだ。」
僕の言葉がよほど気に入ったのか、クスクスと笑いながら立ち去ろうとした君を僕は思わず呼び止めた。
「もし良かったら、また僕がその本を読み終わった後、感想を話し合おうよ。」
君は返事をせず、無邪気な微笑みをこちらに向けて軽く右手を挙げた。その右手を挙げる仕草が僕は妙に気に入った。
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