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「倖~」
彰に絡んでいた同期が酎ハイを片手にこちらにやってきた。
「倖~、飲んでるか~?」
「うん。飲んでるよ」
酔っ払いだからと適当に返事をする。
「中村も彼女できたしさ~、倖にも長いこと付き合ってる彼氏いるだろ~」
「うわっ。何絡み酒してんですか!」
「そうそう!ちょっともう飲み過ぎですよ!」
「あ。この焼き鳥食べます?はい、あーん」
一緒に飲んでいた女性陣が慌てて話を逸らす。
「あーん、おいひい~。とうとう俺にもモテ期到来?・・・あれ?倖、指輪は?」
「あ、ばか!」
北山さんが慌てる。
「え?指輪?」
「ずっと右手の薬指に指輪してただろ」
「もう、飲み過ぎ!ほら、あっちで呼ばれてますよ」
沖さんが向こうに追いやろうとしている。
「違うから!彼氏に貰った指輪じゃない」
「「「え?!」」」
一緒に飲んでいた女性陣が一斉に振り返った。
「あの指輪は初めて貰ったボーナスで買った、自分へのご褒美だったの。最近痩せて指輪が弛くなってしまったから、落としたくなくて外したの」
「え?てっきり、彼氏と別れたのかと思ってたよぉ」
でもそれを言わない同僚たちの優しさがありがたい。
それと同時に言っちゃう同期のバカさ加減に笑えて来る。
「ああ。でも、彼とは別れたから」
他愛もないことのようにさらっと言ってやる。
だって彰も聞いているはずだから。
彰にまだ未練があるなんて、彰にはばれたくない。
彰も他の営業部の何人かもこちらに目を向けている。
「まじかー!倖、でも、まあ、あれだ!俺がいる!」
同期はなんと言ったらいいのかわからないのだろう、あからさまに目が泳いでいる。
「あははは!なに動揺してんのよ。別れて結構たつし、もうなんとも思ってないから変にうろたえないでよ」
と笑う。
「よし、倖。今日はのむぞー!独り者同士のむぞー!」
***
ポン。
ふと頭に何かが当たった。
見上げると、大きな手が私の頭をポンポンと、優しく撫でていた。
手の主を見ると、それは前野君だった。
どうして、頭をなでられているのだろう?と小首を傾げる。
「どうしたの?」
と尋ねると、前野君は少し困ったように微笑んで、私の頬を掌で優しく擦った。
「泣いてるから」
「え」
私は自分が泣いていることに気が付いた。
「なにこれ?」
目からぼろぼろと無意識に溢れている涙に自分でも驚く。
「私、泣いてる?」
「うん。ぼろ泣きしてる」
「どうして?」
「ん?」
今度は背中を優しく摩った。
あ・・・。これ、知ってる。
前にクリスマスツリーを見ているときに背中をさすられたな、と思い出す。
「今、私、すごく悲しい気分なんだ。もうね、すごく悲しいなって思ったの。だから泣いちゃってるのかな」
「他人事みたいだよ」
「私のことなんだよね」
「うん、そうだね」
松本さんたちにおしぼりをもらって濡れた手や顔を拭いた。
「私、私・・・・ふええ」
俯き、両手で顔を覆って泣いてしまった。
とめどなく溢れてくる涙を止めることはできそうにない。
彰は私の隣にはもういない。
泣いている私の隣に来てくれることもない。
ああ。
本当に終わったのだと、私の胸がぎゅうっと締め付けられる痛み。
前野君はしゃがんで、泣いている私の背中を優しく擦り続けていた。
私はその温かさにまた涙が溢れてくるのだった。
泣きつかれるまで泣いたあと、前野君に取っ捕まって、二次会のカラオケ屋さんに連れていかれた。
カラオケボックスでみんなの歌を聞きながら、話をする。
私の横には気心知れた女性陣がいた。
私を連れてきた前野君は少し離れたところで場を盛り上げていた。
しばらくして、
「ちょっとお手洗いに行ってくるね」
と言って一人、部屋を出る。
トイレの鏡に映る自分の顔を見て、目が充血し、少し腫れていつことに気が付いた。
まあ、一次会でたくさん泣いてるし、お酒も呑んでるから、こうなっても仕方ないか。
薄暗いカラオケボックスの室内の上、みんなが酔っ払っているのだから、このくらい気にする人もいないだろう。
まして、一次会で泣きまくったことはほとんどの人が知っている。
恥ずかしいが、お酒の席の泣き上戸ってことで勘弁してもらおう。
自分自身に言い訳をして、部屋に戻ろうと通路にでる。
少し行ったところの壁に、彰が寄りかかって立っていることに気が付いた。
物凄く気まずいが、スマホをいじる彰の前を通らないと部屋には戻れない。
鞄もコートもスマホも財布も鍵も全部、部屋にある。
手にあるのはポーチだけ。
逃げ出すわけにもいかない。
彰がスマホを終わって部屋に戻るのを待つか…。
壁際に置かれた観葉植物の影に身を隠そうと思った時、彰が顔を上げた。
……目が合った。
私をじっと見ている…?
その視線に私の体は動けなくなっていた。
1・逃げる?
2・話しかける?
3・無言で部屋に戻る?
‥‥‥3だな。
彰の前を通り過ぎることにした。
自然に…自然に…。
緊張する。
手と足が一緒に出ないことだけを気にして一歩一歩歩く。
すれ違う瞬間。
「智花」
「!」
突然呼び止められて、足が止まる。
今、『智花』って言った?
『智花』って言ったよね?
今まで一度も会社で名前で呼ばれることはなかった。
もちろん、飲み会でもなかった。
それが今、ここで。このタイミングで『智花』とな?
「大丈夫か?」
「何が?」
彰は私を見ている。
私は彰を見ることなく、まっすぐに前を見つめている。
「さっき、泣いてただろ?」
「あき・・・中村さんのために泣いたわけじゃないから」
「ああ。分かってる。ごめん」
「謝らないで!」
平気なふりができなくて走って部屋に戻った。
呑んでいたジーマの残りを呷った。
「ふー---!」
口の端を手の甲で拭く。
「どしたの?」
北山さんに心配され、
「悔しい!」
「え?」
「わかんないけど!!なんか!もう!いろいろと悔しいっ!!」
「よし!飲もう!」
「歌おう!」
と、そこからはなぜか失恋ソングをみんなにガンガンに歌われた。
私も一緒になって失恋ソングを歌った。
もう、何もかもが嫌だ!
心配してくる彰も。
彰が会社の飲み会で名前を呼んでくることも。
彰が彼女の名前を呼ぶことも。
彼女がカップルクラッシャーなことも。
歌っている私を見ている彰の顔が何か言いたげなところも。
別れて4か月もたつのにまだ未練たらたらな自分自身も。
クリスマスツリーも。
失恋ソングも。
なにもかもが・・・
「だいっきらいだー--------!」
マイク越しに思いっきり叫んだあたりで私は記憶を失った。
***
翌朝。
いや、翌昼。
気が付くと私は自分のマンションのベットの中でちゃんと眠っていた。
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