静かに咲くもの

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田中絹代は、50代半ばの女性だ。都会の片隅で静かに暮らしながら、一鉢のサボテンを大切にしている。彼女の日常は単調だが、部屋の隅に置かれたサボテンだけが、唯一の心の拠り所だった。 サボテンは十年前、誰かから譲り受けたような気がする。もしくは自分で買ったのかもしれない。そのあたりの記憶は曖昧だ。ただ、引っ越しを繰り返すたびに、そのサボテンだけは絹代と一緒に移動してきた。 ただ何年経っても花は咲かない。最初の頃は何気なく「まあ、気長に待とう」と思っていたが、十年も経つと、もはや気長にというわけにはいかなくなる。 絹代は、インターネットで「サボテン 花 育て方」と検索した。水やりのタイミング、日光の当て方、冬場の寒さ対策……サイトや動画で紹介されているアドバイスを忠実に試した。しかし、サボテンはまるで動じる気配もなく、無言のままだった。 ある日、絹代はサボテンの写真を撮り、SNSに投稿した。 「この子を育てて十年になりますが、一度も花が咲きません。何かコツがあれば教えてください。」 すぐにコメントが寄せられた。 「もう少し日光に当ててみては?」 「水の量が多すぎるかも!」 「根を確認してみるといいですよ」 次々とアドバイスが飛び交い、絹代は感激した。こんなに親身になって助けてくれる人たちがいるなんて。そして言われた通りに試すが、やはり花は咲かない。それでも諦めずに質問を続けるうち、ふとしたコメントが目に留まった。 「もしかして……そのサボテン、造花じゃない?」 思わず画面を睨みつけた。「造花だなんて、そんなわけがない」と自分に言い聞かせたが、その言葉は胸の奥に小さな違和感を芽生えさせた。十年間、絹代は一度もそのサボテンの正体を疑ったことがなかった。 翌朝、彼女は勇気を振り絞り、サボテンを慎重に観察した。そして、葉の一部に指を押し当てた。すると……。 パリッ。 硬く、どこか乾いた感触がする。絹代の指がサボテンの表面を引っ掻くと、緑色の塗料が剥がれた。さらに確かめようと根元を調べると、それは確かにプラスチック製だった。十年間、大切に育ててきたサボテンが、まさかの造花だったのだ。 ショックだった。自分がこの十年、何をしていたのか。水をやり、日光に当て、話しかけていた相手が、ただの作り物だなんて。しかし、不思議なことに絹代の心の中に、怒りや虚しさだけでなく、妙な安堵感も芽生えていた。 その晩、絹代は造花のサボテンを抱きしめ、声に出して言った。 「ごめんね。私、気づかなくて。でも、ありがとう。あなたがいてくれたから、私は毎日笑えたんだよ」 それからというもの、サボテンはますます絹代の生活に溶け込んでいった。窓際に置いて光を浴びさせたり、新しい鉢に入れ替えたり、たまに軽く埃を拭き取ったり。造花だと知った今でも、絹代はそのサボテンを本物と同じように大切にした。 ある日、SNSに再び投稿した。 「この子が造花だと気づいたときは、正直ショックでした。でも、それでも十年間一緒に過ごした時間は本物です。花が咲かなくても、私にとっては特別な存在です」 その投稿は多くの共感を呼び、たくさんの「いいね」と励ましのコメントが寄せられた。 「花がなくても、素敵なサボテンですね」 「本物より長持ちする最高のパートナーかも!」 絹代は微笑んだ。サボテンは造花だったけれど、彼女の心に咲いたのは、間違いなく本物の花だった。 <了>
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