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その病院の玄関を潜ったのは、もう夜の8時を回ろうとする時刻だった。
開いていた傘を閉じ、軽く振るってから畳むと傍に備え付けてある傘入れに放り込む。寒さの所為か手元が狂い、二度ほど枠の外側を滑ってしまったが、三度目にしてようやく先端が四角い囲いの内側を通り、収まるべきところに収まった。
「すみません、面会を希望したいのですが」
乱れたコートの前面を整えつつ、受付に進んで手続きを申請する。まだ年若い女性の事務員が、愛想の良い営業スマイルを浮かべて応対してくれた。
「ご家族の方ですか?」
「ええ、まあ、そうです」
「身分証のご提示をお願いしても宜しいですか?」
「どうぞ、マイナンバーカードです」
「ありがとうございます。それでは、こちらの用紙にご記入をお願いします」
差し出された受付用紙に必要事項を書き込んでゆく。手が小刻みに震えて中々上手く書けない。多少歪んでしまった字を見ても、事務員は嫌な顔ひとつ見せずに「少々お待ち下さい」とだけ告げて、テキパキと処理を進める。私はその作業からなんとなく目を逸らしつつ、今しがた自分が通った玄関の外へ視線を動かす。
昼間から降り出した雨は、未だ勢いを弱めず今も続いている。この季節の雨は、ただでさえ寒い気温を更に下げてしまう。私の手の震えも、きっとその所為で引き起こされているに違いない。
「お待たせ致しました」
ぼんやりと益体もないことを考えている内に手続きが終わったようだ。私は振り返り、再び事務員と目を合わせる。
「面会時間は、21時までです」
歯切れの良い言葉と共に差し出された面会カードとマイナンバーカードを受け取って、私はお礼の言葉もおざなりにそそくさと受付を離れた。
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