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赤ちゃんの幽霊にナ憑かれたから育ててみたら
『マンマ』
幽霊といったら花子でしょ、という安直の極みのような発想で花子と名付けた幽霊の娘(?)が、よちよち歩きでこちらに向かってくる。
「おー、がんばれー」
我ながらやる気のない声だな、とあきれるけれど、わたしはこういうやつなのだ。諦めてくれ、我が子よ。いや、お腹を痛めて、えいや! とひり出した記憶は存在しないのだけれど。旦那どころか彼氏すらいない独り者なのだけれど。あれだ、気分だ、うん。
花子がふらっとバランスを崩して膝を折った。アパートで一人暮らしを始める時に実家から持ってきた安かろう悪かろうなカーペットに、ぺたんと女の子座りになった。しかし彼女は、
『きゃはー』
と楽しそうに手を振り回している。ちびっ子の考えることはわからんな。
『マンマ、マンマ』
「ネコマンマ、ネコマンマ」
『ネ、ネマ……ンマ?』花子はきょとんとした。何言ってんだこいつ、とでも思っているのかもしれない。
「ネ、コ、マ、ン、マ」一文字ずつ区切って言い聞かせてみる。さぁ言うのだ。
『……』小首をかしげて数拍、『マンマー!』花子はふわっと浮き上がってわたしの貧相な胸に飛び込んできた。
透き通るような、ではなく、文字どおり透き通っちゃってる肌の花子を抱きかかえながら、飛べるんだから別に歩けんでもええやん、と言ってはいけないのだろうか、と思案する。……いけないんだろうな、たぶん。
花子と出会ったのは、総勢十名しかいない広報課の忘年会の帰り道だった。
大学生のころから住みつづけているアパートのある住宅街、その片隅にある小さな公園の前を差し掛かった時、ふと赤子の泣き声がした。酒にはべらぼうに強いかわいげのない女であるところのわたしに限ってアルコールにやられて幻聴を起こすなどということはあるまい、そう思い、辺りを見回した。すると、公園のささくれ立ったベンチに蠢く塊があった。頼りない公園灯に照らされ夜闇に浮かび上がったそれが、花子だった。衣服は身に着けておらず、すっぽんぽんだった。
捨て子かね。この寒いのに世も末だなぁ。どんまい。たぶん凍え死ぬと思うけど、来世に期待ってことで可及的速やかに成仏してくれぃ。
などと薄情なことを呑気に考えつつ、しかしわたしの足は花子のほうへ向かっていた。
近くで見ると、花子は透けていた。幽霊であることは確定的に明らかだった。
幽霊なんてものを見たのは初めてだったけれど、不思議と恐怖は湧いてこなかった──何やら既視感らしきものがぞわぞわと肌にまつわりついてはいた。
が、特に深く考えずにそのまま踵を返してアパートに帰ろうとした。すると花子は、ふわふわと宙を漂うようにしてわたしについてきた。俗に言う背後霊みたいに。
追い払い方なんて知らないわたしは、仕方なく花子を受け入れた。
それが三日前。
さて、ここで一つ疑問が湧く。
「花ちゃんさぁ、成長速くない?」
取り憑かれた時は生まれたてほやほやといった風情だったのに、今は一歳ぐらいに見える。
『マンマ、マンマ』
花子はそればかり繰り返している。まだ会話は無理そうだった。
『ネ、コ、マンマ』
「──えっ」わたしは目を丸くした。
『ネコマンマ……ネコマンマ! ネコマンマ!』
うちの子すげー。
子供の成長は速い。
気がつけば大きくなっているものだ。この前までそこら辺を走り回ってきゃっきゃっとはしゃぐ小学生だった近所の子が、いつの間にやら彼氏を連れ込であんあんする立派なJKに成長していた、なんてこともよくある。
──でもなぁ。
これはちょっと生き急ぎすぎでは? いや死んでるんだけども。
『どうしたの? お母さん』
わずか一箇月ほどで小学校高学年くらいまで育ってしまった花子が、怪訝そうに尋ねてきた。
「『どうしたの?』じゃないんだわ。花ちゃん育ちすぎだって」
花子は相変わらずの全裸だ。幽霊の服を扱っているハイカラな店はこの町にはないからそうなっているのだけど、裸だとその成長ぶりが、懐かしい控えめな二次性徴がはっきりと見て取れる。見た目的には十二歳ぐらいかね。
『そう? そうでもないよ、たぶん』
などと花子は言うが、
「そっかぁ、そうでもないかぁ──って、んなわけあるかい!」
くすくすと笑いの鈴を転がして花子は、『いいじゃん、別に。困ることは何もないんだし』
「それはそうだけどさ──」このままじゃああっという間に老衰(?)して消えちゃうんじゃないの。
自分でも驚いているのだけれど、わたしは花子に親愛めいた情を抱いていた。自然と眉が曇る。
『大丈夫だよ』
不意に花子は言った。雫の落ちるような静かに沁みわたる声だった。『お母さんが心配してることは起きないから』
「……どういう意味よ」
花子は目を細めて悪戯な笑みをたたえた。『さぁ? それは教えられませんなぁ』
「うっわぁ、うぜー」
あまり察しの良くないわたしでも流石に気づく。花子はわたしにそっくりなのだ。これが既視感の正体かぁ、と納得がいった。何か見覚えがあるんだよなぁ、とは思っていたけれど、当たり前のことだったのだ。何せ、自分と瓜二つなのだから。
花子はもう成人していた。今のわたしの年齢にも届いているかもしれない。
「花ちゃん」
わたしが呼びかけると、彼女はゆっくりとこちらに顔を向けた。何? と目で問われる。
「あなたはいったい何なの? どうしてわたしに似ているの? そもそもどうしてわたしの下に現れたの?」
ふふ、と妖しく笑って花子は言った。『わたしはね、お母さんの妹なのよ』
「……は?」言葉の意味がわからなかった。わたしは一人っ子なんだけど?
そう言って尋ねると花子は、
『うん、知ってる』と答えた。『だからわたしがここにいるんだよ』
ますます意味不明だった。困惑するわたしに花子は続ける。
『お母さんはさ、バニシングツインって知ってる?』
かぶりを振って答え、「何それ」
『子宮内で死んじゃった双子の片割れが、そのまま母体に吸収されて消滅すること』
「へー」花ちゃんは物知りねぇ、と感心しつつ、はたと思い及んだ。「まさか──」あなたはその消えた片割れだとでもいうの?
と最後まで言いきる前に花子はうなずいた。
『そうだよ。だから、わたしはお母さんの妹なの』
「なるほどなぁ」腕組みをしてわたしは、そう洩らした。
花子はにこにこしている。
その、見慣れているのようでいて、そうでもない笑顔を見ていると、彼女が最後の質問にはちゃんと答えていないことに気づいた。ここにいる理由の説明になっていないのだ。
「で、何で花ちゃんはわたしに憑いたの?」
『それはね……』
花子はもったいをつけるように言葉を切り、ゆらりと立ち上がった。すーっとこちらに寄り、目と鼻の先まで来ると止まった。彼女の瞳に映るわたしがよく見える。どうしてか、その顔はおびえているようにも見えた。
『わたしの目的はね、お母さん』花子の唇の端が吊り上がった。
思わず後ずさる。しかし、狭いアパートに余分なスペース──逃げ場などない、すぐに壁にぶつかった。
『お母さんの体を貰うこと』
花子の冷たい手がわたしの頬に触れた。悪寒が背筋を駆け上がって体が震えた。「やめ、やめて──」
しかし花子は表情を消し、『今度はわたしが生きる番。今度はお母さんが、お姉ちゃんが消える番』
花子の、鏡像のようにわたしと瓜二つの顔が、再びほほえんだ。
『今まで育ててくれてありがとう、お母さん』
「──っ」
悲鳴を上げることができたかはわからない。
(了)
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