8人が本棚に入れています
本棚に追加
1
最悪だ…最悪だ…!!最悪だ!!!
終業間際に仕事を振られて残業にもつれ込むのはいつものことだが、今日は今季の新アニメ『すたー☆ぶりーず』の初回放送日だから何としてでも定時ダッシュをキメたかったのに……!
汗でずり落ちかけた眼鏡をクイ、と戻しながら桜庭隼人は駅前の人混みを早足で進んでいく。
絶対定時で上がると決めていたからこそ『星姫伝説エブリア』の初回限定盤も発売日入手しようと店舗受け取りにしてしまっていて、アニメグッズ店である『くまのあな』にも寄らないといけない。
目指すアニメショップは狭くて古い雑居ビルの3階にある。
息を荒げながら階段を駆け上り店内に入ると、ちょうど入り口すぐの目につく場所に設置された大型モニターで今季アニメのPVが流れ始めた。
「勇者とか魔王とかよくわかんないけどぉ、人間襲っちゃダメくね?つーことでアンタはあーしが倒すから」
画面の中では金髪をサイドテールにしたつり目のギャルがキラキラした効果音と共に勝ち気な表情でウインクをしている。
『ギャルが転生したらパネェ異世界勇者になってマジアゲ!笑(通称・ギャルアゲ)』の主人公ゆめめだ。
異世界転生ものの作品は近年多く「またかよ…」と思いながらも実績のある監督の名前を信じて1話を見たのが終わりの始まりだった。
作品はタイトルの通り女子高生のギャルが異世界に勇者として転生し、次々とパーティメンバーを増やしていきながら魔王討伐を目指す王道RPGなアニメだ。
使い古されたようなストーリーだが、魅力的なキャラクターや伏線が散りばめられた意外にも重厚なストーリー、思わず笑ってしまうコミカルなギャグなどそれなりに作り込まれていて放送後から爆発的な人気が出ている作品である。
「やはりギャルアゲの正ヒロインはゆめめたそに限るなぁ」
「フッ、笑止。オタクに優しいギャルなど幻想乙。さすがに草」
ぽけーっとモニタを見つめる隼人の耳に見知らぬオタクたちのボソボソとした会話が飛び込んできて隼人はハッと慌てて意識を戻す。
いかんいかん、こんなところでもう100万回も見たPVを見ている場合じゃなかった。
レジはさほど並んでおらず、無事に円盤と初回限定特典の書き下ろし短編コミックスの入手に成功する。
帰り際、再びモニタの中からゆめめの「仲間になりたそうに…ってウチらもう友達じゃね?」とヒロインにしては少し低めながらもお茶目であっけからんとした口調が店を後にする隼人の背に掛かった。
僕だってゆめめの仲間になれるならスライムでも良いから異世界転生したいよ……。
胸中の情けない弱音を隼人はため息で誤魔化した。
インフラ保守エンジニア、というのが隼人の仕事だ。
顧客の企業のITインフラ…つまり業務で使うネットワークやPCを始め、メールやチャットツールなどのサービスが問題なく使えるよう整備するのが隼人の仕事だ。
対人スキルパラメータが壊滅的に近い隼人にとって、基本的には日々同じことの繰り返しでほとんど誰とも会話をすることなく済む今の業務は自分に向いていると思っていた。
しかし今日のように突発的なトラブルにもすぐに対応する必要があるため、残業は少なくない。
元来アニメやゲームが好きなオタクはコミュ障のまま大学を卒業し就職後に一人暮らしを始めたが故、一日の大半は他者と会話をすることもなく脳内での一人問答で終わる。
仕事柄も相まって異性との親密な関わりもなく、我ながらこんなつまらない人生ならいっそ異世界のスライムの方がマシなのでは?と冴えないただのオタリーマンでしかない隼人はそう思いつつ急ぎ足で階段を駆け下りて駅に向かうのだった。
最初のコメントを投稿しよう!