1.散策

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1.散策

「ハイ。ちーずぅ~」  日本三大庭園のひとつ、石川県は金沢市の兼六園。  そのシンボルである『徽軫(ことじ)灯籠』をバックに、警視庁のベテラン鑑識員竹山誠吉は、ブイサインと共に、不本意にも唇を突き出したひょっとこ顔を、妻が構えるスマホのカメラに収めた。 「いやー。来て良かったな、カアちゃん」  短い石橋『虹橋』を渡り、そうですねと頷く妻からスマホを受け取ると、竹山はご機嫌でパシャパシャと周辺の景色を収める。  園内の木々を雪から守る雪吊りは、まるで窄めた番傘のようで趣があり、竹山を圧倒した。とは言え、そこには未だ雪はない。  冬の金沢はごっそりと重たい雪に覆われているものと思ったが、来て見れば東京と全く変わりなかった。  確かに空は灰色で気温も低いが、コートと、セーターの下に着込んだキルトのアンダーシャツのお蔭で、歩いていれば然程気にもならない。 「いや、ホンマ、来て良かったわ。 な?」  竹山は満足げに繰り返し、妻も嬉しそうに頷いた。  金沢旅行は、妻、須美子の誕生日プレゼントに竹山が計画したものだった。  その為に、なんとか遣り繰りして三日間の連休を取った。  本来なら年末のこの時期に連休を、しかも三日も取るなど出来るはずもないのだが、つい先日、自殺として片付けられた他殺事件の真相解明に一役買ったことで、褒美代わりにと認めて貰ったのだ。 「あら。お父さん」  須美子は腕時計を見ると、竹山の袖を引いた。 「三時半やわ。一旦チェックインした方がいいんと違います?」  言われて竹山も自分の腕時計を見た。  予約の際にチェックインの時間を伝えてある。約束の時間まであと三十分と迫っていた。 「おお、ホンマや。ほな、荷物置いて身軽になってからまたふらつこか」  荷物は最小限に止めてあるが、手ぶらで歩けるに越したことはない。  竹山はホテルのパンフレットをショルダーバックから引っ張り出すと、須美子の前に立って歩き始めた。  予約したホテルは兼六園の近くにあり、そして、そこから歩いて行ける距離に茶屋街がある。  竹山は、パンフレットの裏に書かれた小さな地図を指し示すと、チェックイン後に茶屋街を散策する事を提案し、須美子は二つ返事で了解した。  兼六園の桂坂口を出て、土産物屋を軽く冷やかしながら紺屋坂を下る。  途中、息子のように可愛がっている刑事の土産に煎餅を買ってみたが、袋の裏を見て竹山は笑いが止まらなくなった。  表には「金沢名物」と書かれているにも拘らず、製造元は京都だ。 「土産なんちゅうもんは、こんなもんなんやな」  言って笑いながら、二人は並んで交差点に立った。  大通りを歩いて行けなくもないが、道路を渡って直ぐ目の前の『外濠(そとぼり)公園白鳥路』を通れば近い。  この白鳥路は、巨大な金沢城址公園の玄関口『石川門』から大手堀方面へと続く散歩道で、元は金沢城を取り巻く堀のひとつであった白鳥掘を、明治時代に埋め立てたものだ。  そして、「水と緑と思索の道」と称されるに相応しく、そこには清流が流れ、徳田秋声、室生犀星、泉鏡花の三文豪像をはじめとする、金沢ゆかりの人物の彫刻がたたずんでいる。  街中でありながら、夏にはホタルも見ることが出来る、まさにオアシスだ。 「ここ抜けたらホテルやで」  須美子の手からボストンバッグを取ると、それと引き換えに、竹山はホテルのパンフレットを手渡し言った。 「このホテル、温泉があんねん」 「あらホント。天然温泉やって書いてありますね」 「結構いい湯らしいで? 楽しみやな」  白鳥路を抜けると、ホテルはすぐ右手にあった。円形のポーチを通り、ロビーへと入る。外観は近代的であったが、ロビーは大正ロマンを思わせる、アンティークな雰囲気にまとめられていた。  特に須美子の目を引いたのは、エレベーターホール前に飾られていた、加賀友禅の色打掛けだ。何度も溜息をついては、素敵やわと少女のように繰り返している。  そんな須美子の気が済むのを待って、竹山はエレベーターのボタンを押した。  部屋はカードキーではなく、昔ながらの鍵式だった。しかし、こちらも多少大きくはあるがアンティーク風に作られている。  それをドアに差し込み、二人は部屋に入った。  部屋では殆ど寝るだけだ。だから、スタンダードな安いものにしたのだが、それでもベッドの他にTVは勿論の事、チェスト、ドレッサー、ミニバー、ソファセットが配され、実に快適だった。  竹山はソファに腰を下ろし、煙草に火をつけた。その傍らで、須美子は荷解きをする。  少ない着替えと化粧品、そしてガイドブックと、ティーバックの日本茶を持って来ていた。  その茶と、テーブルにちょこんと置かれたサービスの干菓子で一休みした二人は、ガイドブックを片手に立ち上がった。  時間は午後五時少し前。散策がてら食事も取る事にして、竹山と須美子は百万石通りを歩き、卯辰山の麓に位置する町、『東山』にある茶屋街『ひがし茶屋』へと向った。  ここが、幾つか茶屋街が点在する金沢で、最も有名な茶屋街である。  その東山に入る手前で、浅野川大橋を渡る。  浅野川大橋は、浅野川に架かるコンクリート製の橋で、大正ロマン溢れるアーチ型を呈しており、平成十二年、城址公園を挟んで並行に流れる犀川の『犀川大橋』と共に国の登録有形文化財となったものだ。  そして、その浅野川大橋から望める、一本山側にかかる橋が、『梅の橋』。何かと金沢を舞台にしたテレビドラマに使用されるのが、この木製の歩行者専用橋なのである。  須美子は、ライトアップされた橋を歩きながら梅の橋を見遣り、次いで、車道側を歩く夫を見上げた。  こんな風に二人で旅行など、一体どれだけ振りだろう。ひょっとしたら、新婚旅行以来かもしれない。そう思うとなんだか照れ臭く、その反面、夫と腕を組んでみたくもなった。 「知らん道歩くの、ちょっとわくわくしますね」 「そうやなあ」  妻の言葉に、竹山は何度か頷くと、不意にニヤッと笑って言った。 「ホレ、これがホントの道との遭遇ってヤツや」  その途端、夫の腕に伸ばしかけていた須美子の手が止まった。 「お父さん……。台無しやわ」 「いやもう、遭遇だけに、イッツ、ソウ、グー!」 「ホンマに、台無しやわ」  一瞬須美子の心に過ぎったロマンチックな思いは、夫のダジャレにより、ガラガラと音を立てて崩れ去った。  そして、まさかこの旅行で『事件』に遭遇するなど、この時の竹山にとって『未知』であった事は言うまでもない。
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