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……ハァ。本日何度目かのため息に腐女子三人衆から訝しげな視線が飛ぶ。
「絵に描いたような上の空だね」
「恋煩い?」
「どの男だ言ってみな」
何で男限定なんだよ。外れてないのが更に遣る瀬無いけども。恋、恋かぁ……俺にはわかんねぇな。ザクッ、にんじんのヘタを切り落とす。今日の調理実習はホワイトソースから作るクリームシチューだそうです。漫画だとよくクッキーやマフィンを作る描写が多いけど、うちの学校はザ・ご飯ばかり作る。これじゃあ想い人にあげられませんね。
「朱吏、危ねぇって! 指!」
「大丈夫大丈夫……あ、痛」
「ほらぁ! もう貸せって!」
次はにんじんを乱切りに。乱切りってどれだっけ? 尋ねようとしたが、三人の目線は一点を見つめていた。手を動かせや。
「今日も佳浅はイチャイチャしてますな〜」
「てぇてぇな〜。私は浅佳派だけどね」
「現実も捨てたモンじゃないな〜。リバで良くない?」
「「良くない」」
「おい、乱切りって何」
「え? 乱交?」
「聞いた俺が馬鹿だったわ」
役立たずに期待するのをやめ、頼りになる家庭科の教科書をめくる。これは短冊切り。みじん切りが違うのはさすがに分かる。あ、これイチョウ切りか、一瞬脳内に浮かんだのコレだったわ危ねー。ハイハイ乱切りわかりました、適当に切るやつね。
「でも、あの仲の良さはマジでデキてる説あるよ」
ねぇよ。なんか、浅魅は俺の事が好きらしいし。ザク、ザク、不規則にって意外に難しくね?四角くなるんだけど。
「んー。にしてはちょっと健全過ぎない?」
「わかる。どっちかというと、佳室の片想い感が強い気が」
ザクッ。包丁を下ろした瞬間に鋭い痛みが走った。見れば人差し指にぷっくりと血が浮き出ている。認識した途端に痛みが増して、流れ出る血液を鮮明に感じた。
「痛った」
「え!? ちょ、何やってんの高成!」
「血出てるじゃん! 冷やす?冷やす!?」
「舐める……は雑菌入るからダメなんだっけ!?」
落ち着け、本人より取り乱すな。それより血塗れになりそうなにんじんを避けてくんないかな。とりあえずギュッと押さえてみるが、簡単には止まりそうにない。何なんだよ、自分の血すら思い通りになってくんないワケ?
元から自身の事はあまり好きではなかったけれど、ここ最近の俺は本当にクソ。嫌で嫌で仕方がない。かっこ悪くて、ダサくて、梅雨の時期よりジメジメしてる。流れる赤を睨み付け、指先が白くなるほど握り締めた。止まれよ、止まれって。
「馬鹿、そんな強く押さえんな」
スッと奪われた指先が白いタオルに包まれる。締め付けを失って勢いを増した血は、柔らかな毛先に吸収された。
「結構深く切ったな」
「か、むろ……」
「ん?」
冷たい印象を抱く切れ長の目、でも誰より暖かな光を宿す目。ずっとこっちを見て欲しかった瞳と近距離で視線が合う。
「先生。俺保健委員なんで、コイツ保健室に連れて行きます」
「は!? そこまでしなくても」
「何? お姫様抱っこで連行されてぇ?」
唇の端をクッと上げた意地悪な笑みに口をつぐむ。それは死んでも嫌、しかしこれ以上抵抗すると本当にやりかねない。佳室の中で保健室行きは決定事項らしく、離す気のない腕に引かれ調理実習室を後にする。一瞬、残された一人の事が気になった。
離席中の札が下がったドアを開け、我が物顔で棚から薬品を取り出していく佳室。処置を施す動作は淀みなく、こんな事まで出来るのかという感心と、ヒーローだもんなという納得を抱く。
にしても、こうして二人になるのはひどく久々な気がして落ち着かない。俺らってどんな話をしてたっけ。
「あの女子達に何か言われた?」
「へ」
「動揺したから切ったんじゃねぇの? もし嫌な事言われたんなら、正直に言って」
必死に話題を探している所への急な問に頭が回らず、つい間抜けな声が出た。た、たしかにアイツらの言葉が原因っちゃ原因だけど……。
「ちなみに、言ったらどうなるの?」
「俺から注意する。もし酷い内容だったり、注意しても直らないなら手が出るかも」
「は、女子相手に? あの佳室が?」
「善悪に性差は関係ねーだろ。つか、俺の事なんだと思ってんの?」
「皆の佳室くん」
ハァ。あからさまにため息をつかれた。半月状に細められた目は呆れを含んでいて、心当たりの無さに狼狽える。
「俺、高成の事けっこう贔屓してると思うんだけど」
「え? あーーまぁ、そうだったかも?」
「そうだよ。特別なんだから」
「とくべつ」
「理想壊したらゴメンな。俺はただのクラスメイトより、高成の方が大事だから」
へ、へぇ。とりあえず腐女子共はウザいけど悪い奴らではないので弁解しておいた。
そっか、特別なのか。……へへっ。ヤバい、なんかめちゃくちゃ嬉しい。気分が舞い上がって飛んで行きそうになって。ふと、近頃の情景がその足に枷をはめる。
──じゃあさ、特別で大切な俺より優先される浅魅って何?
「え、朱吏?」
無意識のうちに声に出てたらしく、耳聡く拾った佳室が眉を寄せる。今の聞かれるとか死んでいいか?
「誤解されたくねぇから一応言っとくけど。朱吏に恋愛感情とかそういうのは一切無いから」
「いいって、わかってるから!『ここは現実、Not BL』ね、オーケーオーケー」
「あ?」
ただ、ならどうしてあんなにベッタリなのかは気になる。俺は初期の一匹狼か、打ち解けてからの人気者のコイツしか知らないので。チラリとみつめると、察した佳室が「朱吏は、その……」と目を泳がせた。言い辛いのか、「あー」とか「うー」とか唸りながら赤い髪をガシガシ掻き混ぜる。
「ッ、だぁあもう! 今から聞く事は絶対他に漏らすなよ!?」
そう前置くと、佳室は深呼吸をした。伏せ気味の目がふわりと緩んで、ほんの僅かだが口角が上がる。大切なモノの話だと否が応でもわかった。長い睫毛と共に瞼が押し上げられ、綺麗な瞳と視線が絡む。
「これは俺の人生を変えた、世界一かっけぇヒーローの話だ」
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