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第13話 青空エステートにて
ここは青空エステートの会議室のひとつ。
青空エステートのアドバイザー(営業)の仕事は、いきなり顧客に営業を掛けるのではなく、日ごろからロールプレイをしておくことが重要視されている。この営業方法は『聞く営業』と呼ばれている手法の中の1つであり、『聞く営業』を導入したのも朝日奈部長だった。
ぶっつけ本番で現場で覚えろでは、人は育たないという考えの元でこれは行われている。
そのため、主に上位の者が下位の者の相手をする形で、ロールプレイが行われる。ロールプレイは長くても30分程度なので、時間が空いていたら毎日積極的に行う事が推奨されていた。実際にこのロールプレイを行うことで青空エステートの業績も格段に向上したのだ。
今日は、一条隆司が賃貸を探しに来たお客様役、新入社員の鈴木雅也がアドバイザー役という役でロールプレイを行っている。鈴木は緊張すると声が高くなる癖があるため、声を低くすることから丁寧に隆司は指導した。高い声では言葉が軽く思われてしまうからだ。
場面は賃貸物件を一通り案内したところだった。
鈴木「……という物件でございます。お客様はどのように感じられましたか?」
隆司「そうですねえ……。まあ結構良い物件じゃないかとは思うんだけどね」
鈴木「ありがとうございます。それではこの物件に決めるということでよろしいでしょうか?」
隆司「鈴木君、そのトークはまだ早いよ」
鈴木は驚いて尋ねた。「そうなんですか? しかし結構良い物件と言っていましたが」
「もちろん、良い物件なんだろう。ただこの場合はなぜそう感じたのかを聞いた方が良いんだ。そうするとお客様は自分の感覚を自分で強めるんだよ」
隆司はお客様の心理メカニズムについて説明をした。
鈴木も課のエースである隆司の言う事だけあって、素直に聞いてメモをした。
「それではこの部分から再開しよう」隆司が言った。
鈴木「……という物件でございます。お客様はどのように感じられましたか?」
隆司「そうですねえ……。まあ結構良い物件じゃないかとは思うんだけどね」
鈴木「ありがとうございます。なぜそうお感じになられましたか?」
隆司「まず、地下鉄の駅に近いというのが気に入りましたよ。出張で電車を使うことが多いから。それからそうだなあ……部屋の造り的に北側に窓があるというのが良い。南側に窓があると最近の猛暑でやたら暑いじゃないですか。家にいないことも多いですが、寝ている内に熱中症で孤立死とか勘弁して欲しいですからね」
鈴木「なるほど……そこが気に入られたんですね。確かに気温はどんどん高くなってますからね。この部屋なら南側に窓がありませんから、夏も比較的落ち着いて過ごせるはずです。それでは他に質問や懸念点などはございますか?」
隆司「今のところ他にはないかな」
鈴木「ありがとうございます。それでは申し込みをされますか?」
「そうだね。その流れでトークをすることで、お客様は自分で自分の考えを固めていく。賃貸物件営業だから物件主導というところはあるが、要所要所で考えを引き出して、我々が『聞く事』でお客様はより成約に向けて、自分を誘導していく。あとは『申し込みをされますか?』でも良いんだが、それで緊張するお客様もいるので、言い方を変えた方が良いかもしれない。どういう文言が良いかは、僕の方でも考えてみるよ」
隆司は新人の鈴木に指導しながら、(竜崎課長に俺もこういう風に教わったなあ……。ずいぶん注意されたっけ)と蘭に教えてもらったことを思い出していた。
「ありがとうございます」鈴木は丁重にお礼を言った。
その時だった。
同じアドバイザー2課の事務の工藤という女性社員が、会議室をノックして入って来た。普段落ち着いており、滅多な事では驚かない工藤の顔色が悪い。「ブルーハイツ201号室で孤立死が発生です。死後2週間経過しているようです」
工藤は緊張し、少し震えた口調で説明する。隆司は無言で立ち上がった。
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