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山梨県某所、有名な廃ホテル前。これから潜入する廃屋を前にして、ゴミ人材こと竹下はガタガタと震えていた。
「俺こういうの無理です…。」
を繰り返すばかりで一向に車を降りる様子が無いので、仕方なくハンディカメラを手にこちらが先に車を降りて、建物へ向かう。
すると、
「お、置いてかないでくださいよぉ!」
と泣き言と共に車を降りてついて来る。使えない人材だ。
人里離れた雑木の中に車のドアを開閉する音が立て続いて、少し騒がしくなるが周囲はすぐに静寂を取り戻す。
かと思いきや急にカラスが飛び立ってカァカァ騒いで飛んで行くのを見て、
「うわあぁ! …あぁ、鳥。あー…マジで無理だよ。」
と後ろでまたボヤく声。
「タケ、お前いい加減にしろよ。動画で食っていけなかったら、お前の行くトコまじで他に無いぞ。」
就職しようにもツテが無いと働けない。なにも繋がりの無い場所に一人で飛び込んで行くのが難しいらしく、その上どうにか人の紹介で仕事を見つけても、長く勤めた試しがないのだ。
職が手につく前に辞めてしまうので、次の就職にも繋がらず、流れ着いたのが動画配信という社会不適合者だ。通称ゴミ人材。
こちらも昔お世話になった人からの頼みで彼を任されているので、どうにかして社会に彼の居場所を見出さなければいけないのだが、それ以上のモチベも特に無い。
つまり彼は人生のお荷物だ。加えて日中は当然こちらも働いているので、その仕事の疲れと、どんなジャンルで動画を上げても一向に花開かないゴミ人材の育成に嫌気がさしてきて、苛立ちはピークに達していた。
「こん中入って、カメラ回して、怪奇現象をカメラに収めて帰って来る。簡単だから、やれよ。踊らせても歌わせてもダメ。占いも園芸も出来ない。ゲーム実況させてもクソつまんないヤツなんて、あとは心霊スポット行くくらいしかやることないだろ。」
「でも、こういうところってオバケとか出るんじゃ…。」
「だから行くんだよ。お前、これでダメならカメラの前で服脱ぐ以外にもうやることないぞ。」
ここまで言っても入口から足を動かさないので、カメラを持たせ、頭を掴んで廃屋の中へ押し込んでやると、ようやく泣きながらも歩き出した。
「外でモニタリングしてるよ。俺がいいって言うまで帰ってくるなよ。」
どうせこの心霊チャンネルというジャンルも、既に人気のチャンネルは数あるし、潜入先も有名どころが飽和状態という感じだが、心霊動画のいいところは無名でも再生されるところだ。
良質な心霊動画を長尺で一本見るより、画質が粗くても見たことの無い未知の心霊動画を次々見たいという客層がターゲットなので、モノさえ映せば演者は問われない。
ここなら収益化までどうにかこぎつけられるのではと、祈るような想いで彼を送り出してから、
早くも二時間以上が経過していた…。
『木山さん、また声が聴こえました。上からかな?』
「もういいよ。帰って来いよ、お前。いつまでやってんだよ。」
現在、三階建ての建物の最上階フロアで、客室を見て回る竹下の姿が画面に映し出されている。車内モニタリング。
このホテルは、洋風の外観に、テラスからは湖に沈む夕陽の絶景が見られるとあって、営業当時は一時、有名な旅行ガイドに名前が載るほどの人気ぶりだったようだ。
その後、とある殺人事件で女性の遺体がその湖に遺棄された上、犯人はこのホテルの宿泊客で、犯行後に自らもこのホテルの客室で命を絶ったことから、客足は激減。
更にホテルのオーナーも経営難に苦しみ、多額の借金を返しきれず首を括っている。という曰く盛り合わせの訳アリ物件である。
実況下手の竹下が無言のままボンボンとブーツの足音を響かせ廊下を歩く。たまに硝子を踏んでパキキ…と違う音をたてる。それらの音に混じってフンフーンと誰かの鼻歌が聞こえる。
画面は絶えず不可解なノイズが記録されている。
「タケ、聴こえる? もうやばいぞ。 もう戻って来たら?」
無線で呼びかけても応答は無い。そもそも画面の中で探索を続ける彼の様子では、無線は何も反応していないように思う。
「え? 聴こえないのか…。なんで?」
何度も無線のスイッチを押すが、向こうは反応が無いようだ。
『木山さん、これ屋上もあります?』
という向こうの声はこちらに届いている。
「無い無い無い! 行くな行くな! もう戻って来いよ頼むから!」
というこっちの声は何故かあちらに届かないのだ。まるで何かに邪魔されているような。異次元と無線通話しているような。こちらの理は通用しないのではと思えてくる。
『あ、あった。』
どうやら彼は三階フロアから屋上へ上がる階段を見つけたようで、何かに呼ばれるように迷い無く足を進めて行く。
「ダメだ。行こう。」
諦めた。無線を助手席に放り出し、車のエンジンを切って、懐中電灯を手に建物へ向かう。直接呼び戻しに行くしかない。
あんなに消極的だったのに。あんなに行きたくないと喚いていたのに。人の声や足音に驚いて泣いて飛び出してくるかと思えば、彼はどんどん建物の深部へと自ら踏み込んで行く。
おかしい。
もう何かに取り憑かれているのではと思う。
荒廃した建物の入口から中へと入り、
「タケ! もう終わり! 帰るぞ!」
と、上の階に向けて(つまり天井に向かって)叫んでみるが、当然一階からの声が屋上まで届くわけがない。
ここは一階の受付ロビーで、フロントだった場所や、積み上げられたテーブルや椅子が残っている。
モニターで見ていたから自分も一緒に中を探索した気になっていたが、実際に自分で廃屋に入ってみると、まさしく迷路だ。
ドアを見ればスタッフルームかお手洗いかくらい分かりそうなものだが、扉が外されてぽっかり穴になっているところもあり、その先に何があるか予想がつかない。
それでもなんとか上にあがる階段を見つけ、その先を目指す。一階から三階まではいっぺんに上がることが出来るが、階段はそこで途切れている。
まったく懐中電灯が無いと何も見えない。階段はツルンとした表面に、転落防止で滑り止めのゴムがついている。三本線で溝が入っている赤いゴム。
二階からは客室なので廊下に絨毯が敷いてあり、そこに割れた窓ガラスの破片が散らばっていた。
「屋上の階段、別かよ。最悪…。」
おそらく、屋上へ向かう階段はここに無いとすると、建物の反対側の端にあるのだろう。今いる三階フロアの真ん中くらいにあってくれると助かるが、いずれにしろ廊下を突っ切らなくてはならない。
急いで進んで来たので気にしなかっただけかもしれないが、自分で歩いている分には、怪音を聴いたり、人の気配を感じたりはしない。
案外、彼には本当にこういう方向の才能があったのかもしれないな…と、そう考え出した頃。
ドスン、
と鈍い音がした。
重い落下音だ。今、この三階フロアの中央あたりまで来たところ。
音は背後から聴こえたと思い、恐る恐る振り返る。そこに男が立っている。
(あ。近い。)
と頭は冷静に判断する。十メートルも無い距離で、男の人が立っている。シルエット。
重い落下音はその男が鞄を足下に放るように置いた音だったらしい。男だとわかるが、顔や表情は不思議と暗くてわからない。
声が出ない。
恐怖で足が固まっている。
少しふくよかな体型をしたシルエット。どうやらタケでは無いようだ。そもそも、背後から迫っているのだから。
誰?
「おれはまだおわってないんだよ。」
何処か攻撃的な口調で、吐き捨てるように言われた言葉が、脳裏に焼き付いた。
野太い声。距離があるのに、耳元で聴こえたようだった。廃屋に人などいるはずはないのだが…。
そこから先は、自分の身に何が起きたか、どういう行動をとったのかを覚えていない。
バン!
と音をたてて車の助手席のドアが開く。竹下が車に戻って来たようだ。それを車内で迎えた。手に懐中電灯を、点けたまま意味無く握っている。
「木山さん!」
呼びかけられて、「ウン。」と返事をする。
「うん、じゃないですよ。なんで途中から何も返してくれないんですか!? もうこれ以上、木山さんに面倒かけられないと思って、今回は頑張ったんですよ!?」
という調子で憤慨しているようだ。
「…ウン。ウン。説明するから、取り敢えず乗って。」
まだブツクサとぼやきながらも、彼が助手席へ乗り込む。邪魔そうに無線機を後部座席へ退ける。
エンジンをかけた。車のヘッドライトが照らすと、途端に周囲の林が明るく浮かび上がる。
「声とか足音は、絶対カメラに入ってると思う。編集で確認してください。」
ライトの先には女性が立っている。腰から下しか無いようだ。グリーンカラーのロングスカートに、黄色いパンプス。チラリと足首が覗いている。やけに白い。
ずぶ濡れの女。
「わかってる。今回は本当によく頑張ってくれた。ありがとう。」
これは何かの警告だったのではないだろうか。
あの言葉は誰の言葉だったのだろう。女性と何らかのトラブルになり、事件に発展した犯人のものか。
最期までこのホテルにしがみついたオーナーの口から出た言葉か。
いずれにしろ、本人に闘志が残るうちは、その野心を人が見限ってはいけないし、他人がそれを摘み取ってもいけない。
共に歩み育てることでしか、人の人生は開花しないのだから。
「帰ってすぐに動画を編集する。次こそバズるぞ。お前はまだ…終わってない。」
「…っはい! あ、ありがとうございます! もっと頑張りますね!」
アクセルを踏み込んで、車は廃屋を背に走り出した。どういうわけか湖を周回した後、カーナビは幾度となく我々をあのホテルへと誘おうとしていた。
この場所に残る人々の壮絶な絶望の叫びと訴えは、まだ終わってないのかもしれない。
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