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02話「空回りのアプローチ」
陸が大学から帰宅して一息つこうとしたとき、またしても勢いよくドアをノックする音が響いた。
「兄貴、開けろー!」
聞き覚えのある声に、陸は肩をすくめながらドアを開ける。そこには、いつもの楓――と思いきや今日は少し様子が違った。
「どう? これ」
楓はどこか得意げな顔で胸を張り、スッと立っていた。だが、部屋に入ると同時に何かが強烈に鼻をつく。
「……お前、それ、何の匂いだ?」
「これ? 香水! オトナの男は香りが大事だってネットで見たから、つけてみた!」
楓が自信満々に言うが、陸は顔をしかめる。
「明らかにつけすぎだろ……部屋が香水工場みたいだぞ」
「そんなことないって。いい匂いだろ?」
楓は自分のシャツを引っ張ってアピールするが、陸はたまらず窓を開けた。
「俺の鼻が死にそうだ。少し控えろよ」
「えー、これくらい普通だろ?」
「普通じゃない。オトナを通り越して攻撃的だ」
くしゃみをしながら言う陸に、楓は少しむくれた顔をして次の作戦だ、と題して胸を張り直した。
次に楓が取り出したのは、分厚い本だった。
タイトルを見ると、哲学書らしき難しい内容が書かれている。
「これ、兄貴も好きそうだろ? 難しい本、オトナっぽくね?」
「……お前、読めるのか?」
陸が眉を上げて尋ねると、楓は一瞬口を開きかけたが、すぐに閉じた。
「……まあ、読んでる途中ってことで!」
「途中? 最初のページも読めてないだろ」
陸が笑いをこらえると、楓は慌てて本を引っ込めた。
「いや、次の手があるから! 俺を見くびるなよ」
「まだあるのか……」
楓は次にやけに難しそうな言葉を使い始めた。
「兄貴の行動はさ、なんというか、えっと……高尚で、えっと……高邁だよな!」
「……あのな、使い方合ってるのか?」
「え、合ってない? ……まあ、ニュアンスは伝わるだろ!」
「伝わらない。ていうか、噛むな」
陸が声を出して笑うと、楓は頬を膨らませた。
「兄貴、真剣に聞いてくれよ!」
「いや、悪い悪い。でも、お前なりに頑張ってるのはわかった」
笑いを抑えながら言う陸の言葉に、楓は少しだけ頬を赤らめた。
楓の強引な誘いで、ふたりは近所の公園に立ち寄った。
ベンチに腰掛け、夕焼けに染まる空を見上げる。
「ねえ、兄貴。俺、本気なんだよ」
楓がぽつりと口にした。陸は隣でベンチに座り、彼の横顔をちらりと見る。
「本気で、何をする気だ?」
「兄貴に追いつきたいってこと」
陸は少し考えてから、軽く肩をすくめた。
「お前はそのままで十分だよ」
「ダメだ……それじゃ足りないんだって!」
「……そうか」
楓はしばらく黙った後、ふいに立ち上がり、陸を見下ろした。
「――俺さ、兄貴が好きなんだよ」
「は?」
陸は思わず目を丸くする。
「あ、冗談とかじゃないから。本気で言ってるから」
楓の目は真剣だった。だが、陸は答えに困り、視線をそらした。
「……今日はもう帰れよ」
「兄貴!」
楓の声を振り切るように、陸は立ち上がり、歩き出した。
☆ ☆ ☆
陸は自宅に戻ると、静けさがやけに重く感じた。先ほどの楓の言葉が頭から離れない。
「……あいつ、なんなんだよ」
ぼそりと呟いた陸は、自分の胸が微かに高鳴っているのを感じた。
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