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十六年ほど前のこと。まだ喜助は生まれていない。
川越まで反物の買い付けに出向いていた伊勢屋の先代が、途中で落とし物をして困っていた。百姓だった喜助の祖父が野良仕事からの帰り道、薄暗がりで探し物をしているのを見かけて連れて帰る。
聞けば、明後日に反物の商いを予定していて、その手付金を失くしたという。
その晩、伊勢屋の主人は喜助の父親に書付を持たせて、江戸までの使いを頼む。まだ若かった喜助の父親は九里の道を一晩で駆ける。そして翌日の夕暮れには、番頭が金を届ける。これで無事に商いを済ますと、伊勢屋は帰りに喜助の家に立ち寄ると、「たいそう世話になった。この商いがうまくいかなかったら、店はつぶれていた。困ったことがあったら、訪ねてきなさい」と礼金をおいて、川越を去った。
それから十数年。
二年続いた凶作と、川の氾濫で駆り出された夫を事故で亡くした喜助の母親は、川越の地を離れることを決意する。もともと小作農で、大した田畑は持ってなかったこともある。
その時にはすでに亡くなっていた祖父から、『困ったことがあったら、伊勢屋を頼れ』と言われていたことを思いだした母親は、喜助と二人で故郷を後にした。
尋ねあてると、主人の恩情で雑用係に雇われ、普段は物置に使っている離れに寝泊まりを許された。先代は亡くなっていたが、当時の話は今の主人にも伝わっていたようだ。なんとか生活できるようになったことに喜助の母は感謝し、一生懸命に働いた。
それが三年前のことで、お菊はまだ一歳、喜助は七つになっていた
喜助は、おかみさんからお菊の子守役を仰せつかり、子供ながらお菊の世話をするようになった。お菊は女の子であったが、少し無鉄砲なところがあって、大きくなって外で遊ぶようになると男の子のように神社の境内を走り回っては、時に石段などで転んでは怪我をすることもあった。
そんなとき、喜助はお菊の母親からこっぴどく叱られる。
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