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第1話 最悪の性行為の後で
5月の夜だった。大雨の降る中、竜崎 蘭は自分の住む名古屋市瑞穂区の女性専用マンションに帰って来た。
オートロックを解除し、自室のロックを解除し、傘を雑に傘立てにしまうと、そのままビニール袋をもったまま浴室に入る。
肌の艶も良く、血色も良く、透き通った光沢のある長髪。魅惑的な瞳。容姿端麗な30歳の美しさのある蘭にとって、浴室はゆっくりとお湯に浸かり、お気に入りのキャンドルを付けて、スマホで音楽を聴ける聖域であり、大事な場所だった。
しかし今日の蘭は腫れた目をしながら、脱いだスーツや下着を廊下に置き、バスタブのお湯を入れ始めると、手に持っていたビニール袋から、消毒用エタノール1リットル分を3個取り出し、1個目の蓋を開けた。
蘭の顔や裸になった体には、赤くなっている場所や、奇妙なひっかき傷の様なものがあった。
蘭は消毒用エタノールのボトルを両手で持つと、それを頭から被った。
エタノールはアルコールの臭いを発しながら、蘭の身体に勢いの良い滝の様に流れていく。
(痛い……ものすごく痛い……)
エタノールが、顔や体の傷、性器に掛かり、蘭は焼けつくような苦痛を味わった。
「あああああ!」
痛みで思わず声が出てしまう。それでも奥歯に力を入れて蘭は耐えた。
(痛いからこそ、消毒になる。光助につけられた汚れを、穢れを浄化しないと……)
1つのボトルが空になると、蘭は次のボトルを開けて、2杯目を頭から被る。痛みも2回目となれば覚悟も出来、さっきよりは多少は気が楽だった。最後に3つ目のボトルを開け、これも頭から被った。
ポタポタとエタノールの雫が垂れていく。身体中の痛みはまだ続いているが、エタノールの雫の多くが垂れて、流れていったのを確認すると、蘭はシャワーを浴びバスタブに浸かった。
エタノールが傷や性器を刺激したのだろう。お湯もそこに沁み、痛みがあった。
しかし蘭にとっては、こうでもしなくてはやっていられなった。
今日、蘭は恋人である光助と初めてセックスをした。その記憶が断片的に襲って来る。
とても思い出したくはない記憶だった。
温かいお湯の温度や湯気が、痛みはあるとは言え、まだ救いだった。
(きっと光助にとっては、あれが普通のセックスなんだろうな……)
性的同意も無かったこと、屈辱感を蘭に与えて支配欲を満たそうとしていたこと、手錠を掛けられて逃げようにも逃げられなかったこと、それを蘭が悦んでいるように考えていたように見えたこと。
あまりにも嫌で苦痛のある性行為だったために、蘭は自分が快楽を感じている、絶頂に達している演技を必死で行い、それで光助の射精を誘って、出来るだけ早く切り上げて来たことを思い出した。
(人に演技させるなんて屈辱的なことをさせやがって……あいつは愛情表現としてのセックスを冒涜した)
蘭は愛情表現としてのセックスが大好きであり、それを尊いものとして考えている。
しかしそれはまず愛情を伴い、そして清潔さ、性的同意、配慮、避妊を伴って初めて成り立つものであり、欲望のままに相手の人格を貶めたり、下品な行為に及ぶのは、蘭にとって許せない行為だった。
(そんな私に、光助は……)
思い出しながら怒りの感情がマグマの様に湧いてきたのを蘭は感じた。腕組みをしてバスタブに浸かっていたが、爪が腕に食い込み痛みを感じた。
(あんなのはセックスじゃない。私の身体を使って自慰行為をしているだけ……)
怒りを感じながら、同時に止めどもなく涙も出ていた。それは自分が同じ人間として尊厳を持って扱われなかった。ただの射精のための道具として消費されたという悲しみだった。
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