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  「一週間ぐらい前、美帆さんが買い物に出かけたとき、ヒキガエルがぼくを訪ねてきました。そして、チューリップの花が咲いたら、自分と一緒に異世界へ来て欲しいと言ったんです」  ヒキガエル――。たしか、親指姫を連れ出したのもヒキガエルだった。  攫われてからの親指姫の苦労を思うと、ヒキガエルなんて信用すべきではないとわたしは思った。 「ヒキガエルにだまされているんじゃないの? 異世界へ連れて行くだなんて、あなたが関心を持ちそうなことを言って、何かひどい目に合わせるつもりかもしれないわ」  わたしは、親指ちゃんがスマホを使って、「異世界冒険ファンタジー小説」を読んでいることを知っていたので、そう忠告した。  だが、彼はにっこり微笑んで答えた。 「大丈夫ですよ。ヒキガエルは、本当は魔法使いのお婆さんなんです。美帆さんの弟に、球根を売ったお婆さんです。魔王を倒せる勇者が生まれる球根を、こっそりこの世界に持ち込んで育ててもらったと言っていました」 「つ、つまり、あなたが、魔王を倒せる勇者だということなの? こんなに小さいのに?」 「ええ。この世界には、小さな勇者が魔物を倒した物語が残っているから、ここで育ててもらえば、きっと小さくても有能な勇者になると思ったそうです」  なんとも不思議な話だが、そもそも親指ちゃんがチューリップから生まれたことからして不思議なのだから、信じないわけにはいかなかった。  別れは悲しかったが、親指ちゃんに役割があり、目標に向かって旅立てることをわたしはむしろ喜んだ。 「わかったわ――。行ってらっしゃい、親指ちゃん! ちゃんと務めを果たして、まだわたしのことを覚えていたら、一度でいいから会いに来てね」 「はい! 必ず魔王を倒して、そして――、のところへ帰って来ます!」  戸を開けてベランダへ出てみると、チューリップのプランターの横に一匹のヒキガエルが座っていた。よく見かける普通のヒキガエルだった。  親指ちゃんは、ヒキガエルのそばへ駆け寄った。  ヒキガエルが大きな口をぱっくり開けると、そこからキラキラした霧のようなものが溢れてきた。霧は親指ちゃんの体を包むと、いっそう眩しく輝いた。 「行ってきます、美帆さん!」  親指ちゃんはそう言って、わたしに小さな手を振った。  手を振り返したわたしの目の前で、ヒキガエルと親指ちゃんを包んだ光は、吹き寄せてきた風にのって何処へともなく消え去った。
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