ふたりぼっち

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 通学鞄の中には、常にハイブランドのメイク道具一式と、お気に入りのワンピースが入っている。これが私の鞄の中の常であり、学生らしい教科書の類が入るのは、四月の始業式と学期末位しかない。  私は学校が終わると、放課後の誰も居ないトイレの中でメイク道具一式を広げ、念入りに化粧をする。その日の気分でカラコンを入れ、毛束が太く長く見えるマスカラで瞳を縁取る。フランス人形のように、淡く頬を蒸気させるチークに、主張し過ぎない濡れた唇を装うリップ。六限目の体育で乱れてしまった髪は、オイルを使って艶やかにヘアアイロンで伸ばして巻く。  肩を過ぎる位の黒髪は男受けが良い。特に今日会う五十代半ばを迎えた男は、気弱そうな少し下がった眉に、大きな瞳と長い黒髪を良く好んだ。  私は全ての工程を完璧に仕上げると、鞄の中にそれを直して、トイレを後にする。丁度良く制服のブレザーのポケットから、スマホの着信音が響いた。私はそれを名前を確認せずに、 「はぁい」  といつもよりもワントーン明るい声で出た。 「シノちゃん、今どこ?」 「あ、ごめんなさーい、今家出たところなの。髪型がどうしても気に入らなくて……」  そう言うと、男は「そんなことかあ」と通話越しでも分かるほどでれでれとした調子で、厭らしく笑った。鼓膜の奥を歯ブラシで強く磨かれるような不快感が、背筋から脳天、足の指先まで、満遍なく広がって、私に強烈な不快感を与えてくる。  このクズ、不細工、ブタ、底辺。  ありとあらゆる罵詈雑言が胸中にぐるぐるとつむじ風のように回っては、私の心を不快感の渦に貶めていく。けれど、それでも私の口元は弧を描き、意思に反して笑っていた。 「いつも忙しい中会ってくれるのに、こんなことで遅れてごめんなさい……」 「いいのいいの、早めに着きそうだったからさ。じゃあ待ってるからね」 「ごめんね、またあとでね!」  通話終了ボタンを押して、私の表情筋全てが緩むと、無意識に零れる言葉は大体決まってる。 「死ねよ」  私は胸の奥がしん、と静まり返るのを感じながら、殆ど人気の消えた学校を後にした。
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