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前編
『ドン、ドンドン、ドンドン……』
ふわぁ……うるせぇなあ。
遠征帰りで、一週間ぶりのベッドだぞ。
誰だか知らねぇが、くだらねえ用事だったらケリ入れる。
眠い目を擦りながら戸を開けると、
「あの…………」
辛気臭い薄汚れたローブを被った子供が一人で立っていた。
背格好からして、まだ毛も生えてないような“ガキんちょ”だ。
「は、はじめまして」
なんだ、こんなところに何用だってんだ。
「わたしはあなたの子供です。ずっと会いたかったよ“おとーさん”」
「は?」
こいつ今、何てぬかしやがった?
とりあえず身に覚えはない。
いや、こっちも荒くれた冒険者の端くれだ。
一夜の過ちぐらいは何度だってあるさ。
けどよぉ……。
あたしは“女”なんだ。
野郎じゃあるまいし、知らぬ間に子供作ってたなんてあり得ねえ。
その上、あたしのこと“おとーさん”だなんて……。
「あのなぁ、確かにあたしはガタイもデカイけど……ほら、おっぱいもデケぇだろ?」
わかりやすく、ゆさゆさと揺さぶってみせる。
「ほらほら、あたしがお前の“おとーさん”ってのはあり得ねえってことだ」
まあ、女だてらに剣でメシ食ってるとはいえよ。
自分を男勝りだとは思うが、別に女を捨てたわけじゃねぇ。
じっと見ていたそいつは、首を横に振って、
「ママのおっぱいはペッタンコでしたよ」
と、胸を張った。
ハァ……それはお前の母ちゃんが貧乳なだけだろ。
「ったく、お前どこの子だ? 新手の物乞いか?」
「物乞い? 違います。……そうだ!」
意に返さず、そいつは懐から何かを取り出した。
「これ、おとーさんに渡せって、ママが――」
「ん、ちょっと待て!」
見た瞬間、思わず子供の手を引いて部屋の中に引き入れちまった。
すぐに外を伺って誰も居なかったことを確認し、そっと扉を閉めた。
「こんなん、人前で気軽に出すんじゃねぇ。物盗りに見られてたらどうする!」
懐から出てきたのは希少品の【魔封紙】
合言葉を唱えれば、誰でも封じられた魔法が一度だけ発動するという、売れば金貨十枚はくだらない高価な代物。
そして魔封紙の背表紙には【紅髪の流刃ルシーダ殿へ】って、ご丁寧にあたしの名前まで書いてある。
んー。こいつはどうにも穏やかじゃねぇな。
「よし、とりあえず話を聞いてやる。そこに座りな」
「はい、わかりました」
子供はお行儀よく、ベッドの端にちょこんと腰を下ろした。
「まずはツラをみせやがれ」
フードを鷲づかみにし、強引に引っ張り上げると、ブカブカのローブは簡単に脱げた。
「なんだ、お前“女の子”だったのか」
薄紅色のクセっ毛が、腰の辺りまで伸びていた。
見た感じ七、八歳ってとこだろうが、服の上からでも一目で“女の子”とわかるくらいには発育がよい。
んー。……その姿、どっかで見たことあるような。
「名前は?」
「“ルシリス”です」
「へぇ、“ルシリス”ねぇ……母ちゃんの名は?」
「ママの名前は……【マリリス】です」
その時、ルシリスの手元にあった魔封紙が解けて、中から霧が吹き出した。
あっという間に霧が目の前の景色を変えていく。
「母親の名が魔封紙の“合言葉”かよ」
霧はあっという間にボロ部屋を、浮世離れした魔女の住処へと変えていた。
『久しぶりね、ルシーダ……』
霧が形作った声の主は、魔女マリリス。
こいつには殺されかけたり、命を救われたり……あたしと因縁深い魔女だ。
「お得意の【幻影】魔法か……マリリス」
黒ローブにトンガリ帽子。古代樹で作った魔法杖。
そして黒く長く艶やかな髪。絶世の美女だが……残念ながら胸はない。
『その真っ赤な髪、小麦色の肌、大きな身体、そして……大きなおっぱいも相変わらずね』
マリリスは自分のなだらかな胸と見比べながらつぶやいた。
「あたしにガキなんざ送りつけて、どういうつもりだ!」
『あなたを帰した時と同じ【転移】魔法よ。驚いた?』
「驚いた? じゃねえよ!」
『あのね、ルシーダ…………』
マリリスは言葉を詰まらせ、顔を曇らせた。
『……率直に言うわ。あなたにその子を育てて欲しいの』
「はぁ? いきなり何を――」
『詳しい説明をする時間はない。けど、その子は紛れもなくあなたと私の子よ』
そこでハッと気付いちまった。
……ルシリスはあたしの子供のころにそっくりなんだ。
屋敷に閉じ込められて、外ばかり見ていたあの頃のあたしだ。
「そりゃ、本当なのか?」
「あなたがそう感じたのなら、それが真実よ」
「はぐらかしやがって……それにしたって、“おとーさん”なんて呼ばすなよ!」
『ふふ、お腹を痛めて産んだのは私よ。ママの座は渡せないわ』
気付くと、マリリスの姿が足元から少しずつ薄くなっている。
「おい、もう終わりか」
マリリスは静かに頷いた。
『とにかく、その子を頼めるのはあなただけ。お願い、私の代わりにその子を……――――』
……霧が晴れて、目の前に見慣れた部屋が戻ってきた。
魔封紙は、いつの間にか消え去っている。
「ママ、おとーさん……」
ルシリスが不安げな表情でこっちを見ている。
ああもう! 聞いたって結局、何が何だかサッパリわかんねぇよ。
なんであたしが急に“子持ち”になんか……。
……けどよ、こいつを一目見て“他人”とは思えない。
マリリスの言うとおり、直感でそう感じたんだ。
「おい、お前もう一回ママに会いたいか?」
マリリスの住処は【ルデオ火山】……この町からは反対側の辺境だ。
「ママはもうお別れだって。でも……」
ルシリスの瞳から涙がこぼれ落ちた。
八年前、赤龍と戦うためにルデオ火山に一人足を踏み入れた。
マリリスはそんなあたしの前に立ちふさがった魔女だった。
魔女とは龍を守る者……いや、龍から人を守るため、挑む者に試練を課す審判者。
何とかその試練を突破したが……結局は赤龍に敗れ、瀕死のところをマリリスに救われた。
「七年かけて鍛え直したんだ。“赤龍”に復讐するには頃合かもな」
ちょうどきっかけを探しているところだったんだ。
「だからさ、お前一人放っていくわけにもいかねぇし、龍討伐のついでに、マリリスの元に突き返してやるよ。ついてこい!」
「……はい、おとーさん!」
涙で曇った顔に光が戻った。
「おい、腹は減ってないか?」
「そういえば……おなか、ペコペコです」
「よし、まずは腹ごしらえといくか。旨い飯食わしてやる」
とりあえず、冒険者組合の連中には、何て言おうか。
「へへへ。おとーさん、ありがとう」
んー、なんつうか。悪くないんだけどよ。
“おとーさん”ってのは勘弁してくれ。
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