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「え? 想思……」
なにか言いかけたのを無視して、にこっ、と、女のひとに向けて笑う。
「心配せんでええですよ。そちらのねこさんやなくて、もう一匹おった方が、引っかいとるんで。なんも、気に病む必要はないです」
「え? もう一匹、いたんですか」
「そですねえ。彼氏さんやと思います」
先ほどまでとは別人のような、営業スマイル。
「でも、早めに手当せんと、今日のおゆはんづくりに差し支えるんで、これで失礼させていただきますねえ」
強く、恋顧の手を引く。
「最後にいっこ、質問良いですか」
朗らかに発された問いに、女のひとはなぜか、一歩後退する。
横髪に隠れ、恋顧からは、想思の表情は確認ができなかった。
「は……はい」
「その首輪の鈴、どこで買いました?」
彼女はほっとしたように、とある専門店の名を口にした。
「おしゃれだったので、わざわざ選びに行ったんです」
「ありがとうございますう」
もう、滅多にまた会うこともないかなと思たんで、聞いとかななあと。
さらりと、言い放つ。
「物騒な事件も最近は多いから、ねこさんの管理、気をつけてくださいね。悪い虫がつかないように」
ほな、そういうことで。
背を向け、歩き出す。
恋顧はぺこりと頭を下げ、それに続いた。
女のひとはネロを抱き上げて、その後ろ姿を、じっと見守っていた。
◇
「痛えよ」
「…………」
帰ってきてすぐ、想思は恋顧を引っ張り、洗面所に向かった。
じゃぶじゃぶと流水で傷を洗い流されながら、不平を洩らす恋顧。
「もう、大丈夫だから――」
「脱脂綿も買ってこなな」
「聞いてる?」
想思が、表情をぴくりとも動かさないまま、彼へと、視線を留める。
数秒の、間。
はッ、と、嘲笑するように、口をゆがめて言う。
「アホなんか? お前」
恋顧は意味がわからないと言わんばかりに、眉をしかめた。
「どうしたんだよ……。さっきまで、にこにこしてたじゃんか。おれ、なんかした?」
「別にい」
語尾をわざとらしく間延びさせ、
「あの鈴、かわいかったな」
と、真黒な目を、きゅうっ、と細めた。
「お前の首にも、付けとかなあかんかな」
濡れたつめたい手が、恋顧の首をそっと、掴む。
片手の中に、すっぽりと、ほとんど収まってしまう細い首。
「いや、なんでだよ! おれ、ねこじゃなくて、人間だし」
「ふふ」
想思は微笑む。
低い声。
今度は手を、彼の頭に持って行く。
「かわいい飼い猫やって、ちゃんとわかるようにな」
「?」
恋顧はただ、不可解そうに、唇をねこみたく曲げていた。
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