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あの日。
屋外のうだるような暑さとは反対に、寒いほどエアコンがきいた喫茶店の片隅で、彰は頭を下げていた。
彰は眉間に皺をよせ、苦しそうに別れを告げ、何度も謝った。
「好きな人ができた。別れて欲しい」と。
私も知っているその人には付き合っている人がいるらしく、彰の完全な片想いだった。
付き合ってもいないなら別に別れる必要なんてないじゃない?
別れたくなかった私はそう言ったけれど、真面目は彰は首を振った。
「他に好きな子がいるのに智花と付き合うような真似はできない。
俺、智花のこと大好きだから、大切だから、こんな気持ちでこれ以上一緒にいられない。結婚・・・できない」
喫茶店から出ると、蝉が大音量でないていた。
***
季節は冬になった。
別れて4ヶ月たったが、まだ彰のことが忘れられない。
今日、彰は彼女との交際を公にした。
営業部に書類を持ってきた彼女を、彰が下の名前を呼び捨てにして呼んだのだ。
総務の彼女は入社2年目で、その可愛らしさから男性社員から人気が高かった。
周囲の男性社員は悔しがり、二人は恥ずかしそうに見つめ合い、微笑み合った。
彰が名前で彼女を呼び止めたのは、うっかりなのか?それとも故意なのか?
頭のいい彰のことだ。きっと男性社員に対する牽制に違いない。
彰と私は、会社で付き合っていることを隠していた。同じ営業部の同期。周囲に気を遣わしたくなかったから、必要以上に一緒にいたりするようなことはしなかった。そして、私たちが付き合っていることも、別れたことも、気付く人はいなかった。
同じ営業で働いた7年間。付き合った3年半の間。
彰が職場でうっかり私のことを「智花」と呼んでしまうことは、1度もなかった。
だから、彰とあの子が付き合いだしたと聞いた時、胸が深くえぐられる痛さを感じた。
苦しすぎて、息ができない。
居た堪れなくなった私は、スマホが鳴ったふりをして、営業室から出て行った。
営業室から出る瞬間、ちらりと彰に目をやった。
彰の隣にいる彼女と一瞬目が合った気がした。
でも・・・・彰が私の方を見ることは・・・なかった・・・。
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