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▲▽▲▽▲
──こう見えて俺、昔はいじめられっ子だったんだ。
図体デカいくせにドジで気弱だったから、上級生から目ぇつけられてさ。馬鹿にされたり、パシられたりしてた。
すげぇ嫌だったけど、歯向かう勇気は無いし、親や先生に知られるのはなんか恥ずかしくて。幸か不幸か病院沙汰になるほどの怪我とか、親の金に手を出す程のカツアゲはされなかったから、周りも気付く事は無かった。
大丈夫、大丈夫。俺さえ堪えれば全てが丸く収まる。
一年後、コイツらが中学に進学すればいじめは無くなるかもしれない。
一ヶ月後、俺かコイツらが転校するかもしれない。
一週間後、ひょんな切っ掛けで改心してくれるかもしれない。
明日、…………俺じゃない誰かに、ターゲットが移るかもしれない。
色んな“かもしれない”を支えに、苦しみは全て飲み込んだ。俺さえ我慢し続ければいつか終わりは来る。きっとそう、遠くない未来に。
そんで何事も無かったように平和な時間が流れて。何も知らない親や先生は呑気に笑って、いじめっ子達はいじめた事すら忘れて普通に青春謳歌して。俺? 俺は……まぁ、時間が解決してくれるんじゃないかな。
11歳の誕生日の時、父さんが派手な柄のリュックをプレゼントしてくれた。
単身赴任であまり会えないけど、子供達の誕生日には必ず真剣に選んだプレゼントを持参し駆け付けてくれる、そんな父さんが好きだった。「今回もめちゃくちゃ悩んだよ〜」と言って渡されるものにハズレは無く、ちゃんと俺達を愛してくれてるって伝わってたから。その日渡されたリュックも凄く俺好みで、大切に、大切に使おうって思った。
「なんだこの派手なリュック」
「条士郎のクセに生意気だな〜」
「見てみて! 俺の方が似合ってね?」
「いいじゃーん。貰っちゃえば?」
あっ……。
下校の途中でいつもの奴らに絡まれた。ぐいぐい引っ張られリュックが壊れる事を恐れた俺は、アッサリ手放してしまったのだ。
大切にすると誓った矢先に、雑に扱われる宝物。悲しくて、一生懸命選んでくれた父さんの事や、笑顔で誕生日を祝ってくれた家族の事を考えたら余計に苦しくて。口応えなんて普段ならしないのに、気付けば「返して」と呟いていた。
「は?」
「っ……か、返してってば!」
日も落ち、物寂しい雰囲気が漂う夕暮れの河川敷。数秒の沈黙の後、リーダー格の子が零したのは深いため息だった。おもむろに川と陸地を隔てるフェンスへ近寄ったソイツは、オレンジ色に染まる川へ俺のリュックを差し出す。
「何してんだよ!?」
「萎えた」
「やめろ! 返せよッ!」
取り返しに駆け出そうとすれば、別の子に両脇を抑えつけられた。水面ギリギリで揺らされる宝物に、駆け寄る事さえ出来ない。
俺が、我慢出来なかったのが悪いんだろうか。いつもみたいに唇噛み締めて堪えてれば、最悪の事態にはならなかったんだろうか。そんな情けない手段しか、俺には大事なものを守る方法が無いのだろうか。
かっこ悪ぃ、死ぬほどカッコ悪いじゃん俺。嫌いだなぁ……どうしてこうなっちゃったんだろう。俺はいつまでこんな自分と付き合わないといけないんだろう。
いじめはもうちょっとで終わるかもしれない。でも、その後で俺はちゃんと変われるのか? また違う奴にいじめられて、一生馬鹿にされ続けて生きて行くんじゃ……。
涙が溢れ、鼻水で呼吸が満足に出来ない。滲む視界の中、嗚咽と共に出てきたのはか細いSOS。
「……たすけて」
その瞬間、ヒュンッと風斬り音がした。
走ってきた勢いのままリーダー格の子へ飛び蹴りをかました乱入者は、川へ落ちる寸前に俺のリュックを掴む。俺より低い身長、ちょっとすれば女の子にも見えるその子は、唖然とするいじめっ子達を睨んで吐き捨てた。
「ダッセェな、お前ら」
それにいきり立ったいじめっ子達が集団で掛かっていくも、彼は一人で自分より体格の良い奴らをのしてしまった。たださすがに無傷という訳にはいかず、可愛い顔には痛々しい痣や切り傷が作られていた。俺が、助けなんて求めたから。
「ほら、お前のリュック」
「……ごめん」
「は?」
「俺が助けてって言ったから、無関係な君に怪我させた。ごめんなさい」
うつ向く俺に、彼は「はぁぁ?」と思いっ切り首を傾げた。大きな瞳には、俺の謝罪に対する不満がありありと浮かんでいる。
「助け呼ぶのは悪い事じゃねぇだろ。逆に渋る意味がわからん。回数制限も無いんだから、誰かが助けてくれるまでガンガン叫べばいいじゃん。助け呼んだモン勝ちだろ」
「で、でも。実際君に迷惑掛けてるし」
「あのなぁ」
呆れと苛立ち紛れの声は、不思議と怖くなかった。それよりも、続く言葉にドキドキしてる自分が居る。この子の声を聞き逃したくなかった。
「助けを呼ぶのも自由なら、助けに入るのも自由なの。助け求められたからって助けなきゃいけない義務は無い、その上で首突っ込む事を選んだのは俺。
方法だって色々あった、大人に助けを求めたり仲間を呼んで来たり。でもこれくらいならイケるなって単独特攻選んだのは俺。全責任俺!怪我は自業自得! ああそうだよ力量見誤りましたよ! ダセェって笑えば!?」
俺は笑った。決してダサいからじゃない。なんかもう、カッコ良すぎて。すっげぇ、こんな子いるんだ。いいなぁ、俺も、こんな風にカッコよく生きたかったなぁ。
「マジで笑う!?」
「ごめ、すご過ぎて笑えてきた。羨ましいよ、俺とは……全然違う」
「? じゃあお前もやれば良いだろ? 自分でも力になれる!ってSOSに手を差し出すだけじゃん」
後に俺は、この状況にピッタリの言葉と出会う。
──あぁ、本当じゃん。無理も背伸びも必要ない、拍子抜けするほど簡単に、目の前の彼と同じステージに立てるんだ。一生終わりの見えないと思ってた嫌いな自分との闘いが、この瞬間に終わりを告げた。
まさに、“青天の霹靂”。
夕焼けは夜を連れてくる。そして夜が明ければ朝が来る。こんなにも次の日を待ち望んだのは初めてだ。恐らく明日の街は、これまで見たどの景色よりも輝いて見えるだろう。
なれる、なりたい。
俺も、誰かのヒーローに。
▲▽▲▽▲
「その日からずっと、朱吏は俺の憧れなんだ」
語り終えた佳室がホッと息をつく。その表情は少し恥ずかしそうで、明らかに誇らしげだった。
そっ、か。俺は動揺を悟られないよう、細く細く呼吸した。さり気なく視線を逸らした先のポスターでは、キラーT細胞がウイルスをやっつけている。
浅魅は佳室のヒーローだったんだ。そうか、そうだったのか……。俺はとんでもない勘違いをしていた。歯の根が噛み合わず、顔から血の気が引くのを感じる。
“コイツさえ居なければ”??
何言ってんだ俺。浅魅が居なければ、俺のヒーローはこの世に生まれていないのに。
佳室にとっての浅魅は、俺にとっての佳室だ。だからこそその存在がどれだけ大きく特別かわかる。
勝手に敵対心を燃やしていた男が、実は並ぶのも烏滸がましいほど遥か上に居た。冷たい態度で接した奴が実はめっちゃいい奴で、間接的に恩人だった。それを知らず、醜い嫉妬を抱いてた俺の心の狭さと滑稽さったらない。
「だから、今回のはちょっとした恩返しのつもり。転校って色々わかんない事ありそうじゃん。……高成と一緒に居るのとはワケが違う。全然違うよ」
佳室が俺の手を取った。触れた所が焼けるように熱くて、自身の指先が冷え切っていた事を知る。
「小さい頃の話は誰にも話したことない、勿論朱吏にも。高成だけだ」
親指の腹で優しく手の甲を撫でられて、思わず泣きそうになった。俺をみつめる目は熱に潤んでいる。同じ涙なのにこんなに温度感に差が生まれるものなのか。佳室が身を乗り出し、保健室の古い椅子がキシッと鳴った。
「お前にだけ話した意味、わかるか?」
そんなの、わかんねぇよ。
*****
世の中には2種類の人間が居る。
特別な人間と、そうじゃない人間だ。
嫌いな自分から好きな自分へ変わる事を「簡単だ」と佳室は言う。俺はそうは思わない。
大抵の人は善い人でありたいと思っている。電車で老人が乗ってきたら、席を譲った方がいいのかなと思う。地図を片手にキョロキョロしてる人がいたら、話し掛けた方がいいのかなと思う。でも、余計なお世話かもとか、他の人が助けるかもとかぐちゃぐちゃ考えて、結局見て見ぬフリばかりしている。
一歩踏み出せばヒーロー、その一歩が踏み出せないから俺達は凡人なのだ。
佳室の場合は元から特別な人間が眠っていただけだ。普通はそんな簡単に他人へ手を差し伸べられない。ほら、ヒーローと出会っても変われてない俺が証明だよ。
特別な人間の隣には特別な人間が相応しい。そう、思う。
生まれて始めて授業をサボった。具合が悪いと嘘をつき残りの時間を保健室で過ごした。佳室とも浅魅とも顔を合わせたくなくて。
最後のチャイムが鳴り、保健の先生に迷惑を掛ける訳にもいかずベッドから抜け出すが、まだ家には帰りたくなかった。静かな場所でゆっくり思考を整理しようと、俺はお気に入りの場所へ足を伸ばす。
カラリ
「あ! 高成!」
……そうだった、図書室には浅魅が居るんだった。
「身体は大丈夫か!? すげぇ心配した。あ、送って行こうか?」
勘弁してくれ。駆け寄ろうとする姿に速攻踵を返そうとして、目に映った色に息を飲んだ。
浅魅の赤茶の髪は、佳室のほど鮮やかではない。
けれど、窓から差し込む夕焼けに照らされた今の髪色は、佳室の色とそっくりだ。いや、佳室が自分のヒーローに寄せたんだ。
マジで、勘弁して。
ズルズルしゃがみ込んだ俺の背に浅魅が手を置く。顔に似合わぬ節くれだった指が気遣うよう背骨を撫で、心臓の辺りを往復する度に気分がザワついた。胃にどろどろしたものが溜まり、内容物なのか言葉なのかもわからない何かが口から出たがる。
放っておいて欲しい。いくら優しくしてくれた所で、今の俺は浅魅に優しさを返せない。それなのに俺の名を呼ぶ声や触れる手の平があまりに温かいものだから、ボタボタと涙が溢れた。
「……なんで俺なの」
「え?」
「俺なんて顔も性格も良いトコ無いじゃん。勝手に調子乗って、勝手に嫉妬して、超イヤな奴だ。こんな、こんな奴のどこを好きになるって言うんだよッ!」
八つ当たりの叫びに、撫で続けていた手が止まる。「そっか、まだ言ってなかったな」と呟いた浅魅はグッと俺の腕を引いた。導かれるままいつものカウンター席へ腰掛ければ、隣に座った浅魅が内緒話するように顔を近付ける。ニッと浮かべられた笑みは、とっておきを見せびらかす子供に似ていた。
「ちょうど良い。俺のヒーローについて聞いてくれ!」
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