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「織原さんとヤッ……」
ヤッた!? と絶叫しそうになる果穂の口を慌てて塞ぐ。
天気が良いのでオフィス近くの公園でランチ中、イニシャルや隠喩を交えて途轍もなく遠回しに報告したのに、一言でまとめる果穂。
辺りを見渡し、会社の人達がいないことを確かめる。
狼狽える私とは反して、果穂は嬉々とした声で言った。
「流石美子! ヤる時はヤる女!」
「……別にそんなんじゃない」
ほんのひと時、神様が味方してくれただけ。
「既成事実作るなんて、絶好のチャンスじゃん!」
「チャンス?」
果穂は力強く言った。
「初めて捧げたんだから、責任とってって迫るの。彼は誠実そうだから、きっと交際を了承するはず」
果穂の言うことはもっともだ。
聖人君子の織原さんだったら、責任を感じて無理にでも私と付き合おうとする可能性がある。
だからこそそんなことは絶対にしない。
誠実な彼の性格を利用するなんて、私にはできない。
彼には心から愛する相手と幸せになってほしいから。
「そんなことしても、虚しいだけだから……」
「美子は人が良すぎるのよ」
残念そうに眉を下げる果穂。
「そういう真っ直ぐなところ好きだけど、恋愛って時には狡くならないと上手くいかないよ」
親身になってくれる果穂の言葉はすとんと心に響く。
確かにそうかもしれない。
馬鹿正直に生きていたら、いつまで経っても私は願いを叶えられない。
ずっと鬼のまま、誰も捕まえられないんだ。
「今が頑張りどきだよ!」
バシッと背中を叩かれ苦笑して頷く。
そろそろ休憩が終わる時間なので、私達はまたオフィスに向かって歩き出した。
ビルに戻ってエレベーターが降りてくるのを待っていると、扉が開いて中から現れた人に絶句する。
昨日と同じスーツを着ている織原さんにドキッとして、一瞬で妖艶な姿が蘇ってしまう。
「………………」
目が合って、彼はふわりと微笑み私に小さく手を振った。
恋人の密かなやりとりみたいでときめく。
ドキドキして、胸が弾んでしかたない。
それなのにやっぱり愚かな私は、どう反応していいかわからずに顔を伏せて会釈しかできなかった。
せっかく果穂からアドバイスしてもらったのに、こんな意固地な女、流石の織原さんだって責任とりたくないだろう。
すっかり意気消沈してしまった私は、その週ずっと織原さんを避けるように、できるだけ顔を合わせないようにして仕事に没頭するのだった。
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