2人が本棚に入れています
本棚に追加
△▼△▼△
困ってる人を助けたい。そして俺は周りより少しだけ腕っ節が強かった。
浅魅 朱吏という男は、ただそれだけの人間だ。
短絡的で単細胞。説得や交渉が苦手だから、人を困らせる奴にはすぐ手が出た。やめろと口で言ったって聞かない奴も、一発殴れば血相を変えた。それが最善でない事は十分わかっていたけれど、馬鹿な俺は暴力でしか人を救えない。だからまぁ、適材適所ってことで。助けてあげた人が怯えた目で見つめてきても、見えてないフリをした。
やられたらやり返す輩ってのは必ず一定数いる。ご丁寧に数を揃え、武器を持ち、俺を痛めつけるためだけに襲い掛かってきた。返り討ちにすればソイツらがまた仲間を集め、返り討ちにすればまた……とネズミ算式に敵は増え、喧嘩しない日はない程だった。
そうやって人を殴り続けている内に指の骨が太くなり、手の皮は厚くなった。顔と合ってないって自分でも思う。
拳が頑丈になったからだろうか、神経がバカになったのだろうか。それとも、心が死んだのか。気付けば人を殴る事に何も感じなくなっていた。
誰かが「相手を殴れば自分の拳も痛むのだ」と言った。だから人は、他人を傷付ける事を躊躇するのだと。
じゃあ、痛みを感じない俺って人間じゃないのかな?
「ヒィッ! ごめんなさい、ごめんなさい!」
拳に感覚が無いせいで手加減が難しい。ついやり過ぎて病院送りにする事も増えてきた。命乞いする奴に近付き前髪を掴み上げる。涙や鼻水でグシャグシャの顔を見下ろしても、凪いだ心は靡かない。
まぁ、手加減なんてしなくて良いか。どうせコイツは人を困らせるクズなんだし。
「いやだ! 頼む、もう二度とこんな事しないから! お願いだから助け」
「暴れんなよ、殺しちゃうだろ」
バキッ
「あっ、すみません!」
返り血まみれの手をポケットに突っ込んで帰宅している途中、男とすれ違った。肩が触れた拍子にカタンと足元へ転がった何かを拾い上げれば、それは絆創膏の箱だった。すぐそこのコンビニで買ったであろう、一番安いペラペラのやつ。
ハイと返そうとした途端に短い悲鳴があがる。そういえば血塗れだったわ。新品のパッケージが一瞬で汚れ、伸ばされかけていた腕が引っ込んだ。ビビらせちゃったなぁ、こんな反応にも慣れたけど。
「早く受け取って」
「……あ、ああああげます!」
「は?」
まさかの返事にポカン。何でだよ、いらねぇんだけど。俺と同い年ぐらいの男は完全に逃げ腰で、こうして話してる間にもジリジリと足が後退している。それでも瞳だけは真っ直ぐにこちらをみつめ、俺はその水晶体の中に怯え以外の感情を見た。
「だって、アナタの方が痛そうですし」
ポカン、再び。俺が呆気に取られている間に、男は「それじゃ!」と背を向けて駆け出していった。逃げたな。でも、確かにアイツは俺を“心配”してたんだ。
痛そう? もしかしてコレ俺の血だと思ったん? そうだったら大怪我じゃねぇか、絆創膏でどうにかなる問題かよ。……プッ、ククク。
改めて自分の右手を凝視する。ベッタリついた赤黒い血は他人のものだし、感覚はとうの昔に麻痺してる。でも痛いと言われればそんな気がして来なくもない。そうか、痛そうか、俺。力強く握り締めた瞬間、思い出したように走った刺激に思わず吹き出した。
「ハハッ! 痛った、なんだコレ痛ぇ!アハハハッ」
認識した途端にズキズキと襲い来る痛覚に、笑いが止まらない。あぁ、そうだった。人を傷付ける痛みってこんなだった。痛い痛いと転げ回って、ふと手の中の絆創膏を見た。
よく怪我する奴なら、多少高くても防水性のを買う。こんな濡れたらすぐ剥がれるような安ものじゃ用が足りないと知っているから。きっと彼はそこに気が回らないくらい怪我と縁遠いのだろう。返り血と出血を見抜けないのも無理はない。
……俺とは違う、平和な世界のひと。俺と彼の歩む道はどこまでも平行線で、こんな偶然がない限り二度と交わる事はないだろう。いいなぁ、俺もそんな毎日が良かった。
足音が消えていった通路の先をみつめる。この感覚を思い出させてくれたあの子が気になって仕方ない。本音を言うなら追いかけたかった。その隣に並んで、他愛ない話で笑い合ってみたい。
それには今のままじゃダメだ。俺は彼を強引に自分のモノにしたいのではなく、彼の穏やかな日常に溶け込みたいのだから。会ったばかりの人にこんな感情を抱くのはおかしいだろうか? でも、世界を変えてくれた存在への執着と考えれば妥当な気もする。
おもむろにパッケージを開封し、一枚絆創膏を取り出してみた。右手に乗せると小さなガーゼがすぐさま赤く染まる。当然痛みが癒える気配もない。クスクスと笑って、俺はそっと口付けを落とした。
ドクン、ドクン。復活した痛覚は奔放で、拳だけでなく心臓まで痛みを訴え出す。
身体は己を守るために痛みを忘れ。そして、この心の衝撃を感じるためにまた甦らせたのでは、なんて。俺もゲンキンだなぁ。
「名前くらい聞いとけば良かった」
痛くて、苦しくて。でもさっきまでの世界よりずっと良い。
ぽつり零した後悔は、明日を生きるための希望だ。
△▼△▼△
「高成は覚えてないかもしれないけど。あの日、俺は確かに救われたんだよ」
……覚えてはいる。でも人助けなんてしてない、むしろカツアゲに遭ったくらいの認識だった。実際、絆創膏落としてっただけだろ。
「俺、何もしてない」
「したんだよ」
「助けるつもりなんか無かった。心配だってテキトーに口から出ただけだよ。そんな小さな事で、助けたとか……」
言葉を遮るよう胸ぐらをを掴まれた。大きな瞳に宿る感情は、怒り。思えば、浅魅に負の感情を向けられたのは初めてだ。
「人助けを何だと思ってんだテメェは! 命賭けなきゃ人助けじゃねぇのかよ! 助ける意志がなきゃ人助けになんねぇのかよ! ショボい事でも何気なく発した言葉でも、それに救われた奴がいるなら、充分人助けだろうがッ!」
息を乱した浅魅が内ポケットから小箱を取り出す。ボロボロの絆創膏の箱には薄っすら血痕が残っていた。
「嫌な事がある度にこれを見た。挫けそうになる度に、あの日の気持ちを思い出して自分を奮い立たせてきた。ぶつかった時だけじゃない、何度も何度もお前の存在に助けられて来たんだ」
そんなの俺は知らない。だけど浅魅にとっては紛れもなく真実なのだろう。そっと頬を包まれて、親指の爪で流れる雫を掬われた。一見優しそうに見える指先は、目を逸らさせないよう強引に顔を固定する。涙でコーティングしても、俺をみつめる浅魅の目は火傷するくらい熱い。
「否定したきゃしろ。自傷が好きなら思う存分自分を卑下すれば? それでも俺の想いは変わらない。永遠に、高成 燈一は俺のヒーローだよ」
……っ。グズグズになった涙腺が盛大に決壊し、俺はガキみたいに声をあげて泣いた。くそ、クソが。なんだよ、ふざけんなマジ。同じ轍を踏むのは嫌なのに、また調子に乗りそうだ。
俺のヒーローは誰よりもカッコよく、何よりも輝いている。もしかしたら浅魅には、俺がそんな風に見えているのかな。自分自身が嫌いで仕方なかったが、もしかして外から見れば案外捨てたもんじゃないのかな。
抱き寄せられ、顔をうずめた胸板が早い脈を刻む。ぎゅっと制服を握り締めれば、背に回る腕が強張った。目線を上げた先には朱色の頬と熱っぽい瞳。あぁ、コイツ、本当に俺が好きなんだ。
ガンッ!
直後、壊さんばかりの勢いで図書室の扉が開いた。浅魅の肩越しに覗き込むと、思いっきり顔を顰めた佳室がドアに寄り掛かっている。
「何つー顔してんだよ」
ツカツカと歩み寄り強引に顎を取られる。至近距離で剣先のような瞳にみつめられ、思わず息を飲んだ。舌打ちをした佳室が指にぐっと力を込める。
「俺の告白の時は青褪めてたくせに」
「え……うわっ!」
肩に回った腕が浅魅と俺を引き剥がし、赤い毛先が頬をくすぐる。目の前では浅魅がぱっちりした目を更に見開いて、それを隠すよう大きな掌で視界を覆われた。
真っ暗な世界ではより他の感覚が鋭敏になる。先程まで俺を包んでいたのとは違う香り、耳朶に触れる唇の感触。そして混乱と驚愕に固まる思考の隙へ、直接流し込まれる声。
「俺だって、高成が好きだ」
それはさすがに嘘だ。身を捩ろうとするが力強い腕に抑え込まれる。
「好きな自分になれて満足だった。それが原因で周りから爪弾きにされても仕方ないって思ってた。でも、話し掛けられたり頼られたりすんのはやっぱすげぇ嬉しくて……全部、高成が手を差し伸べてくれたからだよ」
するりと滑った手が、俺の包丁で切った指先を包み込んだ。桜を掴み損ねた間抜けな指だ。けれど、佳室には違って見えたのかもしれない。
そっと解放された視覚が捉えたのは、火花を散らすようにみつめ合う二人の眼差し。
「いくら朱吏でも、高成だけは渡せない」
「渡して貰う気なんてねぇよ。誰かのモンだったとしても諦めらんねぇしな」
ドクンと一際高く心臓が脈打った。
佳室は、憧れの人と好きな人は違うと言う。
浅魅は、憧れの人と好きな人は同じだと言う。
俺は一体どっちなんだろう?
最初のコメントを投稿しよう!