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二人ともビールで乾杯し、女将さんお手製の煮浸しや揚げ出し豆腐を味わう。
織原さんは「美味しい」と絶賛し喜んでいる様子なので、私も嬉しい気持ちになる。
だけど突然二人で飲んで、何を話したらいいかわからない。
いつものように可愛げのない無表情で、ひたすら飲み進めるしかなかった。
「……春野さんに話したかったことがあって」
そう話を切り出す織原さんに、ゴクリと固唾を飲んで身構える。
…………やっぱり、部署異動の話?
「……田中部長と青木さんの件は、俺に任せてほしい」
思ってもみなかった言葉に、グラスを持つ手が止まった。
……まさか、織原さんも二人の不貞行為を知ってたってこと?
「今まで気を揉ませて申し訳なかった。事を荒立てないでいてくれたことを感謝します」
それに、私がこの件について悩んでいたことをどうして知ってるんだろう。
「証拠は充分に揃った。年明けにも、二人を解雇する方針で動きます」
低く冴え冴えとした声と、冷淡な瞳にゾクッとする。
いつも温かく優しい雰囲気の織原さんの、こんな表情を見るのは初めてのことだった。
そして、容赦ない判断に衝撃を受ける。
「ちょっと待ってください。青木さん達、クビになるんですか?」
もちろん二人はあってはならないルール違反をした。
バレたら会社の信用問題にもかかわる。
だけどいざ解雇となると、正直言ってショックの方が大きかった。
「……………………」
「…………お人好し」
「え?」
織原さんは「なんでもない」と微笑む。
「……春野さんにそんな顔されたら、仕方ないな。一度だけ面談し、厳重注意をした上でチャンスを与えるよ。ただ、今まで通りのポジションで、ってことにはいかないけど」
「ご配慮ありがとうございます」
深々と頭を下げると、織原さんはまた笑った。
「そこ、春野さんが感謝するの違うでしょ」
楽しそうに笑う顔にまたときめく。
今日の織原さん、いつもと雰囲気が違う。
会社での彼も優しいことは違いないけれど、どこか目に見えない壁がある気がした。
だけど今、目の前にいる織原さんからは全く壁を感じない。
「春野さんの悩みが一つ解決してよかった。……じゃあ、もう堅い話は終わりにして楽しもう」
再び差し出されたグラスに自分のグラスを合わせる。
まだ夢見心地のまま、緊張を紛らわせる為にひたすら飲むしかなかった。
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