喜助とお菊

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喜助とお菊

「お嬢様、もう暗くなりますから帰りましょう」  喜助は、すっかり日が傾いた西の空を見やると、神社の境内で石けりに夢中になっているお菊に声をかける。 「いやあ、もう少し遊んでる」  いつものことであった。  深川は北森下町で結構な店を構える呉服商・伊勢屋の娘お菊は、両親からはもちろん、使用人からも大事に扱われ、わがまま一杯に育っていた。  ここ深川の地は、大名の下屋敷が立ち並び、武家の奥方や娘さんにも得意先がある。近辺にはその時期になると大川端の花見や、両国の花火見物の客が利用する船宿も多い。船宿は、大川に流れ込む小名木川とそこに通じる六間堀川沿いに軒を連ねている。  また小名木川沿いの海辺大工町にはそういう船や、大川沿いにある幕府の御船蔵などを相手にする船大工も多い。  船宿と称しているが、実は宿屋ではない。  もともとは船の貸し出しを業としていたが、ここ深川では釣り客は多くない。確かに花見や花火見物で賑わう時期もあるが、むしろ吉原へ通う客の便として一年中大いに利用されていた。そして、いつしか二階が休憩所となると酔客の社交場と変わっていく。  深川には材木商も多く、富岡八幡宮の周辺には花街が形成される。ここで働く遊女や材木商が料亭で遊ぶときや、船宿で遊ぶ客に呼ばれる芸者(辰巳芸者)も集まる町となった。  もちろん男性客もいたが、伊勢屋はそれらの女性が着物を買い求めることも多く、大いに繁盛していた。  朝晩は店内の拭き掃除から店前の掃き掃除などもあるが、昼間は、主にこの幼い伊勢屋の一人娘お菊の子守が喜助の仕事であった。
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