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①
「ほら、姉さん。これでも植えてみたらどう? 動物は大変だけど植物なら手もかからないし、何かを育てていると前向きになれるっていうよ」
弟の伸次郎はそう言うと、ダイニングテーブルの上に球根を一つ置いた。
少し大きいけれど、形はチューリップの球根によく似ていた。
「ありがとう、伸次郎。そうよね、もう一年たつんだもの、そろそろ気持ちを切り替えて先のことを考えなきゃだめよね――」
「ああ。姉さんはまだ若いんだから、仕事や趣味を再開して自分の人生を楽しむべきだよ。義兄さんだって、きっとそれを望んでいるはずだよ」
伸次郎の言葉を聞きながら、わたしはテーブルに置いてある夫の写真に目をやった。
「子どものいない人生」を受け入れ、夫婦二人で仲良く長生きしようと決めた矢先のことだった。夫の賢人にがんが見つかり、わたしたちの将来設計はあっという間に崩れてしまった。
一年近い闘病生活を経て、賢人は静かにこの世を去った。
わたしは、賢人が遺してくれたマンションで、彼の思い出と一緒に一人で暮らしている。
子どもがいないこともあって預貯金には余裕があったので、この一年ほどは気晴らし程度に友人のカフェを手伝いながらつましくやってきた。
二駅ほど先の場所に住んでいる両親と弟一家が、旅行に誘ってくれたり泊まりにきたりしたこともあって、ひどい寂しさを感じることもなく過ごすことができた。
それでも、一人でいることが無性に辛くなることはあった。
面白いことがあっても、一緒に笑い合う人がいない――。
悲しいことがあっても、それを聞いて慰めてくれる人がいない――。
実家に戻ろうかと思った時期もあったが、思い出深いこの部屋を離れたくなかった。
ペットを飼うことも考えなかったわけではない。
でも、再び愛するものの死と向き合う勇気が、今のわたしにはなかった。
確かに、花ならいいかもしれない――。
特に球根は、枯れてもそのまま埋めておくと、翌年増えた球根から芽を出すことがある。喪失する悲しみをあまり味わわずにすむのではないだろうか――。
「それを売っていたお婆さんが言ってたんだけど、大事に育てて花が咲くと、育てた人には必ず幸せが来るんだって――。なんだか、特別な球根みたいだよ」
「上手いこと言われて、残り物を押し付けられたんじゃないの? でも、面白そうね。お婆さんの言葉を信じて、花が咲くまでちゃんと育ててみるわ!」
わたしの笑顔を見て、伸次郎は安心したように微笑んだ。
「ときどき様子を見に来るよ」という彼を車で送った帰り道、わたしは近くのホームセンターに立ち寄り、球根栽培に必要な品物をわくわくしながら買いそろえた。
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