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「ごめん。泣きすぎた」
私の涙と流れた化粧品でドロドロになってた前野君のスーツをハンカチで拭きながら謝った。
「気にしなくてもいいですよ」
「そうもいかないよ」
「どうせ安物です」
「・・・前野君」
「?」
「いいやつだね」
「よく言われます。でもそれ、失礼だからね」
「?」
「いい奴止まりってことでしょ?男としてどうなんだって話ですよ」
「あははははは」
「その笑いは肯定を意味してますよね」
「あははははは」
「怒りました」
低い声で言われ、慌てて前野君の顔を見る。
「え?ごめん!」
ちゅっ。
左目の横にキスされた。
「!?」
驚く私と対照的に、にやっとちょっと悪い顔をした前野君は
「これで許してあげます」
私はボッと顔が熱くなった。
そんな私を気にすることもなく、ベンチから立ち上がってダウンコートのファスナーを上げる。
「さ、帰りましょうか。家どこですか?」
「く、楠町」
「俺、江原だから通り道ですね」
一緒にタクシーに乗って家まで送ってもらった。
途中で、前野君が「なんかあったら連絡してください」とラインを交換させられた。
「なんかって?」
と尋ねると、
「泣きたいときとか、笑いたいときとか、これ誰かに言いたいってことがあったときとか」
「これ誰かに言いたいってどういう時?」
意味がわからなくて小首をかしげ、隣に座る前野君をみた。
前野君は二重の綺麗な目をいつもより少し大きくして『わからないの?』と言いたそうに、驚いてみせた。
「えー。そのままでしょ?こう・・・例えばですけどね。
自動ドアの前で立ち止まって開くのを待ったら押すドアだったとか。かっこつけて歩いたら段差につまずいたとか。1階に降りようと思ってエレベーターに乗ったら上行きで、用もないフロアに降りて一周するはめにあうとか。きれいな夕焼けをみたとか」
視線を少し上にしながら例をあげた。きっと、自分のした『誰かに言いたいこと』を思い出しているのだろう。そう思うとおかしくてつい笑いだしてしまった。
「あははははは。前野君そんなことあったんだ」
「例えばですよ、例えば」
タクシーの中で、前野君は泣いていた理由を聞いたりしなかった。
前野君と仕事以外の話をしたことは、ほとんどなかったのに、会話が続く。流石、営業部若手ナンバーワンだと思った。
そして、タクシーの中で、ずっと手を握られていた。
その大きな掌は暖かかくて、心地よかった。
お礼を言ってタクシーを降り、マンションに入る。
鞄からスマホを出し、前野君に
「ありがとう」と「おやすみ」
のスタンプを送った。すぐに
「ぐっ」と「おやすみ」
のスタンプが却ってきた。
同じ営業部だったけど、あまり話したことのない後輩が、予想以上に手が速いが、意外といい奴だっと知った。
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