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3.アクト
名前を呼ばれている気がする……。
アクトは、ぼんやりと思った。
遠くに聞こえる。だが、誰が何と言っているのかは分からない記憶の中の声。
アクトは、ベッドの中で目を覚ました。カーテンの隙間からは清々しい空気に溶けた朝の光が差し込んでいた。
早朝から働いている町の人達の元気な声が遠くに聞こえていた。アクトは穏やかに瞼を閉じた。
アクトは、過去の記憶の多くを失っていた。事故にでも遭った様で、川を流されて来た所を近所の人が見つけて助けた。アクトは自分の名前も分からなくなっていた。だが名前を聞かれた時、何故か”アクト”という言葉が彼の口から出て来た。彼にとって何を意味するのかは分からない。ルダリア王国と国境を接する隣国はみっつ、そのひとつは”アクト”レイシア王国であった。
長い戦争が終り、各国と平和条約を結んで数年が経っていた。
戦争時には多くの魔術師が戦場に駆り出され力を振るった。その最高峰にある者には【宮廷魔術師】という地位と称号が与えられた。
宮廷魔術師をはじめ魔術師の多くが世を去り、さらに戦争が終わったことで、魔術師の必要性は急速に失われる。ルダリア王国内にある魔術師養成機関は次々と閉鎖され、代わりに商館が建った。
魔術師の力に代わるものとして、商館では多くの魔石が取引された。日常生活を維持する新たなエネルギー源として、魔石のニーズは高かった。ルダリア王国は戦後復興を果たし豊かになった。だが、不満を持つ者は少なからずいる。
アクトは怪我から回復すると、魔術師の力も回復した。介抱した住人は今どき魔術師は珍しいと王宮にアクトの事を届け出た。
アクト自身、このまま住民の世話になることが心苦しかった。そこで王宮に奉公することを願い出た。
王宮では、国王の家臣たちがアクトの事をスパイではないかと疑った。しかし、スパイがわざわざ隣国の名前の一部を口にするだろうかとの疑問もあり、判断は国王に預けられた。
国王は、スパイ疑惑に関しては不問にした。こちらとて、他国の情報収集は行っている。なにより国王はアクトの人柄を気に入った。
「魔術師であれば、いつかその力が役に立つであろう。もとより、路頭に迷う若者一人召し抱えられず国王が務まるか」
こうしてアクトは、宮廷魔術師を拝命、王宮に奉公することとなった。アクトは、国王に対し大変な恩義を感じていた。
アクトは、ゆっくりと上半身を起こしたが、まだ体がだるかった。熱が引いていないのだ。
時機を考えるとあの試食がまずかったんだと思った。
ずいぶん変わった味だった。
変わった、味……。
アクトは、ダイアナを思い浮かべた。
変わった姫様だと思う。
一国の王の娘だというのに人との付き合い方が平たいと言うか、身分を感じさせないと言うか。
出会った時は、自分で登った木から下りられなくなっていた。
「ふふっ」
アクトは、愛しく微笑んだ。
何事にも一生懸命な方なのだ。後先を考えないほどに……。
アクトの胸が熱くなった。
だが。
この想いは、これ以上育ててはならない。
あの方は、どんなに変わっていても”国王の娘”なのだ。
どこの誰かも分からない雑用係の立場で、想う事すら許されない。陛下に対しても裏切りになる。
アクトは、溜息をつき、項垂れた。
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