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ここに育つ命
「ウチに見に来ないかい? おもしろいものを育てているんだよね」
高木は昔から変わったヤツだった。同級生たちとはまるで違う雰囲気をまとった男。言葉数は少なく、飄々とした振る舞い。思慮深く、哲学的なヤツだった。何を考えているのかわからないと、周囲から避けられることも多かったが、俺はヤツにシンパシーを感じていた。
学生時代を経て、社会人になり、それでもなお交友を続けているのは、高木くらいのもの。そんなヤツからの突然の誘い。いったい何を育ててるんだ? まさか、薬物とかじゃないだろうな?
「これだよ」
もし道を外していようもんなら、正してやらなきゃならない。友としての使命感を手土産に訪ねた郊外のアパートの一室。リビングに招かれるや否や、ヤツはあるものを指さした。その先には、小ぶりなプランターがあった。
「ん? なにこれ?」
「おもしろいだろう?」
「どこが? ただの雑草じゃない?」
「ただの? お前、本気で言ってるの?」
「本気も何も、正真正銘、ただの雑草だろ」
「これだから凡人は……」
茶化すように笑う高木。やれやれといった様子で俺に語りはじめた。
「雑草といえば、そこかしこに生えてる草だと思うだろ? 正解だ! そこら中に生えてる草なんだよ。ただし、雑草を育てるのは、実に難しい!」
ヤツの熱量に押され、反射的に相槌を打つ。
「うまく理解できないみたいだな。いいかい? 道端に視線を落としてみると、アスファルトのひび割れなんかに雑草が繁殖しているのを目にすることがあるだろう? なんでこんな場所に? って。人はそれを見て――どんな環境でもたくましく育つ雑草――と美化するわけだ。でも、違うのさ。いざ、この手で雑草を育ててみると、意外や意外、すぐに枯れてしまうんだ。愛情を注いで育てているにも関わらずだぜ?」
「なるほど……雑草を育てるって発想がそもそもなかったから、それは意外な事実だな」
「どこでも生きられる力強さを備えたのが雑草? そうじゃないんだ。雑草も生きる場所を選んでるのさ。自らが最も輝ける場所をね!」
力説する高木に目をやったとき、ある異変に気づいた。
「なぁ、お前……鼻先に」
よく見ると、高木の鼻先から、小さな雑草が生えていた。
指摘すると高木は嬉しそうに洗面所に駆け込み、自身の顔を鏡に映してみせた。そして歓喜した。「雑草の生える場所に選ばれた!」と。
人間の身体から雑草が生えたことが、はたして良いことなのか悪いことなのか。ただ、少年のように喜ぶ高木を眺めていると、自然と頬も緩んでいく。
普段の寡黙な姿とは別人のようにはしゃぐ高木。それがヤツを見た最後の姿になるなんて、その時は思うはずもなかった。
『鼻先で育てていた雑草が枯れそうなんだ』
そんなメールが高木から送られてきたのは、最後にヤツと会った日から数ヶ月後のことだった。
たかが雑草くらいで――軽く受け流そうとしてみたが、深刻さを増すメールの内容に、思わず言葉を詰まらせる。
『俺は雑草に選ばれ続けたい。雑草が生きたいと思える場所として』
どうやって?
『俺自身がここではないどこかに行かないと、きっと雑草は枯れてしまう。住む場所なのか、環境なのか、立場なのか、人間性なのか。とにかく雑草が望むのは、今の俺じゃないはずなんだ』
そう言い残し、ヤツからのメールは途絶えた。何度か返信してみたが、それ以降、返事がくることはなかった。
高木が会社を辞めた。高木が音信不通になった。高木が消息を絶った。
共通の知人やヤツの両親に訊ねてみたところ、口を揃えてそんな回答が返ってきた。もはや高木の所在を知る者はなく、ヤツのあとを追う術はなくなってしまった。
そんなある日、高木から一通のメールが入った。
『ようやく俺の生きる場所が見つかったよ。まぁ、正しくは、雑草の生きる場所だけど。よかったら遊びに来てくれよな』
そのメールにはある住所が書かれていた。
見たことも聞いたこともない町。どうやら高木はそこに存在しているらしい。心配を抑えきれなくなった俺は、会社に有給休暇を申請し、飛び出すようにその場所へと向かった。
新幹線と在来線を乗り継ぎ、たどり着いた駅。そこからはバスでの移動。文字どおり、はるばるやってきたS町。スマートフォンに表示させた地図を睨みながら、ヤツが指定した住所を目指す。
「ん?」
地図上に示された場所に着いた。小さなアパートにでも住んでいるものと思っていたが、予想に反し、目の前にはだだっ広い空き地が広がっていた。ただ、その地面には、隙間なくびっしりと雑草が繁殖していた。
「高木? 高木ぃ―?」
人の気配もない空き地に向かい、呼びかけてみる。もちろん返事などない。手がかりはないものかと、空き地に足を踏み入れた。
「ギャッ!」
一歩踏み出した足の下から悲鳴が。思わず足を宙に浮かす。それは確かに人間の悲鳴だった。
もしかして――
この雑草すべてに意思があって、いや、この雑草一本いっぽんが、誰か、なのかもしれない。ということは、高木もこの中の一本なのか!?
なす術を失い、立ち尽くす俺の背後で声がした。振り返るとそこには、作業着の男たちが立っていた。
「工事の着工前に、雑草の伐採からか」
「随分とびっしり生えていやがるなぁ」
工事? 伐採?
「ここに建物を建てるんですか?!」
気づけば男たちににじり寄っていた。
怪訝そうな表情で男たちは頷く。
「ダメです! ここには大切な友達が!」
理解されないこともわかっている。狂ったヤツだと思われることも。ただ、高木が生きる場所を奪われることだけは制止しなければ!
「はあ?」
まともに掛け合ってくれるはずもない。男たちは面倒を避けるようにして、道路の脇に停めた車に乗り込むと、そそくさと走り去ってしまった。
『S町のマンション建設を請け負った建設会社の社員が何者かの手によって刺殺。工事関係者の謎の死により、この土地の工事が中断されるのはこれで四度目となります。警察は捜査本部を立ち上げ――』
ニュースキャスターが深刻な面持ちで事件の様子を伝えている。
俺はテレビを見ながら、ほくそ笑む。
「なぁ、高木? これでいいんだよなぁ?」
鼻先に生えた雑草をさすりながら。
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