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そして二年が過ぎる。
喜助は先輩の分を埋めるほどに仕事に精を出し、主人からまだ若いが番頭にしてやろうかという話も出ていた。そんな話を出すとおかみさんが、「それはもちろんだけど、それより先にお菊の婿にしましょう」と言われていた。
「ねえ、喜助さん、見て綺麗ね」
お菊は、すっと喜助に近寄ると喜助のたもとをつかむ。
喜助は、今日は店から休みをもらっていた。普通ならば奉公人は盆と正月の年二回、藪入りという休みをもらえる。だが、喜助には帰るところもなく、休みもとらずに働いてる。藪入りの日は店を閉めるが、喜助は蔵の商品の手入れをしたり店を拭き掃除をしたりと、忙しそうに働く。
おかみさんから『今日くらいはゆっくり休みなさい』と言われていたが、根が働き者であったのだろう。『いえ、おかみさん、あたくしは動いているのが好きで』と言って、やめようとしない。そのうち主人もおかみさんもそれに慣れてしまったのか、口出ししないようになっていた。
数年前から、おかみさんには『店の状況を見て、お前が好きなときに休んでいいから』と言われていた。喜助が手代になる前に奉公人として入って来た小僧も、店の仕事にも慣れ喜助の後釜として育ってきていたこともある。
今日、二人は富岡八幡宮にお参りに来ていた。
境内のモミジもすっかり色づき、その下に咲く彼岸花もいっぱいに咲いていた。
お菊は、喜助に向き直ると「ねえ、覚えている」と聞く。
「え、何ですか。お嬢さん」
「ね、お嬢さんはやめてくださいな。菊って呼んで」
お菊は少しふくれっ面をしながらキッと喜助を睨むが、ただ可愛さが増したにしか過ぎない。
「でもそれは、できません、お嬢さん」
「ね、いくつの時だったかしら、あたしが彼岸花を家に」
「ええ、覚えていますとも。お嬢様があたしをかばってくれたので、叱られずに済みました」
「そうだったかしら。それでね、この間もおっかさんが反物を当ててくれたの。これはお前の花嫁衣装にするかなって。喜助さんのお母さんにも見てもらいたかった」
伊勢屋に拾われたことで、息子に肩身の狭い思いはさせたくないと、寝る間も惜しんで仕事をしてきた喜助の母親は、喜助が手代になったあくる年に病が元で亡くなっていた。
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