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3
翌朝、イエンの歯の根はより一層かみ合わなくなった。
「ここに、うちの小僧が世話になっていると聞いたんだがよ」
にやりと笑う歯並びの悪い口元。岩のような大きな体。そして、潰れた左目。あの時、声をかけてきた盗賊団の頭だ。捕まっていなかったのか。
取り落としそうになったひしゃくを必死でつかみ、きょとんと頭を見るオジカを後ろに隠す。かみ合わない歯の震えは膝に伝わり、分かるぐらい体をぐらつかせた。
「おう、いるじゃねぇか」
辺りを見渡した頭が、イエンを見つける。頭はそのまま、まっすぐにこちらに向かってきた。
「あっ!」
ナギの声が聞こえる。頭の足は一切の躊躇もせず、畑を踏みつけていた。ナギが植えた空豆。イエンが植えた芋。オジカが植えた茄子に足がかかりかけたとき、イエンは思わず走り出た。
「あ? 何のまねだ?」
踏みつけそうになった足の下に滑り込み、苗の上におおいかぶさった。頭のでわらじが背中でひとひねりする。あおるように、とんとんと足で小突かれる。それでもイエンは、苗を守り続けた。おもしろくなったのか、頭の足の勢いが強くなった。ナギが「やめて!」と叫ぶが、止むはずもない。
「うっ」
思わずうめき声をあげた。脇腹に入った一蹴りが腹の中の物を押し返す。脇腹を押さえながらようやく飲み下すと、イエンは泥がかかった顔を上げた。
「俺たちが……植えた苗を……踏まないで」
「あ?」
目の先にある太い足が畝に落ちる。足はわざわざひとひねり加えた。伸びたばかりのスイカの蔓が土にまみれ、折れる。イエンの知らない熱さが背を駆け上がった。
「俺たちが……必死で育てている苗を踏むな!」
頭が怒声を上げ、イエンが来る衝撃に身構えた瞬間、どん、と地面が揺れた。おそるおそる顔を上げてみると、頭が畝と畝の間にひっくり返っている。かたわらには先生が立っていた。
「随分勇ましいですね。うちの子達に何かご用ですか?」
表面上は穏やかだが、声にはかすかに怒気が含まれていた。先生がにらみつける先にいる頭は、ゆっくり舌なめずりすると、体を起こし、裂けるかと思われるくらい口の端を引き上げた。
「あんた、誰だい?」
「この子達の親代わりです。足蹴にするとは感心しませんね」
先生はイエンをかばうように立っていた。頭は先生とイエンを代わる代わる見た後、イエンの後ろにいるオジカに鋭いまなざしを向けた。
「こいつが何者か、知ってるか?」
イエンがわずかに振り返る。首を振っているオジカが、目の端に映った。
「盗賊の一味なんだぜ」
「違う!」
「違うもんか。この間、一緒にやったじゃねぇか」
「逃げた!」
頭の酒焼けした声をかき消すためにイエンは叫んだ。その勢いに、辺りがぴんと張り詰めた。頭はぴくりと眉を動かしただけで、口をつぐんでいる。恐れをなしたのか、とイエンは頭をにらみつけた。すると頭は、一度腹をひくつかせた。
「馬鹿か、お前? 逃げようがどうしようが、盗みに手ぇ出したことに代わりはねぇんだよ」
すごみをきかせたわけではない。だが、ニタァと引き上げられた歯並びの悪い口の中に、飲み込まれていく気がした。悪い夢は夢などではなく事実で、逃れられない。くらくらと地面は回り出し、イエンは苗の横ぎりぎりに手をついた。
「証拠は?」
頭上から、落ち着いた先生の声がした。
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