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第1話 政府公式アプリ『愛の育み方』通称:アイハグ
政府公式アプリ『愛の育み方』、通称“アイハグ”。
パートナーの作り方、結婚、子育てのことから性格診断まで、ライトに愛について学べるアプリ。
様々な権利が主張される世の中、結婚ひいては出産を強制することなど許されない。そんな中、国が考えた苦肉の策であった。
大抵、行政主導でアプリを作成するとなればUI UXはクソ、何の面白みもないアプリになるかと思いきや、今回、国は本気を出したのである。
義務教育では決して教わらない愛について、心理学、映画、名著と様々なジャンルから学べ、アプリの活用頻度に応じ、政府共通ポイントであるマナポイントが付与される。
愛の育み方というお堅いネーミングセンスにも関わらず、リリースからたったの1年で、アプリは5000万ダウンロードを突破し、通称アイハグとして、多くの国民に親しまれるようになっていった。
中でも、精緻な性格診断によって、新たな趣味を提案してくれる「新たな世界のススメ」の機能は、一躍人気を博す。この機能について、おすすめされた趣味を始めると、なぜか新たなパートナーと巡り合えるという噂が広まり、これもまた急激なダウンロード数の増加に火をつけた。
国民において「マチアプに飽きたならアイハグでも入れてみたら」が共通認識と化していた――。
***
「私ども総合省から市町村に対して命令とい――」
「じゃ、お前何ができんの?」
「本件につきまして、これ以上――」
「あ? 声小せぇよ!!!! 役立たずで、すみませんって言えよ!」
慌てて受話器の音量を最小にする。
もう何言ってもダメじゃん。
「..................」
「おいがきっ!! 黙ってんじゃねぇぞ!!!! お前脳障害?」
眼前に正方形のメモ書きが差し込まれる。
【長時間対応してるし、暴言を理由に切っていいよー】
隣の席の増田係長が、受話器と自分の顔を交互に指差して見せる。
いや、逃げるのは簡単だ。
「先ほどから、おっしゃっている内容は私に向けた言葉でしょうか」
「あ? お前ほんとにバカ過ぎない? あたりめぇだろ?」
「承知しました。暴言を吐かれるような場合、これ以上、相談対応を継続できませんため、申し訳ございませんが、こちらから切電させていただきます」
相談者が怒鳴り散らしているのも無視し、俺は定型文を一気に捲し立てると、受話器を置いた。
「おおー、お疲れ様」
増田係長は菩薩のような笑みを浮かべる。
「いやぁ、結構、しんどかったです......」
「そうだよね。......本当によく頑張ったよ」
係長は深く、ゆっくりと頷く。
どれほどの理不尽があろうとも、この安心感さえあれば、今の仕事も続けられる。
「正直、増田さんがメモ見せてくれなかったら、頭真っ白のままでした」
「それはそうだよ。みんなそう。いきなり人から大きな声でなじられて、平然としてられる人なんていないよ」
「そう、ですよね」
改めて言葉にしてくれると、心の緊張が解けていく。
ジャケットのしわを伸ばし、居住まいを正すと、係長は椅子を回転させ、俺に向き合う。
「ほとんどの人はね、こんな国民から苦情を受ける窓口なんてやりたがらない。それは、そうだよね。......毎日毎日、理不尽なことばっかり言われて、まともな意見なんて、ほとんどない。でも、僕たちは組織として相手と話してる。だから不用意なことは言えないし、ましてや何も言い返せない」
「............はい」
増田さんの言葉には、10年選手としての重みがある。
「でも正田さんはさ、もちろん今日みたいに大変なときもあるけど、基本的には熱意をもって、キラキラしながら対応してる。受け付けた苦情から、少しでも総合省が良くならないかって、本気で考えてる。これは誰にでもできることじゃない」
「......そう、なんでしょうか。うちの組織を良くするために、私たちの部署があると思ってます。それを、諦めてしまったら......存在価値に疑問、というか......」
係長は目じりにしわを寄せる。
「君の考えは素晴らしい。本当に身につまされる。......何があっても、その気持ちを忘れないでね」
「はいっ! もちろんです!」
「よしっ、その意気だ! じゃあそろそろ僕は愛する妻の元へ帰ろうかな」
既にPCを閉じていた係長は、日焼けしたビジネスバックを肩にかける。
「じゃあ、あんまり遅くならないようにね」
係長はそう言うと執務室を後にした。
***
「んなぁっ」
スマホの着信音が、執務室内の静寂を切り裂く。
「は、はい?」
「正田君? 1年ぶり、くらいかな?」
「えっ!? 倉持っ、さん!?!?」
倉持撫子さんは、俺が1年目の時に、OJTとして、行政官とは何たるかを一から教えてくれた恩人である。
先輩が突如としてこども未来庁へ異動となってから、確かに丁度1年くらいだろうか。
「今一瞬、私のこと呼び捨てにしたでしょ」
「いやっ、驚いちゃって」
先輩なのに気安いところが、ちっとも変わらない。
「......あの、さ。本当に申し訳ないんだけど、今から都内まで出られる?」
「え?」
現在時刻は19時。都内とは霞が関のことだろうか。
「実はさ、今日、偉いさんの飲み会に捕まっちゃって、正田君が優秀だって話してたら連れてこいってなっちゃって......」
俺は嬉しさと困惑から、うまく表情が作れない。
「そう、なんです、ね?」
「今って、庁舎?」
「あ、はい」
「確か今年から千葉だよ、ね?」
そんなことまで把握してくれているのか。
「です、ね。なんで今からすぐ向かっても、1時間半はかかります」
「......厳しい、か」
電話越しでも分かるほどに、先輩の声は萎んでいく。
「い、いやっ! 行きます! 行かせてくださいっ!!」
「ほ、ほんとに?」
「自分、久々に先輩と話したかった、ので!」
「うん、それは、私も。......正直、話つまんな過ぎて、ほっぺたつりそう」
往々にして、課長級以上との飲み会は気疲れするばかりで、楽しさなど皆無だ。
「じゃあ、今から向かいます!」
画面をタップし、俺は先輩との久々の会話を終えた。
「不在?」
17時過ぎに着信が2件。いずれも同じ、090から始まる番号だ。
俺はいつものように、その番号に掛け直すことはなく、そそくさと戸締りの準備を始めた。
***
東京へ向かう電車。もうそろそろ夢の国だろうか。
ドア出入口脇に身をもたれると、俺は真っ暗な海を横目に流した。
ふと、朝に見たニュースを思い出す。
――”夢の伝道師”
近頃、命を人質に夢を叶えさせようとする、夢の伝道師なる人物が世間を賑わせていた。話によれば、そいつは無差別に人を選び、お前自身の夢を叶えなければ殺すと、銃を突きつけるというのだ。はっきり言って頭のイカれた奴だとしか言いようがない。でもどこか、そこまで素直に単純化できていない自分もいた。
どのような方法であれ、そいつは、消えかかっていた夢という名の火種を、煙となって消えてしまう前に、再び燃え上がらせたとは言えないだろうか。
脅迫は脅迫だ、そんなこと頭では分かっている。でもそいつがきっかけで、もし、もしも夢を叶えた者がいるならば。
――そこに、正義は無かったのだろうか。
凍えるような隙間風に当たり過ぎたせいか、自分の顔が強張っていることに気が付く。俺は姿勢を正し、明るい車内をただぼんやりと眺めた。
***
先輩から言われた小料理屋に着くと、30名以上の大所帯が、それぞれ島に分かれ談笑していた。各テーブルに1人ずつ、おそらく課長級以上の年配職員が配置されている。
「あっ!! 正田君!」
「倉持先輩っ!」
つややかな黒髪を一つ結びにした先輩が、ぶんぶんと大きく手を振る。
切れ長の目に、すらっとした鼻筋。初めて会った時と同じパンツスタイルで、先輩は相変わらずクールな風体だった。
この容姿と身振りが一致しない、何とも微笑ましい感じが懐かしい。
「すみませんっ! 遅くなりました!」
「急だったのにごめんね」
長いまつげをしばたたかせながら、先輩は俺を窺う。
「全然ですっ! 一瞬でした!」
「適当なことばっかり言って」
先輩は、ふっと笑うと俺の肩を軽く叩いた。
「で、こちらが私がお世話になっている室長の吉園さん」
「大変遅くなり、申し訳ございませんっ! 千葉の正田と申します!!」
「初めまして、室長の吉園です。そんなにかしこまらなくて結構ですよ」
発言とは裏腹に、温かみのない無機質な声が俺の緊張を加速させる。
銀縁の丸眼鏡をかけたその男は、他の席にいる課長級とは異なり、黒々とした髪を整髪料で綺麗になでつけていた。年齢にしてまだ34、5歳程度にしか見えない。いくらキャリアとは言え、この若さで7級以上などありえるのか。
「級数と年齢が一致しませんか?」
「あっ、いえっ。滅相もございません」
心臓を鷲掴みされたような感覚に襲われる。
「もう室長っ! こんなに可愛い後輩をいじめないでくださいっ!」
「あ、これは失礼いたしました。ついつい初々しくて、からかってしまいました」
吉園室長は、わざとらしく襟足に手をあてがうと、薄い笑みを浮かべた。
「あ、あの室長は、何室の室長ということなのでしょうか?」
俺は単純な疑問をぶつける。
「ごめんね。私たちがいる室ってまだ正式な部署になっていないというか、所属している人にしか情報を明かせないの」
室長が答える前に、倉持先輩が手短に説明する。
「そう、なんですね」
「正田さんが当室にいらっしゃることを、心待ちにしておりますよ」
「ありがとう......ございます」
この男には、全ての思考が読み取られてしまうような気がして、話す気が失せていく。
「正田さんは夢の伝道師をご存じ、ですか?」
「え、ええ。ニュースで報じられている程度でしたら」
「そう、ですか」
室長は親指と薬指で、眼鏡の両端を押し上げる。
「私、嫌いなんです」
「え?」
「正田さんは好きですか?」
一瞬、電車でのことが頭を過る。
「す、好き、とか、嫌い、とかは分かりかねますが、犯罪者です、から」
「いえ、そういうことではありません。私がお伺いしたいのは、伝道師がしていることについて理解ひいては共感できるか、という意味で好きかということです。犯罪者といっても大怪盗のような部類はきっと皆さんお好きでしょう」
この吉園という男には、レベルの低いごまかしは通じない。
「そう、言われましても......」
「私は嫌いです」
わざとらしく頭を左右に振ると、室長は断言した。
「何か大きな困難、壁が立ちはだかる時、皆がそれぞれの方向を向き、その道を突き進むだけでは乗り越えられない。一致団結しなくてはならんのです。私から言わせれば伝道師のやっていることはガキ、そのものです」
俺は汗ばんだ手を握り締めた。
「室長のお考えは......大変良く、分かりました。安易に共感することは反対に失礼にあたるかと思われますから、今回は回答を保留、させていただきます」
室長は、にやりと笑い俯くと、俺に言う。
「行政官としては100点満点の回答です。ですが、人間としては、あまりにもつまらない。あまりにも」
ふと倉持先輩に目をやると、肘を抱き、苦しそうに口角を押し上げていた。俺はそんな先輩を直視できず、テーブルに広がる冷え切った料理をにらみつけた。
***
「私、正田君だったら、怖く、ないから」
先輩はそう言うと、背後から俺を抱きしめた。腹部できつく組まれた先輩の手は震えている。
香水だろうか金木犀の優しい香りが広がり、先輩の温かさがじんわりと背中に伝わってくる。
「えっ」
俺は息を呑んだ。
「嫌、かな?」
「嫌、ではない、です」
「義孝君って背、大きいよね」
「まあ、はい。......先輩、酔い過ぎ、ですよ?」
「酔ってない。真剣に抱きついてる」
「......なんだよそれ」
「あったかい」
玄関で電気も点けず、俺たちは何をしているのだろうか。
こんな展開になることを期待していなかったと言えば嘘になる。でも、俺はこの状況を素直に喜ぶことができない。
あの後、室長の居た飲み会を2人で抜け出すと、雑多な飲み屋を一軒また一軒と梯子した。でも先輩は、懐かしい、楽しかった思い出を語らえば語らうほどに、苦しそうに笑ったのだ。
俺だって馬鹿じゃない。
先輩のこの行動に、きっと愛は、ない。
「先輩、おかしいですよ。こんなの」
より一層、先輩は俺をきつく抱きしめる。
「なんでっ!! ......そんなこと、言うの」
「......なんで、って。......先輩は、こんなことする人じゃない、から」
別に確証があるわけじゃない。1年という短い期間でも、先輩と一緒にいた俺が違和感を感じているのだ。
「お願いっ!! ......お願いだからっ! 結婚して、子供を――」
「何っ――」
先輩は俺を強引に引き寄せると、無理やりに口づけた。
ぶつかった歯の痛みを感じるとすぐ、俺の頬に先輩の熱い涙が伝った。
***
「うっ、お、おっ、おうぇ」
俺はコンビニの便器の前に膝まづき、一心不乱に胃の内容物をリリースしていた。
「はあ……はあ。んっ、はあ……」
あの後、泣きながら謝り続ける先輩を落ち着かせると、俺はすぐに部屋を後にした。
もうあんなチャンスは2度と巡ってこないだろう。
結局、先輩から深い事情を聞くことはできなかった。でもただ一つ、喉を絞り上げるように、”アイハグ”とだけ、先輩は何度も呟いていた。
「……訳分からん」
飲めない酒を浴びるように飲んだからか、頭が割れるように痛い。
――瞬間、爆竹のような破裂音が耳をつんざいた。
「爆発?」
俺はトイレのドアに耳を押し付ける。
「おいっ、お前。お前だって。いいからこっちこいって」
もう一度店内に爆音が響き渡る。
間違いない。これは銃声、だ。
「殺しちゃうよ? そうそう、一回こっち来てみなって」
犯人と思われる男は、飄々とした声で脅迫を続ける。
気安い雰囲気が、反対に恐怖を増幅させる。
「お前ってさ、夢ある?」
夢? 何、言ってるんだ?
「ああー、もうそのリアクション飽きたわ。だよなー。いきなり言われてもってやつだろ? だからさ、自分のやりたいこととか、子供の時に目指してたこととかだよっ! なんかあんだろ?」
先ほどの銃声が無ければ、まるで反抗期の子供との進路面談のようだ。
「悪いが時間が無い。あと10秒。10秒で夢を語らなかったら、殺す」
夢、殺す、銃。
嘘だろ? ニュースのやつか?
「あっ? 声小せぇな。科学? 科学者? おっ、いいじゃんあるじゃん!」
あの伝道師だと分かったのは良いが、このままでは結局、俺は逃げられない。
鍵をかけていれば大丈夫か? 銃で壊されたりしないのかこれ?
「よしっ、じゃあ、身分とか分かる物全部出せ、携帯とかもな」
心臓が痛むほどに、どんどんと鼓動が速まっていく。
「うしっ、じゃあ、お前今日から研究者? 科学者? か、それ目指せ。夢叶えなかったらお前、殺すから。いいか、お前がどこに住んでるか、家族も恋人も友達も全部こっちは把握してる。意味分かるな?」
コンビニは静寂に包まれる。
「科学者目指すクレバーなお前なら、俺の言ってる意味は分かるだろ。あんまり生意気な奴だと指の一本くらい吹っ飛ばすんだけど、お前はいいや。じゃっ、頑張れ」
危なかった。マジで死ぬかと思った。
本日3度目の銃声、一瞬にしてトイレの入り口には風穴が開いていた。
「時間がねぇからさ。ぱっと答えろよ?」
恐怖から声がのどに張り付き、唾を飲み込むことしかできない。
「ビビッて声出ねぇか。まあいいや。それでさ、お前職業は?」
答えなければ殺される。
俺は声をひねり上げる。
「こ、公務員です」
「お前殺されたいの? はっきり言えよ」
おまけの銃弾が打ち込まれ、風穴が広がる。
「こ、こっぱん。総合省のただの一般職、です」
俺が、か細い震えた声でそう答えると、男は声高らかに笑った。
「まじっ!? お前運いいな! そっかそっかー。ならもういいや」
小刻みに震えた足には力が入らず、俺はずり落ちるよう便器へ腰かけた。
***
1ヶ月後、先輩は突如として退職した。
送り先全員をbccに設定したメールが一通届いたのだ。メールには、あくまで簡素な挨拶だけしか書かれていなかった。
意味もなく、俺は先輩からの最後のメールをスクロールする。
「正田さんごめんねー。ちょっと私の部屋までいいかな? あ、あと課長も」
俺と課長は、何事かと視線で会話すると、所長室へ向かった。
いつも朗らかな所長は、深刻な面持ちで話し始める。
「急な話で申し訳ないんだけど、正田さん......明日から、こども未来庁へ異動です」
「はっ!?!?」
異動も何も、千葉に来てからまだ1年も経過していない。
それに今は12月だ。
「うわーこりゃ大変だね」
課長は口をゆがめ、俺の肩に手を添えた。
「本当にごめんね。何も隠してたわけじゃなくてね、本当に昨日連絡がきたんですよ」
所長も口を真一文字に結ぶと、憐れむような眼を俺に向ける。
「こども未来庁って、部署は? 何をやらされるんですか?」
俺は所長へ問いただす。
「ごめんなさいね。それも分からないの」
「正田君、これ極秘任務みたいなやつなんじゃない?」
他人事をいいことに、課長は軽口をたたく。
「そんなことって……」
「急な人事異動って、本省のお偉いさんにしか事情が分からないことが多いから」
諦めたような笑みを所長は浮かべる。
「でもですね、正田さんの直属の上司は分かりますよ」
とてつもなく嫌な予感がする。
「吉園室長です」
俺は耳がキーンと遠くなるような感覚に襲われた。
***
自らの太ももに電話の着信特有のバイブレーションを感じる。
「ん? ......はあ」
スマホの画面には、ここ最近、定期的に着信のある090始まりの番号が表示されていた。
「はい?」
「やっと、出てくれた……。」
なかなか始まらない説明会に業を煮やした俺は、1分でも暇を潰せればと、通話ボタンをタップしていた。
自分と同じ、20代くらいの女性だろうか。
「どちら様ですか?」
「正田君、だよね?」
知り合いか? 名前だけ確認されると気味が悪い。
「質問に答えていただけますか? あなたは誰ですか?」
一抹の恐怖を感じ取った俺は、意識的に強く出てしまう。
「私、折本。折本、楓」
「えっ――」
なぜこの女がその名前を語る。
「大変お待たせいたしました。中へどうぞ」
掛け声とともに大講堂の入口が開かれると、俺は一瞬にして、集められた職員らの濁流に飲み込まれた。
***
こども未来庁の第1大講堂、すり鉢状になったこの場所には総勢100名以上の職員が集められていた。
目を凝らせば、前方にあの室長も座っている。
マイクがハウリングし、皆の視線がステージ中央に集まる。
「本日長官は公務のためお見えにならない、従って、審議官の私が長官からのメッセージを代読する」
講堂は一瞬にして静寂に包まれた。
「以下代読。各省庁から集められた君たちは、選りすぐりのエリートだ。皆、一人一人、我らの計画を進めるに適合した能力を兼ね備えている」
唐突に集められた俺たちは互いの顔を見合う。
「我々、そして君たちにとっての使命とは、必然的に運命を創出し、そこから芽生えた恋を育て、大きな愛を生むことだ」
俺を含め、その使命とやらを理解できない者たちがどよめく。
「今送ったメッセージから資料を確認してもらいたい」
審議官のセリフを合図に、通知音が輪唱を始める。
通知に添付された資料を開くと、氏名、住所、趣味などが記載された見知らぬ国民たちの名簿が映し出される。
「さっきは少しばかり詩的な言い回しをしてしまったが、今度は行政官らしく端的に言おう。その名簿に記載のある者たちを1年以内に結婚させろ。もっと言えば出産までだ」
会場内のどよめきは、より一層大きくなる。
「いいか。君たちに選択肢などない。これは業務命令だ」
俺は手のひらを口元にあてがうと、視線をさまよわせた。
スマホを持つ手が震えている。
「……どうすんだよ」
その名簿には、死んだ初恋の人、折本楓の名前があった。
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