第3話 王立図書館の館長と副館長の関係について

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第3話 王立図書館の館長と副館長の関係について

 日にちをすこしさかのぼり、おなじ王立図書館の中庭を囲む石の回廊を見てみよう。館長のラッセルと二歩の距離で、副館長のルークが向かいあっている。石の壁の影には職員が隠れ、そっと成り行きを見守っている。  ルークの眸は珍しい色をしている。たとえるなら満月の夜の色、青みがかった水晶を透かしてみつめる闇の色だ。そんな眸にみつめられ、甘い言葉をささやかれたり懇願されたりすれば、誰でも彼の思うままになるにちがいない。ルークの美貌は初対面の人間にそう思わせるようなたぐいのものだった。  しかしその桜色の唇はいま、不機嫌そうに歪んでいる。 「先月も申し上げましたが、御前会議に出席するのは館長おひとりで十分です。副館長の私が行く必要はありません」 「先月は改修工事の入札がかぶったから欠席もやむなしといっただけだ。今月は何もないじゃないか」 「資料はさきほどお渡ししました。館長は報告に付き添いが必要なんですか?」 「前の副館長は御前会議に毎回出席していたと聞いている」  ラッセルは平然とした顔でいったが、ルークは眉を動かしもしなかった。 「それは前館長が高齢で、ご病気のことが多かったからです」 「二人で出席していたこともある。議事録を調べた」 「まさかそれを調べるために書庫にいたんですか? 決裁書類のサインもせずに」  ルークの口調はとげとげしく、青い月夜の色をした眸は凍えそうな冷たさを帯びてきた。こうなると彼の美貌は凶器さながらで、壁の影からのぞいていた職員は思わず首を縮めたが、ラッセルはものともしなかった。 「他の用事のついでだ。それに決裁などすぐ終わる」 「ではこの件はそれが終わってからにしましょう」 「待て。御前会議だけじゃない。副館長は――副館長補佐の時代から、王立図書館を出ることがめったにないと聞いたぞ。理由があるのか?」 「いいえ、必要がないだけです。私の住まいは敷地内ですし」 「それじゃ引きこもりも同然じゃないか。ろくに体を動かさないなんて健康にも悪い」 「私の健康について、館長に心配してもらうには及びません」  きっぱりとそう告げて、ルークはさっときびすを返した。ラッセルは引き留めようとするかのように腕をのばしたものの、ルークの黒髪に触れる寸前にその手を下ろした。  きびきびと歩くうしろ姿が回廊の奥に消えたとたん、中庭にはかすかな安堵のため息が響く。館長がため息をついたわけではない。物陰で息を殺して見守っていた職員が漏らしたのだ。  ラッセルは中庭で突っ立ったまま腕を組み、ルークが消えた回廊の奥をみつめていた。 「……まったく、副館長はつれないな」 「ちがうアプローチを試した方がいいんじゃないか」  悠々とした足取りで中庭から年齢不詳の男がひとりやってくると、残念な目つきでラッセルを見た。  彼はハーバート・ローレンス、読書が趣味の貴族である。社交行事もそこそこに朝から晩まで図書館で本を読んでいて、宮廷では変わり者とみなされているが、王と王妃の友人でもある。ラッセルにとっては叔父のような存在だった。読書の息抜きに中庭へ出ていたところ、たまたま今の場面に出くわしたようだ。 「学生時代からその調子なんだって?」  呑気な口調でたずねたハーバートにラッセルは顔をしかめた。 「どこで聞いた?」 「おまえの学友が飲み屋で話していた」 「まったく、あいつら……」  ラッセルは第七王子だ。末子でもあり、王位継承とはほとんど無縁と思われているが、身分を鼻にかけないおおらかさと気さくな性格ゆえに、宮廷貴族から厩番まで幅広く友人知人がいる。ことに大学は身分の違いを越えて学問や交友にいそしむ場所でもあり、ラッセルは良い意味でも悪い意味でも目立ちながら学業をおさめた。  ルークはラッセルより二歳年上である。ラッセルが王子だからか、あるいは誰に対してもそうなのか、堅苦しい話し方は当時も今もかわらない。たとえふたりの初対面が、居酒屋での大騒ぎだったとしても。  ちなみにルークとの初対面、これはラッセルにとって、あまり思い出したくない出来事である。いや、正確には思い出したくないのではなく、思い出すのはいろいろな意味でよくないことだとラッセル自身が思っているせいだが―― 「つきあうには軽薄すぎると思われているんだろう」 「ハーバート、誤解を生む表現はやめてくれ。俺はあいつにつきあってくれなんていってない。館長と副館長という役職に似合うつきあい方をしたいと思っているだけだ。それもたいしたことじゃない、御前会議に同伴する程度のことで」 「同伴って言葉はいやらしいな」 「どこが? 向こうは初対面の印象を引きずってるのかもしれないが、お互いもう学生じゃない」 「いったい初対面で何をしたんだ、ラッセル?」 「それはその……」  ラッセルは口ごもる。あのときの出来事について覚えている人間はもうほとんどいないし、いまさら蒸し返すことではない。これはラッセルの名誉ではなく、ルークの名誉のためだ。 「なんだ、酔って膝にゲロを吐きでもしたのか」  ハーバートは無表情でたずねた。 「そんなところだ」 「軽蔑されて当然だな」 「あのな、俺のせいじゃない。俺も巻きこまれたんだ」 「ほう?」 「とにかく俺がルークに迷惑をかけたのはあの時だけだ。きちんと謝罪したし、あいつが副館長の補佐だと知ってからは特に気をつけて……」 「だからせめて職務の時くらいは横にいたいのに、ちっとも振り向いてくれないと?」  ラッセルの目が鋭く光った。 「そんなんじゃない。()()()()()()()()()()()。あいつと喧嘩するつもりもない。ハーバート、それ以上余計なことをいったら館長権限で出禁にする」 「わかったわかった。ま、がんばれよ」  ハーバートはクスクス笑ってラッセルの肩を叩き、ラッセルは顔をしかめながらその手を払った。  ラッセルは想像もしていなかった。実はこのとき、ルークは執務室を行ったり来たりしながら「引きこもり」や「健康に悪い」といったラッセルの言葉について、ずっと考えこんでいたのだった。
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