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「お疲れさまです」
金曜日。運悪く仕事が重なり残業して、帰り際ひっそりとした守衛室を覗く。
いつものおじさんがにこやかに声をかけてくれた。
「はいお疲れさんです。こないだはコーヒーありがとね」
ホッとするような屈託ない微笑みに癒されて、今日の疲れが和らぐ。
「これ、うちの女房の実家でとれたミカン。持ってって」
「えー! いいんですか!? 嬉しい!」
差し出された大きなビニール袋に入った大量のミカンを受け取り、思わず顔が綻ぶ。
「ありがとうございます!」
「あんた、良い笑顔するなぁ」
おじさんの言葉にキョトンと目を見開いた。
笑顔を褒められたのって久しぶりな気がする。
職場では気を張っていて上手く笑えず、お局というイメージに自分から寄せていってしまっている現状だ。
……織原さんの前でも、優しく微笑んだりできない。
「……春野さん」
思い浮かべたそばから彼の声が聞こえ、条件反射でスンッと無表情に戻った。
「……なんですか」
私の大馬鹿者! なんで悪態しかつけないの!
あまりの変わり様に、おじさんも引いているのが感じとれた。
「会えてよかった。俺も今帰りなんだ」
「……そうですか」
今週最後に一目でも見られて嬉しい!
だけどどんな顔したらいいの。
なんというか、最早半径三メートル以内に近づくと、猛烈にときめいて余計恋してしまう勢いだ。
そんな複雑な乙女心を一切匂わせずに不機嫌な私に、織原さんは特に気にしていない様子で微笑む。
「よかったら一緒に帰ろう」
「無理です」
「あ、荷物持つね」
「………………」
ここでも私に拒否権はない。
成り行きで一緒にビルを出ると、しぶしぶ並んで駅へ歩き出した。
「……仕方ないですね。ミカン少し分けます。ポケットに二個くらい入ります?」
ふて腐れ(ているふりをし)ながら、さっき貰ったミカンを手渡した。
ビタミンたくさんとって、風邪予防できますように。
心の中ではそんな念を送りながら、ムスッとした表情を(頑張って)浮かべる。
「ありがとう。……疲れ吹っ飛んだ」
わかります。あのおじさん癒し系ですよね。
週末ゆっくり休んでください。
くれぐれも身体に気をつけて。
「それはよかった。……ではこれで」
心の中の声とは真逆の対応で目をそらし、このまま彼をまこうと試みる。
しかし既にがっしりと腕を掴まれた後で、時既に遅かった。
「よかったら夕食どう? この間のお礼をさせてほしい」
……お礼なんて。そんなこと言われたら余計悲しい。
あくまであの夜はウィンウィンな行為で、利害関係が一致しただけのこと。
「結構です。急いでますので」
「この前は和食だったから、次はイタリアンか……フレンチも良い店知ってるよ」
「話聞こえてます?」
例によって質問の意味、なし。
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