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後編
何だか家の様子がおかしい。
手入れが行き届いていたはずの植物たちが、皆枯れ果てている。
床だって腐って抜けそうなほど痛んでいる。
マリリスの奴……まさか、もうこの家から出て行ってしまったのか?
「おとーさんっ! 早くきてぇ!!」
ルシリスの叫び声。
床を壊さないように、気を付けながら後を追った。
居間は半壊し、部屋の中まで蔦が這い巡らされていた。
「おかえり……なさい…………早かったわね……」
そこにはロッキングチェアに座ったまま動かない、変わり果てた魔女の姿があった。
漆黒の髪は真っ白に変わり、身体はまるで骨と皮だけでやせ細っている。
両足は蔦と一体化し、一体いつからこうしていたのかわからなかった。
「マリリス、何があった?」
「ママ、ママ、ママァ…………」
と、ルシリスは涙をボロボロと流しながら、母親にすがりついた。
その頭を愛おしそうに撫でるマリリス……その手にはもう力がない。
「限界だったのよ。この身体は……ルシリスをあなたに任せ、ここで……朽ち果ててもいいと思ってた……」
「なんなんだよ。せっかくここまで来たのに意味わかんねぇよ!」
「……そうね。あなたには知る権利がある。その前に――」
『【睡眠】』
マリリスの指先がかすかに輝くと、ルシリスは母親にすがりついたまま眠りに落ちた。
「幼いこの子に全てを聞かせるのは酷だから……」
と、マリリスはか細い声で語り始めた。
「魔女は不老不死……だけど不滅の肉体は存在しない。だから何十年もかけて己の新しい肉体を育て、次の身体を準備をする。そして七年前――」
「あたしが死にかけたせいだろ?」
「ええ……あなたは過去一番の逸材だった。いつかは赤龍を倒してくれると確信した。……守護する龍を失えば魔女は役目から解放される。だからあなたが死にかけたとき、私は迷わず次の身体となる素体と、あなたのお腹から取り出した生命の素を合成して、あなたが失った部分を……作りなおしたの」
「そうだったのか……」
「一種の賭けだった。だけどね、それは思っても見ない結果につながった」
マリリスは撫でる手を止めて、ゆっくりと視線をルシリスに移した。
「使い残した素体が魂を宿して成長しだしたの……それを見つけた私は、自分のお腹の中にそれを移し、育て、産み落とした」
「ルシリスだな……」
「ええ、私達の愛しい我が子……でもね、私がこのまま消えたら、きっと【魔女機構】があの子を私の後釜に据えようとするでしょう」
「……なんだ、話は簡単だ。あたしが赤龍を倒しちまえばいいのか」
「ふふ、理解が早いわね……。龍が倒されれば、溜め込んだ魔力が周囲に放出される。それを吸収すれば、この劣化した身体も元に戻るはず」
ふーん。シンプルでいいじゃねぇか。
赤龍とのタイマンに勝ちさえすれば、全てが丸く収まるってわけだ。
「今なら試練は全部無視できる。赤龍を倒してきて……私は少し、この子とお昼寝するわ……――」
マリリスは薄ら笑みを浮かべたまま目を閉じた。
「いよいよか……」
準備を終えて、この家の裏にある“魔女の試練”へと向かった。
マリリスが言うとおり、七年前は死ぬほど過酷だった数々の試練は消えうせて、今はただのまっすぐ伸びる坑道となっている。準備運動にはちょうどいい。
坑道を抜けるとそこには、
『ギャアァァァァァァァァ!!!!!!!』
赤龍がこちらに牙を剥き、威嚇の咆哮が戦いの合図となった。
その名の通り赤い色をした硬質な龍鱗。赤熱化したするどい牙と角。
大きさはせいぜい農耕馬の二倍程度だが、獰猛さと俊敏さが尋常じゃない。
翼が無いから空に逃げないのはいいが、逆に息をつく暇がない。
「へへ、赤龍さんよぉ、家族持ちの強さってやつを教えてやるよ!」
七年間、修行に明け暮れて行き着いた【力の加護】の極意。
意識を敵に向けるではなく、己の身体に身を任して無心となる。
気付くより早く。意志より早く。意識より早く。無意識より早く。
そして“身体”が“思考”を超えて……神速が完成する。
「うわあぁぁぁぁりゃぁぁ!!!!」
意識が肉体に沈む。
肉と刃が弾けあって、世界が白んでいく。
もはや敵意も何も関係ない。
ただ己の身体を信じて、ひたすらに剣を振るう。
【紅髪の流刃】の真骨頂……そして、あたしは考えるのすら止めた。
「……さん…………おとーさん……おとーさん!」
「ぐっ!?」
「うわぁー、おとーさん!!」
身体がバラバラになりそうなくらい痛い。
気付けば、涙でボロボロのルシリスが、あたしに寄り添って泣いている。
「おい、赤龍は……」
身体を起こし、辺りを見回すと、
「ルシーダ……あなたの勝ちよ、おめでとう」
目の前には黒髪の魔女と、横たわった赤い龍の亡骸。
ああ、そうか。
やったんだな、あたし。
「おとーさん、ありがとう。大好きだよ」
――あたしが赤龍を倒し、魔女マリリスは龍の守護者から解放された。
そして一ヵ月後。
赤龍との戦いで負った傷も癒え、私たちは街で今後の身の振り方について考えていた。
「この先【魔女機構】の干渉を受けるかもしれないわ」
「でも、わたしは“おかーさん”みたいな戦士になりたい」
「おいルシリス、今なんて――」
「あの失礼ですが、あなた様は“ルシーディア・エンファス”様ではございませんか?」
なんだ、それはあたしの昔捨てた名前じゃないか。まさか……。
「おお、苦節十五年……やっと見つけましたぞ、お嬢様!」
「……じ、爺や!!」
どうやら、一難去って、また一難。
今度はどう乗り切ろうか……なあ、ルシリス。
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