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【2016/10/3 くもり のち 雨】
「……留学?」
学食で居合わせて向かいに座った羽奈の言葉をそのまま繰り返すと、羽奈は困ったような笑みで頷いた。大学院に進んでからは毎日顔を合わせるわけではないけど、どこか調子が悪そうにも見える。
「卒論の内容が評価されたみたいで。二年間くらいアメリカの大学で勉強してみないかって」
羽奈は植物分類学を専門とする研究室に所属して、植物の進化の系譜について研究している。「いつか新種の植物を見つけてみたい」なんて無邪気な理由だったけど、羽奈にあっていたのか学部の頃からあちこちで結果を出していた。
俺はといえば、植物の遺伝子やタンパク室について研究する植物分子学の分野に進んだけど、研究室の活動についていくだけでいっぱいいっぱいという有様だった。
「すげえじゃん。いつから行くんだ?」
「……うーん。そうだね、いつからにしよう」
羽奈にしては歯切れの悪い言葉。羽奈の目の前の学食定番のカレーは全く減っていなかった。羽奈が握るスプーンだけが当てもなく宙をふらふらと彷徨っている。
「羽奈。行きたくないのか?」
「私、英語そんなに得意じゃないし。それに、最近ちょっとしたことでよろけたり転んだりして、なんだか危なっかしいんだよね」
「それは昔からだろ」
「むう。そうだけど、なんか悪化してるっていうか……」
羽奈は言いよどんだままそろりと俺を見る。
自惚れじゃなければ、羽奈が判断を迷う理由に俺も入っているらしい。
どうにか同じ大学に滑り込み、そこからの四年半は楽しかった。別々の学校となった高校時代を取り返すかのように一緒にいることが多くて、それは、小春日和のような失うのが惜しい穏やかで温かな日々だった。
それなら、羽奈の背中を押せるのは。
「あっ、さてはお前、幸せのなる木のこと気にしてんだろ! 気にすんなよ。羽奈が留学行ってる間は俺が面倒見るからさ」
羽奈と離れ離れになるのは、正直言って寂しい。頑張っている羽奈を横で見ているから、俺も頑張ることができている。
だけど、羽奈らしく無邪気で、無鉄砲で、思うがままに進んでほしいという矛盾した願いも正直なものだった。
「……それなら、安心だね」
羽奈はカレーと俺の間を何度も視線を行き来させてから、微かに表情を崩した。
なんかそわそわして、そんな感情から逃げるように羽奈のカレーを一口分掬って頬張った。
「あっ、ちょっ! 遼!?」
「行ってこいよ。向こうで新種の植物が待ってるかもしれないぞ?」
少しだけ口をパクパクさせてから、羽奈はゆっくりと頷いた。
「わかった。わかったけど、待っててね」
「おう。あの木に幸せが生る前に帰ってこい」
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