A面で恋をして

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A面で恋をして

わたしは女装が趣味ではなく普段から女性の服や靴やアクセサリーをしていた。ブラック企業であったがそれ故にドレスコードなど無くなんでもいい誰でもいいからその日の仕事をそつなく回してくれたらそれでいいというろくでもない会社に勤めていたからそれも可能であったし全身無駄毛の処理ができたのもわたしが独身であったからだ。中には髭剃り跡を青々とし無駄毛ボーボーで完全女装子を名乗る人もいたがハッテン場で知り合ったが異質に思えあまり親しくはしなかった。それぞれ日常生活の日中に女性として他人から認知されるグループと女装して性的興奮を覚え自慰やハッテンをするグループに綺麗に別れていた。わたしたちは冷やかしでハッテン場に極々稀に出向き友達や気の合う男の人と知り合う程度にしていた。当然普段通りの格好で行きそのまま帰るのだが例のすね毛ボーボーの連中はというとクルマの中で化粧をしたり女性の服や靴に履き替えて、帰りはまたクルマの中で化粧を落とし婦人服などから男モノの服に着替えてから帰るのだった。そのときA面とB面という言葉を知った。年齢的にはCDが出る前に生まれていたのでレコードやカセットテープのA面やB面は知っていたが彼女らの言うA面は女装したとき、女装を解いた男モードがB面だというのだ。普段からレディース服のわたしたちにはあまりわかりみがなかった。さらに彼女らが言うのはバッグやお財布や腕時計など男モノと女モノの両方が必要でお金がかかる趣味だというのだ。生まれつきもったものと性癖でする女装の大きな違いと感じた。髪もわたしは腰近くまで伸ばした金髪を高い位置で結ぶスタイルで日常生活もしていたのですぐにどの辺に住んでどこに勤めているかもバレバレであった。そんなわたしを羨ましいと言う人もいたが実際戸籍上男であったし身体をいじっていたわけでもないので知っている人からは女装癖のあるアタマのおかしなヤツと思われていたに違いなく実家には帰ることがなかった。そもそも継母と反りが合わず早くに家を出てひとり暮らしをしていたがどんどん女性化するわたしにもう実家には来ないでほしいと言われた。近所の目もある。わたしが中途半端に男児として暮らしていた頃を知る人ばかりだ。クルマで数分のところだが実家は本当に近くて遠い処となった。それくらいの覚悟がなければ日常生活を女性のように振る舞い生きていくのは難しいのだ。だから生半可の女装癖の連中とは意気投合することがなかった。わたしたちといえばまだまだ今よりずっと若かったから日中は何某の仕事をし夜はミックスバーやオカマバーで働いていた。自己満足であった。女性として扱われることに満足と安心を覚えるために夜の仕事をしていたようなものだ。その副産物としてある程度のお金があるから好きな服も靴もバッグも買えたし某トヨタの高級車を乗り回し店のない日にはハッテン場を冷やかしに揃って出かけたものだ。今も忘れられない女装がいる。毎晩残業と奥さんに嘘をつき体毛ボーボーで女装をしインターネットの出会いサイトで男を誘っていた女装だ。ひと目に男が百均のカツラを被っただけとわかるマキと名乗る女装。やがて奥さんにバレたそうだ。自動車整備士が365日休みなしで深夜まで残業のはずがない。少し考えたらわかりそうなものだが。いずれインターネットの女装者と男性の出会いサイトでは完全女装子を謳い文句にしていたが脳がどうにかしているのではないかと思ったものだ。鏡をプレゼントしそびれたのは今も悔やまれるがまだドロボー髭ですね毛ボーボーでスケスケのワンピースと30cmもあるようなハイヒールを履いてハッテン場で男漁りをしているのだろうか。男をゲットした話しはいち度も聞いたことはなかったが。やるなら人間徹底的にやらなければどうにもならないのだ。中途半端が一番良くない。いずれは性別編手術を受けるくらいの覚悟なしに遊びでする女装は如何なものかと思っていた。オンナとして綺麗である為にはホンモノのオンナより余計に気もカネも遣わなければならないのだ。そこにB面とかいう男モノまで手が回る余裕はない。徹底的にやったからこそ夜の商売のスカウトもあったわけだし単なる趣味で女装している人たちを軽蔑していたのかもしれない。
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