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ー 歌うことで伸び伸びと育つ ーそんなうたい文句につられて息子(木霊)の習い事に"ボイストレーニング"を選んだのは、木霊が小学四年生になった頃のことだった。
元々父子共に歌うことが大好きだったので、木霊が小学低学年の頃から最低でも月に1度は一緒にカラオケに行き、フリータイムで歌いまくっていた。最初の内はただ歌うだけで十分楽しめていたのだが、その内に点数にこだわるようになって、高得点が出せないととても悔しそうにするからもどかしい。そういうわけで将来歌手デビューを目指しているわけでもないのに"ボイトレ"を習わせることにしたのだ。
息子はそれを喜んで受け入れた。
ボイトレの見学に行くと、先生と楽しそうにして歌声を磨く木霊の姿が微笑ましくて仕方がなかった。”好きこそものの上手なれ”とはよく言ったもので、期待通りカラオケの点数は少しずつ高まった。やがて毎回95点以上を出すようになると、カラオケ店でもちょっとした有名人になって、本人はまんざらでもない様子だ。
「木霊?歌ってる時みたいに学校でも話せばいいのに、それはやっぱり難しい?」
「無理だよ。この前音楽の授業で合唱の練習をする時だって、うまく声が出せなかったんだから。話すなんてもっと難しいことに思える」
木霊が学校で緘黙になり始めたのは小学校に入って間もなくのことだった。親として接する限り、保育園の頃はそういう兆候が全く見受けられなかったのだが、実際に大人しい方ではあったため、環境の変化にうまくついていけなかったことも要因のひとつなのかもしれない。そんな事情があったから、ボイトレにより”歌”という得意分野を伸ばすことで、緘黙解消にも一役買ってくれるのではないかと淡い期待を抱いていたのだが、そううまくはいかないか……。
でもある時、カラオケ店で木霊がちょっとした有名人になっていることを聞きつけたクラスメイトの一人が、カラオケに誘ってくれることがあった。木霊は恥ずかしがってあまり乗り気ではなかったが、その男の子の積極的なラブコールに押されて二人でカラオケへ行くことになった。
風向きが大きく変わったのはこの時からだったように思う。そのクラスメイトを経由して木霊の歌のうまさがクラスで認知されていく。それと共に秋に開催される合唱コンクールで必要とされる存在になっていく。必要とされることで木霊はみんなの前でも本来の歌声で歌えるようになっていった。コンクール本番では先頭の真ん中で歌い、歌唱のリーダー的存在としてクラスの金賞受賞に大きく貢献することとなった。この一件で木霊は一気にクラスになじみ、少しずつ会話もできるようになっていく。
木霊にとって歌はまさに”生きていく糧”だった。
歌がなければおそらくまだ緘黙のままだったろう。
ー 歌うことで伸び伸びと育つ ー
うたい文句に騙されるという話をよく耳にするが、今回に限っては全く裏切られるようなことはなかったらしい。ここまでうまく木霊の境遇にフィットし、有言実行してもらえるとは…ボイトレの先生にも感謝に堪えない。習い事をここにして本当に大正解だった。
それからの木霊はまるで緘黙という不遇がなかったかのように、伸び伸びと学校生活を謳歌した。大人になってからも、自らの人生ホールにその歌声が木霊することを望んでやまない。
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